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ビーチャ

 姿を見せた一人のミューズ人女性に、テラスに席を取っていた客たちの視線が釘付けになる。


 ほっそりとした柳のような身体つきに、紅茶にミルクを一滴垂らしたような浅黒い肌をしている。それほど背は高くないが、見事なプロポーションと、長い手足がミューズ人の背を数パーセントは確実に高く見せている。

 真っ直ぐな眉、彫りの深い顔立ちに神秘的な黒い瞳をしている。卵型の顔はややあどけないが、大股で歩くミューズ人は全身から自信を漲らせているようだ。


 ミューズ人の遺伝子は慎重な組み合わせにより、天性の芸術家としての才能と、どの〝種族〟にも美と感じさせる外見を実現している。


 ミューズ人女性は真っ直ぐ少年のところへ向かっている。


 こつこつ……と、ヒールの足音だけがしーん、と静まり返ったテラスに聞こえていた。ミューズ人は少年の前に立ち止まり、じっと見つめた。


「お待ちどう……パック。待たせたかしら?」

 形のいい唇から言葉が押し出された。聞いているだけでうっとりと聞きほれるアルトの声調であった。


 パック、と呼びかけられた少年の顔が真赤に染まった。ぶるん、とパックは急いで首を振った。

「い、いいや……待たせたなんて、そんな! たった今、席に着いたばかりだよ。それに……とても綺麗だよ、ビーチャ……」


 最後の言葉は躊躇いがちに発せられた。しかしビーチャと呼ばれたミューズ人女性は艶やかな笑みを浮かべた。

「そう! 嬉しいこと……で、お話って、何かしら?」

 するりとビーチャは、パックの正面に座る。

 肘をテーブルにささえ、細い指を組み合わせる。両手の指先は念入りに爪先を磨がれ、偏光性を与えられてピンクに輝いていた。


 さっとパックは俯いた。

 肩が大きく動き、内心の動揺を表していた。


 ビーチャは促した。


「言いなさいな、パック! いつまでだんまりじゃ、分からないわ!」

 激しい言葉にパックは顔を上げる。目に決意が現れる。


「ビーチャ、おれと結婚してくれないか?」

 ビーチャは驚きに目を丸くした。その表情の変化によって、ビーチャの本当の年齢が顕わになったようだった。

 ごくり、とパックは唾を呑みこんだ。ビーチャの返事を待っている。


 溜息をつき、ビーチャは物入れから細い煙管を取り出し、先にシガレットを挟んだ。ぱちりと音を立てライターに火を点けると、一息ふーっと吸い込む。

 はーっ、とビーチャの唇から紫煙が吐き出された。

「本気なの?」

 ビーチャは問い返した。パックは大きく頷く。

「もちろん! 本気さ! ちゃんと考えてあるんだ。その……生活設計ってやつさ!」

 ビーチャは、微笑んだ。

「聞かせて」


 パックは勢いづいた。のめり込むように話しを続ける。


「金を貯めたんだ! 個人用の宇宙艇の頭金くらいはある! これで宇宙艇を買って、メッセンジャーシップの船長になる! この洛陽シティから遠方の星系に行けば、差分の情報料だけで充分、月々の払いはできる。宇宙艇なら、おれと君が乗り込んでも生活できるくらいの設備はあるから……」

 ビーチャは手を挙げ、パックの長広舌をストップさせた。首を振り、また溜息。

「パックたら……そんな夢のような話を、あたしに信じろって言うの? あたしにこの洛陽での仕事を放り出して、あなたに従いていけと言うの?」


 たちまちパックの自信が空気の抜けた風船のように萎む。上目遣いになって囁く。


「駄目かい?」


 困ったような表情がビーチャの顔に浮かんだ。どんな時も余裕を失うことの無いミューズ人には珍しいことであった。どう言おうか考えているようだ。


 やがて煙草をしまい、ビーチャは改まった口調で話し出した。

「パック……あなたは、あたしのお友達だわ。あなたはいつも、あたしに親切だったし、一度だってあたしの信頼を裏切ることは無かった……でも、やっぱり、あなたはお友達なの。結婚となると、それ以上の関係になる必要があるけど、あたしにはあなたに、そこまでの関係を築く一歩は踏み出せない。分かって下さるかしら?」


 諄々と諭すビーチャに、パックはがっくり目を落とした。膝に乗せた両手が固く握り締められている。


「おれが原型プロトタイプだからかい? 君はミューズ人の〝種族〟で、おれは遺伝子が祖先そのままの原型だ。それが理由か?」

 パックの口調は呻きに近かった。声に苦悩がありありと表されている。

 ビーチャの眉が微かに顰められた。そんな表情を浮かべているのに、ビーチャの美貌は微塵も崩れてはいない。


「パック……」


 だん! とテーブルを叩き、パックは立ち上がった。その派手な音に、テラスの雑音が、ぴたりと止まった。

「判った! 君に信じさせてやるさ! いいか、ビーチャ。おれは、必ず宇宙船を手に入れて君に見せてやる! そうしたら、おれの決意が判るだろう?」

 ぶるぶると両手が震え、パックはポケットから小さな包みを取り出した。その包みを床に投げ棄てる。

「こんなもの!」

 包みが開き、中からケースが転がり出た。ケースの蓋がぱかりと開き、中から小さな指輪が覗いた。

 ビーチャの指のサイズに合わせた婚約指輪であった。

 くるりと背を向け、パックは大股にその場を離れて行った。

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