幼き頃のスズとカツヤ…1
スズは生まれてからずっと、研究施設の中で暮らしていた。
普通の子供達のように保育園に行ったり、大勢で遊ぶ事はなかったが、別にそれはスズにとっては関係無かった。
そもそも、そうやって何人もの子供達が遊ぶのを見る経験が無いからだ。
知らなければ、さみしいと思う事もない。
スズには、父親代わりとして可愛がってくれる研究者が居て、遊び相手にはカツヤが居た。
カツヤは住み込みで働いている研究者仲間の子供で、いつも研究施設の中で遊んでいた。
カツヤとスズが一緒に遊ぶようになったのは、2人にしてみれば自然な事だったが、研究者達にとっては計画の一環でもあった。
スズの人格をできるだけ人間として留めておくには、親代わりになる人間だけではなく、同年代の子供とのコミュニケーションも不可欠だからだ。
始めのうちは、スズと遊ぶ度にカツヤは怪我をした。
身体能力が違い過ぎるのだから当然の事で、例えれば加減を知らない恐竜の子供と人の子供が遊ぶようなもの。
恐竜の子供は戯れているつもりでも、ほんの少し爪を立てただけで怪我をさせてしまう。
チャンバラをするにしても、デコピンをされるだけでも、スズは楽しそうに…しかしカツヤの本音としては本気で怖かった。
(この頃にカツヤのスズに対する恐怖が、本能レベルで植え付けられたのかもしれない…)
そんな事になれば、自然とカツヤはスズに近づかなくなる。
遊ぶ度に自分に怪我を負わせるヤツなんかと、遊んでなんかいられない。
でもスズとしては、自分と同じ子供であるカツヤにどうあっても遊んで欲しかった。
自分がカツヤと普通に遊んでも、カツヤだけが怪我をしてしまう。
だからスズは、自分の力をコントロールする事を身につけなければならなかった。
どれぐらいの強さならば、手を握っても大丈夫なのか?
どれぐらいの力なら抱き着いても平気なのか?
どれぐらいの速さで走るなら、一緒に転んでも泣いてしまわないのか?
何度も失敗して…
何度も泣かせてしまって…
何度も怒らせてしまっても…
それでも、その度に一生懸命考えて、一生懸命悩んで…
「だいじょうぶ?
いたくない?
おこってない?」
何度も聞いて、何度でも確かめて…
そして遊び終わる時に、
「またいっしょに遊んでくれる?」
不安と心配でいっばいになりながら、スズがそう聞くと、
「うん、いいよ」
困ったように首を傾げながら、それでもカツヤは必ず頷いていた。
怪我をした時には、もう一緒に遊びたくない…と思うのに、次の約束をする時のスズの顔を見ると、約束しないと泣き出してしまいそうで…
その顔をみる度に、スズが泣くのは絶対に嫌だと思ってしまうから…
そして、カツヤが怪我をしなくなって…2人が6歳になる年に、そんなスズの努力とカツヤの我慢を、台無しにしてしまう出来事が起こってしまう。
午前中は検査を受け、それが終われば午後からはカツヤと遊べる。
これがこの日のスズの予定だった。
検査を終えてカツヤの所に行き、今日は何をして遊ぼうか…と2人であれこれ考えている時に、研究施設全体に警報が鳴り響いた。
それはいつもやっている、何でもない実験のはずだった。
町の中で捕獲しておいた小型犬程の大きさの魔獣に、開発した薬物を投与して、その経過を観察する。
薬物を投与し始めて3分が経過した時、計測器の異常な数値に観察員の1人が目を疑った。
通常の四分の一の時間で、反応数値が20倍以上に至っており、なおも急激な温度上昇と細胞分裂が絶え間なく起こっている。
普通は計測器だけを見ているだけの観察員が、それを確かめようと実験体の魔獣に視線を移すと、その大きさは既に元の倍近くにまでなっていた。
呆気に取られながらも担当主任に連絡し、その指示に従って直ちに薬物の投与を中断。
しかし、魔獣の反応がすぐに治まるはずもなく、人間の大きさを上回ったその身体はあっさりとゲージを内側から破壊し、なおも大きさを増している。
咄嗟に麻酔弾を撃つが、効果無し。
やむなく警備員を呼ぶ…
警備員が駆けつけた頃には、魔獣の体長は2mを超えたところでようやく止まっていた。
そこからは、ただの惨劇、あるいは悲劇。
魔獣は一番近くに居た警備員を視界に捉えると、次の瞬間にはその警備員を砲弾のように弾き飛ばす。
ジャンプしただけの体当たり。
しかしその脚力と破壊的な威力は、あつさりと警備員の命をその体から奪い取る。
