エッセイ書きは、ツッコミ気質か?
無から有を作り出すのが、小説だとすれば、エッセイは「日常に対するツッコミ」なのではないかと、ふと思う。
筆者は、完全にツッコミ気質だ。
いつも他人が気にならない部分にまで、興味が向かう。
そして、突っ込まずにはいられない。
サウナなどで、見知らぬ反社同士の会話にまで、思わず声を出して、突っ込んでしまうような人間なので、それはもう病気ともいえる。
ツッコミは、すでにそこにある流れに乗り、自分の見解を述べるだけなので、エネルギーはさほど使わない。すでに流れが存在するのだから。
しかし、ゼロから最初の流れを作るのは、ちょっと苦手かもしれない。
筆者が他人と会話を始めるとき、ほとんどの場合、「それ何なん?」などの質問形式から、無意識で入っていることに、この文章を書きながら気付く。
いきなり「さっき、こんなことがあってさぁ」みたいな入りは、自分からはあまりしない。大抵の場合、「どうしたん?」などの合いの手があってからのこととなる。
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小説を書くむずかしさ。
ひょっとすると、それは、この「入り」に使われるエネルギーからなのかもしれない。在りものにつっこむのなら簡単だが、ゼロからイチを始める「ボケ」のような気恥ずかしさは、なかなかに慣れるものではない。
自分のツッコミや批評に、ある程度の自負のある人間ほど、自分がボケるということへのハードルは非常に高い。これを克服しない限りは、小説を書くという行為は、極めて難しい。
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ここでひとつ、自分の気質に合った小説の書き方を検討する。まず思い浮かんだのは、冒頭でツッコミから入るというスタイル。
読者にボケをスルーされる前に、先に作者が欲しいタイプのツッコミ例を示すことによって、読者のリアクションに指向性を持たせるという、こずるい形式。具体例(=テンプレ)は、今ぱっと思い浮かばないが、これなら出来そうな気がする。
ボケが怖いのは、もちろんスベること。
小説におけるスベるとは、読者の無反応をいう。
だとすれば、「笑い屋」のような、リアクションへの誘い水としての「先出しツッコミ」を行うのは、ひとつの芸風(=作風)として、筆者にも合いそうだ。
―― と、こんなところで、唐突ではあるが、タイトル疑問をお題に「書きながら考える」という、いつものタスクも一旦〆とする。すこし散らかったままだが、それもまた、いつもどおりだ。
気付けば、エッセイばかりを書いている。