建速素戔嗚之尊
ド…
ノリトに撃たれた箇所の反対側の胸、心臓の上を何かが叩いた。
撃たれたせいで、俺は気を失っていたらしい。
最後に見たのは、スズがノリトに向かって歩き出すところだった。
目を閉じたまま、俺の意識だけが戻った。
クソッタレ…どれだけ経ったか知らねえが、どうやら俺はまだ生きている。
だったら、もうノリトはスズに殺られちまったのか?
ノリトなら、俺の意識を起こす必要はないからな…
俺が確かめようと目を開けた時、
ドサ…
柔らかくて熱くて重い…
紅い身体が俺に覆いかぶさった。
「がっづうや…」
その喉からは、ほとんど声になっていない呻きで、俺の名が漏れる。
その目は、俺と視線が合った瞬間、ぼろぼろと涙を溢れさせて…
そこしか動かせなくなった右腕は、血で真っ赤に染まった手の平で、ゆっくりと俺の頬を撫でて…
「…スズ?」
「ぎょがっ…だ…いぎっでっ…だいぶっ…がっがはっ…わだ…げっ…」
耳には呻きにしか聞こえないソレは、不思議と頭の中ではっきりと声になる。
『よかった…まだ生きてた…大丈夫、私が守ってあげるからね』
震える唇を、無理矢理に笑うように歪めて、そしてそのままの顔でスズが俺の身体の上にゆっくりと伏せた…
「スズ…」
いつの間にか、俺の頬を撫でていた手が、床の上にある。
あれほど熱かったスズの身体が、だんだん冷えていく…
「スズ?」
そういえば、スズは俺の上にいるのに、スズが俺の名前を呼んだ後から…
イチドモ、コドウガツタワッテコナイ…
俺はゆっくりと身体を起こして、自分の体が自分のものじゃない感覚を覚えた。
血が出過ぎたのか、撃たれた傷は痺れるだけで痛くない。
だが、全身の感覚が麻痺してしまっている。
その感覚が、俺に残された時間が少ない事を教えている。
それでも、細かく痙攣する手を動かして、スズの頭を抱きかかえる。
「スズ…心臓が動いてねぇぞ…」
不思議と声だけは、驚くほど自然に出た。
心臓が動いてない、か…もうちょっとマシな言葉を掛けてやるべきなんだが、何も浮かんでこなかった。
自分の口から出た言葉に悪態をつく。
そしてスズの顔に涙が落ちて初めて、俺は俺が泣いている事を知った。
「涙…か…そういえば、親父が死んだ時以来だな…自分が死ぬ時になって、もう一度流す事になるとは思わなかった」
死ぬ、という言葉をくちにして始めて…
俺がどうしてスズにあんな言葉を掛けたのか気付いた。
俺は、スズが死ぬ事を認めたくなかったんだ…
だから、あんな言い方を…
スズは、このまま死ぬのか?
その事を、その事実をハッキリと意識した瞬間。
その時初めて…
俺は、腹の底から己の死を拒絶した。
死ぬ事に対して恐怖したからじゃない。
生憎と、そんな常識は持ち合わせていない。
俺が死を拒絶したのは、俺がそれを許せないからだ。
スズをこのままにして、俺が死んでしまうというのなら、そんな事は許さない。
俺はこのまま死のうとしている俺を、許す事などありはしない。
スズを抱えていた腕の痙攣が止まった。
麻痺していた全身の感覚と、激痛が戻る。
だが今は痛みなどどうでもいい…そんな事は関係ない。
今の俺は、スズが死ぬ事に対する怒りと、このまま死んでいくスズを助けたいという狂った意志しかなかった。
「スズがその心臓を止めてなお、俺を庇おうとしたのならば、俺もスズの為に…俺という存在の全てを賭けてやる…」
ビキッ…ガシャン
ノリトの持っていた壺が割れるのと、不遜な子供の声が部屋に響き渡るのが同時に聞こえた。
「その願い…我が叶えてくれよう!
ようやく己の意志を取り戻したか!
待ちかねたぞ、カツヤ!」
いつの間に部屋に来ていたのか、ミコトが俺に近づいてくる。
やがて俺の側まで来たミコトは、ゆっくりと片膝をつき、まともに身体を起こせていない俺と視線を合わせる。
「ミコト、今のは本当か?
スズを助けられるのか?」
「出来ぬ事は口にせぬ。
それと、我はミコトではない。
己の意志を取り戻したうぬを、我は認めたが故にカツヤと呼ぶのだ。
我も名を教える故に、この名で呼ぶが良い」
言われてから、ミコトが初めて俺の事をカツヤと呼んだ事に気付いた。
「我が名は、建速素戔嗚之尊!
我はただ、我が意のままに奮う暴威の神にして、我よりも強き意志を持つ者の神なり!
牛若の為に壇ノ浦にて潮の流れを変え、吉法師の為に桶狭間にて大雨を降らせ、今はカツヤの為にスズの命を助けよう!」