恐怖感だけで銃の引き金を引き続けるもう1人の警備員の体を、払い除けるようにして引き裂いて。
観察員は首と右腕を引き千切られて…
残った1人は腸を喰われる。
1分足らずで、そこに立っているのは魔獣だけ…
そして魔獣は、急速な成長に伴う激痛と、それと同じだけ溢れてくる破壊衝動を発散させるべく、次の標的を求めて走り出した。
スズとカツヤは、その惨劇と原因を知らない。
ただ、警報が鳴るのはとても良くない事が起きた時だけ、というのは知っている。
だから2人は相談し合って、別々にそれぞれのお父さんを探す事にした。
カツヤが自分のお父さんを見つけた時には、もうその体は二度と動かなくなっていた。
カツヤがその体を掴んでも、もうその手を握り返す為に父の手が差し出される事は無く…
カツヤがどんなに呼びかけても、返事を返す為に父の喉が震える事はない…
自分の足を父の血が浸していくにつれて、父の体は冷たくなる…
スズがお父さんと呼んでいた人を見つけたのは、通路の曲がり角。
そこを曲がろうとした時、そのお父さんの体がコンクリートの壁に叩きつけられるのを見た。
「おとうさんっ!」
スズはその崩れ落ちる体にすがって叫ぶ。
でも、その体にはもう力が入らないのだろう…
スズの肩を抱く事もない。
ただ僅かにスズを見上げるように顔を上げ、そして小さく笑ってから、声にならない声で、
「ごめんな…」
震える唇を動かして、やがてその瞼が閉じられる。
その瞼がもう開く事は無いのだと、スズがすがりつく体の重みが否応無くスズにそれを理解させる。
「ううっ…ぐうえっ…くううぅああああああああああっ…!!」
スズの顎を流れていく涙は、とてもあつかった。
何も聞こえないほどの声で泣く。
何もかも歪むほど涙が溢れてくる。
歪んでいるのは目の前の壁なのか、それとも自分の心なのかも分からない。
だから…
カチャカチャカチャカチャカチャ…
スズの背中の正面に、その音が止まったのも、唸りを上げて自分を襲うその爪も、スズは分からなかった。
ザシュ……ドタッ
自分の身体が壁に叩きつけられて、スズはようやく気がついた。
今自分は、通路の反対側の曲がり角、さっき自分が走って来た曲がり角まで弾き飛ばされた。
しかも、ただ弾き飛ばされたのではなく、魔獣の爪で身体を裂かれながら飛ばされた。
「いっ…たいっ…」
(ほっぺたと…せなかと…かたと…あしが、いたい)
スズの身体の右半分は、顔から膝に至るまであちこちから血が出ている。
その起き上がったスズを見た魔獣が、喉を鳴らしながらゆっくりと近寄って来る。
この爪で弾き飛ばして、それでも起き上がったヤツは始めてだ…と、まるでそう言っているように、嬉しそうに…
「あのおっきなの…」
ふらふらとする視界と頭で、こっちに来る魔獣が自分を怪我させたのだと、スズが思ったのと同時にもう一つ、
「おとうさんを、ケガさせたのも…アイツ」
それを理解すると同時に、スズはいきなり走り出す。
もう、身体の怪我なんて関係ない…
痛みも、血が出ているのも頭から消えていて、
「ああああああああああああああああああっ…!!」
空気を引き裂くほどの叫びを上げながら、目の前の魔獣に向かって全力で駆ける。
魔獣は向かって来る小さな身体を見て、いっそう嬉しそうに喉を鳴らす。
そして、勢いよく飛び込んでくる獲物目掛けて爪を振り下ろして…
ズギャッ…
魔獣が異変に気付いた時には、もう遅すぎた。
何人もの身体を引き裂いた爪は、その太い腕ごとそれ以上の力で叩き折られ、それを魔獣が認識するよりも速く、
ドゴォッ!
2mを超える魔獣が、容赦無い力でコンクリートの壁にめり込む。
さらにその脚を掴まれて、壁から無理やり引き剥がされて、
ゴォンッ!
床に一瞬にして放射状にヒビが入るほどの速さで、叩きつけられた。
魔獣の反撃など一切許さない、異常としか言えない悪魔的な暴力。
魔獣の身体はもう、ビクビクと痙攣しかしていない。
それでもスズは止まらない。
「おまえがっおとうさんをっ…!」
ガゴンッ!
スズの拳が、魔獣の頭を潰す。
床にはもう一つ放射状のヒビが入り、魔獣の頭蓋骨の破片と脳症がバラバラの破片となって壁に飛び散った。
そこでようやくスズは止まり、引きずるような足取りで父と呼んでいた人の側まで歩いて行き、ぺたりと座り込んだ。
「…アイツはやっつけたよ…おとうさん…
でも………なみだがとまらないの……」
スズはそのまま、涙が出なくなるまで泣き続けた…




