目 ←これで戦う
山際の崖沿い、舗装などされていない街道を馬が車を牽いて行く。
車輪が石に乗り上げる度に幌馬車が大きく揺れ、その中の荷もドタドタと動いた。同時に小さく悲鳴が上がる、そこに詰められているのは重い鉄の手枷を付けた子供たちだった。馬が運ぶ荷とは人間だったのだ。
その中に一人、襤褸を着せられた長いぼさぼさ黒髪の少女がいる。瞳もまた黒である。歳の頃は他の子供たちと同じく十二歳程度だ。寒村の両親から口減らしに売られた哀れな子だ。更に金髪碧眼の両親から何故か生まれた黒髪黒目ゆえに村では忌み子と迫害も受けていた。
垂直に近い岸壁から落ちた小石が数個、幌に当たってパタパタと音を立てる。黒髪の少女はそれを気にして、ふと上を見た。と、ガラガラと更に大きな音が、それが急速に近付いてきた。
ドンと、一際大きく幌馬車が揺れる。
落石だ。
ふわりと少女の身体が宙に浮かぶ。彼女の身は他の子供たちとは違って、まるで弾かれるように馬車の後ろからポンと吐き出されてしまう。一度地面に身体を強かに打ち付けて、そして少女の身は更に空中へと投げ出される。
崖だ、崖から落ちたのだ。
その高さは数十メートル、下は魔境とまで呼ばれる魔物の巣窟たる大森林である。落下しただけで当然に死ぬ、たとえ奇跡が起きて助かったとしても無力な彼女では魔物に食われて終わりだ。
絶対の死。
少女はそこへと放られた。
パチリと仰向けに倒れていた彼女は目を開ける。上体を起こして周囲を見回し、そして自分の身体を確かめた。落ちた衝撃で壊れたのか、重い手枷は砕けている。手も足も動く、ちゃんと立ち上がる事も出来た。いや、それどころか身体には傷一つ無い。相当な高さから落ちたにもかかわらず五体満足で無傷、奇跡だ。
しかし彼女は助かってなどいない。
ここは魔境だ、落ちてきた餌にはすぐに魔物が集まってくるだろう。
≪少女よ……虐げられ、運命に見放された哀れな子よ……≫
「?」
突然聞こえた女性の綺麗な声に黒髪の少女はキョロキョロと辺りを確認する。しかし声を掛けられる距離に人影はなく、暗い森の中には葉擦れの音と遠く魔物の咆哮しか聞こえない。
≪私は女神、貴女の脳内に直接語りかけています……≫
またも聞こえる不可思議な声。少女はそれを訝しみ、耳に何かが詰まっているのではないかと考えて、片脚でピョンピョン跳んでそれを排出しようとする。しかし当然、何も出てくる事は無い。
≪安心なさい、私は貴女の味方。救うために語りかけているのです≫
信じて良いのか分からない姿なき女性の言葉に少女は首を傾げる。彼女は迫害されてきた、他の誰かを無条件に信じる事などしないのだ。
≪辛い運命を変えるため、貴女には特別な力を授けました≫
少女の疑念など関係なく、女神は話を進めていく。
≪さあ、ステータスと口にするのです。さすれば、その力を確認できる事でしょう≫
「ステータス?」
聞き慣れない単語について聞き返す、しかしその言葉でそれは起動した。ブンという小さな音と共に少女の目の前、空中に四角い何かが出現する。それは白い枠線で囲われていて薄い青色、縦に長い四角は三段に区切られていた。ステータスウインドウである。
上の枠の最上部には彼女の名、スティが表示されている。その後ろに家名のようにタスワクとあるが、これは彼女が生まれた村の名だ。つまりはタスワク村のスティである。
続いて下に年齢、12歳。忌み子と蔑まれながら親がここまで育てたのは、人買いに売って金にする為であった。苛烈な迫害によって肉体の発育は悪いが顔立ちは悪くない、適当に食事を与えて育てれば娼館で客が取れる程度にはなるだろう。そう考えられて多少の金と引き換えに幌馬車に載せられたのだ。
次は身長、135cmだ。同年代の少女と比べるとかなり低い。ずっと粗末な食事しか与えられなかったがゆえに、正しく成長出来なかったのである。
二つ目の枠に視線を下げる。
レベルという見慣れない文字があった、その隣には1が表示されている。
≪様々な経験を積む事で、貴女はレベルアップするのです。世界の常識を超えた力、それがステータスなのです≫
「ふぅん」
女神の言葉がよく分かっていないのか、少女はそれだけを言ってステータスウインドウに視線を戻した。
HPは100、MPは22。
力が3に魔力が7、体力9で素早さは8。
今までの身の不運を表す様に、運は最低の1であった。
三つ目の枠。
そこには装備とスキルという文字がある。
装備は襤褸布ワンピース。今現在スティが着ているボロキレの事だ。
スキルは身体能力強化(超特大)と異世界文字理解。
高い崖から落ちても無傷で鉄の手枷を無意識に破壊出来たのは前者のおかげ、見た事も無い文字で書かれたこのステータスを読めるのは後者のおかげであるようだ。
※能力やスキル等に関する不明点は、
顧客相談窓口の女神までお問い合わせください。
という注意が一番下に書かれていた。
全てを見て、それでも良く分からずにスティはステータスウインドウに手を伸ばす。板のようなそれは触れる事が出来、持って動かす事も出来るようである。消えろと念じれば消せて、もう一度ステータスと口にすれば出現させられる。
そんな事をしていると。
≪魔物、ゴブリン1体です。貴女に授けたステータスがあれば敵ではありません、斃して経験値を得てレベルアップするので―――≫
「えいっ」
≪え≫
襲い掛かろうと駆けてくる、スティと同じくらいの背丈の緑色の人型魔物。女神がその出現を察知して少女に戦うように指示を出す。その言葉が終わるよりも早く、彼女はたった一つの武器、ステータスで立ち向かった。
具体的に表現すると。
ステータスウインドウを投げつけた。
強化された腕力で投げられたそれは一直線に魔物へと飛んでいき、そして。
「グギャッ!」
ゴブリンの顔面に深く深く突き刺さった。
おめでとう!
スティ は レベルが 2 にあがった!
≪え、ちょ、ナニソレ、私その機能知らない≫
言われた通りにちゃんと『ステータス』で戦った少女。
しかし何故か、どうしてか、女神は困惑したのだった。