第17話:激闘! クラーケン VS 醤油とワサビ
地下湖の空気は、ひんやりと冷たく、そして湿っていた。 カンテラの明かりが、黒々とした水面を照らし出す。広さはドーム球場ほどもあるだろうか。
「……静かすぎるな」
ガルドーさんが大盾を構え、油断なく周囲を警戒する。 漁師長のザバは、震えながらボートのオールを握っていた。 キュイジーも、いつものコックコートではなく軽装の鎧を着ているが、顔色は悪い。
「ルネ殿、本当にこんな所に食材が? ただのカビ臭い水溜まりにしか見えませんが……」 「いいえ、いるわ。……それに、見て」
私は水辺の岩場を指差した。 そこには、清らかな湧き水が流れ込み、青々とした植物が群生していた。 ハート形の葉。そして、土から覗くゴツゴツとした緑色の根茎。
「あった……!」
私は駆け寄り、その根を一本引っこ抜いた。 ナイフで少し削り、匂いを嗅ぐ。
ツーン。 鼻の奥を突き抜ける、清涼感のある鋭い刺激臭。
「**『ワサビ』**だわ!!」
間違いない。ダンジョン特有の変異種かもしれないが、この香りは本物の本ワサビだ。 これがあれば、魚の生臭さを消し、脂の甘みを引き立てることができる。 醤油ポーションとの相性は言わずもがな。日本の食卓の守護神だ。
「神様ありがとう。これでもう、勝ったも同然よ!」
私がワサビを掲げて喜んだ、その瞬間だった。
ズザァァァァァァッ!!!
水面が爆発した。 大量の水しぶきと共に現れたのは、小山ほどもある巨大な赤黒い影。 太い触手が十本、鞭のようにうねり、巨大な眼球がギョロリと私たちを睨めつける。
「で、出やがったァァァ!! 『十本足の悪魔』だ!!」
ザバが悲鳴を上げる。 一般的には『クラーケン』と呼ばれる、水生系モンスターの頂点。その触手の一撃は岩をも砕く。
だが、私の目(食材鑑定アイ)には、別の情報が表示されていた。
【名称:グランド・スクイッド(大王イカの変異種)】 【推奨調理法:刺身、天ぷら、塩辛、イカ焼き】 【鮮度:極上(今すぐ締めろ)】
「……デカい」 私はゴクリと喉を鳴らした。 恐怖ではない。あの太い足一本で、何人前のイカ刺しが取れるだろうかという計算による身震いだ。
「来るぞッ! 総員戦闘用意!!」
ガルドーさんが叫ぶ。 クラーケンの触手が、バシィィン! と水面を叩き、私たちに迫る。
「焼き尽くしてやる! 『ファイア・ボ……』」 「バカッ!! やめなさいキュイジー!!」
私は詠唱に入ったキュイジーの後頭部をスリッパ(持参)で引っぱたいた。
「えっ!? な、なぜですか師匠!?」 「火を使ったら身が硬くなるでしょうが! しかも焦げたら刺身にできないわよ!」 「で、ではどうすれば!?」 「ミシェルカ! 氷魔法よ! 奴の動きを止めつつ、鮮度を保ちなさい! ガルドーさんは触手を切断しないで! 断面が傷むから『打撃』で弾いて!」
無茶苦茶な注文だ。 だが、私の剣幕に押され、パーティの動きが変わった。
「わ、分かりました! 『アイス・コフィン(氷の棺)』!」
ミシェルカの魔法が、クラーケンの足元を凍らせる。 動きが鈍ったところへ、ガルドーさんが盾で体当たりをかます。
「らぁぁぁっ!!(くそっ、なんで俺は魔物相手に手加減しなきゃならねぇんだ!)」
巨体が揺らぐ。 今だ。
「『解体調理』スキル――神経締め!!」
私は岩場を蹴り、宙を舞った。 狙うは目と目の間。中枢神経が集まる一点。 ここを破壊すれば、身にストレスを与えず、一瞬で活動を停止させることができる。最高の「締め」だ。
私の手には、ドラゴ作の長細いピック(千枚通し)。
「美味しくなってね!!」
ズプッ。
手応えあり。 瞬間、クラーケンの巨体がビクリと震え、脱力した。 体色が赤黒い色から、透き通るような白へと変わっていく。 完璧な『活け締め』成功だ。
◆
数分後。 私たちは、倒したクラーケンの足を一本切り取り、岩場の上で調理を開始していた。 残りの本体は、ミシェルカの氷魔法で冷やしてある。
「……ルネ殿。まさか、これをここで食べる気ですか?」
キュイジーが青い顔をしている。 無理もない。この世界に「生魚を食べる」文化はない。
「当たり前でしょ。釣りたて、締めたて。これ以上の贅沢はないわ」
私は柳刃包丁を取り出した。 クラーケンの足の皮を、手でベリベリと剥ぐ。 現れたのは、水晶のように透き通った、美しい白身。
サクッ、サクッ、サクッ。
包丁を滑らせる。 繊維に沿って薄く切り、さらに細切りにしていく。 そう、『イカそうめん』だ。
岩の皿の上に、美しい半透明の麺のような刺身が盛られる。 横には、すりおろしたばかりの『本ワサビ』。 そして小皿には、琥珀色に輝く『醤油ポーション』。
「さあ、騙されたと思って食べてみて」
私は箸(木の枝を削ったもの)を三人に渡した。
「い、いくら師匠の頼みでも……生は……」 「俺は食うぞ! ルネの料理にハズレはねぇ!」
ガルドーさんは躊躇なく箸を伸ばし、たっぷりのイカを醤油につけ、豪快にすすり込んだ。
「んぐっ、んんっ……!?」
ガルドーさんが目を見開いて固まる。
「……あ、甘ぇ……!!」 「えっ?」
「なんだこれ!? 焼いた時より甘いぞ! ネットリと舌に絡みついて、噛むとコリコリ音がしやがる! それに、この醤油と、ツーンとする草が……!」
ガルドーさんは猛烈な勢いで次の一口へ。 それを見たキュイジーも、恐る恐る箸を伸ばした。
透き通った切り身に、ワサビをちょこんと乗せ、醤油を少しつける。 口へ運ぶ。
――ヒヤッ。 冷たい舌触り。生臭さは皆無だ。 噛みしめる。
クニュッ、プチッ。 弾力のある身が弾け、中から濃厚な甘みが溢れ出す。 そこへ、ワサビの鮮烈な辛味が駆け抜け、最後に醤油の塩気と旨味が全体をまとめ上げる。
「…………これは」
キュイジーが震えた。
「これは『料理』だ……! 火を使っていないのに、口の中で完成されている! 素材のポテンシャル、醤油のコク、薬味の香り。全てが計算された黄金比だ!」
キュイジーは空を仰いだ。
「私は今まで、火を通すことこそが料理だと思っていた……。だが、世界は広かった! 生こそが至高の調理法だったとは!」 「いや、全部が生でいいわけじゃないけどね」
ザバも恐る恐る口にし、そして泣いた。
「うめぇ……。俺たちの敵は、こんなに美味かったのか……。ちくしょう、酒だ! 誰か酒を持ってこい!」
こうして、地下湖の悪魔は、極上の『イカ刺し』へと変わった。 だが、まだ終わりではない。 湖の中央には、銀色に輝く巨大な影――『マグロ(本鮪)』が泳いでいるのだ。
「さあ、次は『大トロ』よ! 酢飯の準備はいい!?」
私の海鮮ダンジョン攻略は、まだ前菜が終わったばかりだ。




