第11話:殺人蜂の脅威と、黄金の『ハニートースト』
『キッチン・アトリエ』の朝は早い。 まだ空が白む前、私は厨房の石窯(幽霊屋敷に備え付けだったもの)の前で汗を流していた。
「うん、いい焼き上がり」
長い木製のパドルを使い、窯から取り出したのは焼きたての「食パン」だ。 この世界には、硬い黒パンか、パサパサの保存食しかない。 だから私は、マヨネーズ・スライムの『ポム』から分けてもらった油分と卵、そして少しの牛乳を使って、日本人好みの「ふんわり、もっちり」した白パンを開発していた。
――サクッ、フワッ。
試食用に端を千切って食べる。 小麦の香ばしさと、優しい甘み。幽霊スタッフ(包丁くん)が夜通し生地を捏ねてくれたおかげで、グルテンの形成も完璧だ。
「でも……何かが足りないのよね」
私は腕組みをした。 このパンは美味い。だが、これだけでは「モーニングセット」の主役には弱い。 冒険者や、あのワガママお嬢様を黙らせるには、もっと分かりやすい「背徳感」が必要だ。
「おはよう、ルネ。朝からいい匂いだな」
二階からあくびをしながら降りてきたのは、ガルドーさんだ。 彼は私の焼いたパンを見て、目を細めた。
「へぇ、今日は白パンか。これにオークのハムを挟むのか?」 「それもいいけど、もっと甘美な……脳が溶けるような甘さが欲しいのよ。ガルドーさん、この辺で『ハチミツ』って採れない?」 「ハチミツ?」
ガルドーさんの顔が引きつった。
「……あるにはあるが、やめとけ。森の奥のダンジョンに『キラー・ホーネット』の巣がある。あいつらは集団で襲ってくるし、針には麻痺毒がある。ハチミツなんぞの為に命を懸ける奴はいねぇよ」 「いるわよ、ここに」
私はエプロンを脱ぎ捨て、リュックを背負った。
「行くわよ、ガルドーさん。美味しい『ハニートースト』が食べたければ、私を守りなさい!」 「……マジかよ。俺、虫だけは苦手なんだよなぁ……」
◆
森のダンジョン。 そこは、ブゥゥゥン……という重低音の羽音に支配されていた。
「ひぃッ! 来た! ルネ、下がってろ!」
ガルドーさんが大盾を構える。 前方から現れたのは、子犬ほどのサイズがある巨大な蜂の群れ。 尻には凶悪な針が光っている。
普通の冒険者なら逃げ出す光景だ。 だが、私には「空飛ぶ金塊」にしか見えなかった。
「解体スキル、眼力強化!」
私の目には、蜂たちの動きがスローモーションに見える。 そして、彼らの巣の奥にある、黄金色に輝く粘度の高い液体も透けて見えていた。
「ガルドーさん、右! ミシェルカ(無理やり連れてきた)、ファイアボールで煙幕を作って!」 「わ、わかってますぅ! えいっ!」
ミシェルカが放った炎が枯れ葉を燻し、煙が立ち込める。 蜂たちが混乱している隙に、私は巣へと特攻した。
「失礼しまーす!」
巣の一部をナイフで切り取る。 断面からトロリと溢れ出る、琥珀色の液体。 指ですくって舐める。
「……んッ!」
濃厚。 花の香りが濃縮され、喉が焼けるほどに甘い。 スーパーで売っている水飴混ぜのハチミツとは次元が違う、野生の甘露だ。
「確保完了! さあ、ずらかるわよ!」 「お、お前なぁ! もっと緊張感を持てよ!」
私たちは怒り狂う蜂の大群から、ほうほうの体で逃げ出した。 戦利品は、壺いっぱいの『キラー・ホーネットのロイヤルハニー』だ。
◆
店に戻った私は、すぐさま調理に取り掛かった。
焼きたての食パンを、贅沢に4センチ(4枚切り以上)の厚さにカットする。 表面に、井の字に切れ込みを入れる。 これが重要だ。この切れ込みが、味の染み込む「ダム」になる。
フライパンではなく、あえて石窯の余熱を使う。 切れ込みの上に、たっぷりのバター(ダンジョンの牛系魔物から精製)を乗せ、窯へ放り込む。
――ジュワジュワジュワ……。
窯の中で、バターが溶け出し、パンの気泡へと染み込んでいく音がする。 表面がきつね色に焦げ、カリッとした食感に変わる頃合いを見計らって取り出す。
皿に乗せたら、仕上げだ。 先ほど命がけで獲ってきた『ロイヤルハニー』を、高い位置から回しかける。
トロォォォ……。 熱々のトーストの上で、黄金の液体が輝きながら流れる。 バターの塩気と、ハチミツの甘い香りが混ざり合い、湯気となって立ち昇る。
「完成。 『悪魔の厚切りハニートースト』よ」
私は試作品を、疲れ果てたガルドーさんとミシェルカの前に出した。 ついでに、濃いめに淹れた『ブラック・カフェ(木の実の煮出し汁)』も添える。
「……食っていいのか?」 「どうぞ。毒味は私が済ませたわ」
ガルドーさんが、分厚いトーストにかぶりつく。
ザクッ。 心地よい音と共に、表面の香ばしさが弾ける。 次の瞬間。
ジュワッ……!
パンの中央まで染み込んでいた熱々のバターとハチミツが、口の中で溢れ出した。 パン生地はふんわりとしていて、噛むたびに甘みと塩気の波状攻撃が来る。
「……ッ!!!」
ガルドーさんが目を見開き、言葉を失った。 ただ無言で、咀嚼し続ける。 そして、少し脂っこくなった口内を、苦味の効いたブラック・カフェで洗い流す。
「……最高だ」 ガルドーさんがボソリと言った。
「蜂に刺されかけた甲斐があったぜ……。この甘さ、疲れた体に染みやがる……」 「私も! 私も好きですこれ! ケーキより美味しいかも!」
ミシェルカも口の周りをハチミツだらけにして喜んでいる。
その日の朝。 開店と同時に『キッチン・アトリエ』には、「モーニング」目当ての冒険者たちが押し寄せた。
「おい、あの『黄金のパン』くれ!」 「俺は『ハニートースト』と『牛乳』だ!」 「甘いものは苦手だったが、これならいくらでも食えるぞ!」
甘い香りに包まれた店内は、戦場に行く前の男たちの、束の間の休息所となっていた。 そして、この噂を聞きつけたセリア様が、翌週の来店時に「まるごと一個食べる!」と言い出し、公爵を慌てさせることになるのだが……それはまた別の話。
私の店は、食事処としても、喫茶店としても、この街に無くてはならない存在になりつつあった。




