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第30話「怜悧の魔術にご刮目ください」

 長い一瞬だった。それから、世界から音が消えた。


 瞬きを、したのかもしれない。最初に目に入ったのは、淡く薄い、青の光の照り返しだった。理解できずに後ずさると、ようやくその全貌が視界に入った。

 眼前、それこそ数十センチも離れていない距離に、人の背丈を超えるほどの巨大な氷の柱がそびえ立っている。巨大な獣の牙を思わせる形状のそれは、襲撃者の女性を完全に封じ込めている。彼女の手にした鋭い刃は、俺の脇腹に触れることなく、透明な氷の壁に阻まれて宙に浮いていた。


 パン、と乾いた音がした。運動会の徒競走で用いられるスターターピストルのような何か。それで俺の意識はもう少し現実に引き戻された。


 助かった、のか。

 安堵と同時、空気が急激に冷え込んでいるのを感じた。思わず吐いた息は、春の日差しに白く輝く。思わず身震いが走ったのは、危うく死にかけたという実感と唐突に発散された低温との複合的な要因によるものだろう。


「お怪我はありませんか」


 静かな声に振り返ると、優雅にこちらへ歩み寄るレフィーヤの姿があった。銀色の髪が朝の光に揺れる。仄白い肌に湛えられた表情は変わらず揺らぎ一つなく冷静で、まるで先刻の生命の危機などなかったかのように錯覚しそうになった。


「レフィーヤ、さん……なぜ、ここに?」

「守衛室に、鍵を返却に」


 彼女は簡潔に答えると、俺の傍ら、青白い光を反射する巨大な氷の牙に視線を向けた。つられて俺も改めてそれをしっかりと観察した。


 氷の檻の中で、襲撃者の女性は意識を失っていた。肩より少し上くらいの長さの黒髪は刺突の勢いのまま宙になびいており、その動作の一瞬を切り取られて氷の中で静止している。ゲームセンターのUFOキャッチャーの景品のフィギュアでこういう躍動感溢れる造形を見たよな、と緊張感のない記憶が想起された。

 年齢は30代半ばといったところか。その表情からは何も読み取れない。感情が抜け落ちているようにさえ見える虚ろさは、氷塊に捕われたことに起因するのか、それともそもそもこの表情で俺を襲ったのか。先程、突然攻勢に転じた際の滑らかで素早い身のこなしから熟練した戦闘技能者を想像していたが、身なりといい身体つきといい、普通の女性にしか見えない。


「――これは、あなたが?」

「はい。私の魔術です」


 氷の魔術、ということになるだろう。しかし、あの一瞬でこれほどのことが実現できるものだろうか。氷塊の高さは優に2メートルを超え、人間一人を優に閉じ込めるだけの体積を保持している。発散される冷気は、極度の低温が今なおその空間を支配していることを示し、極低温に曝された襲撃者の脳が即座に意識を手放したことは想像に難くない。これほど巨大で精密な構造物を一瞬で作り出すのは、アキルの持つ一般的な魔術や魔術師の知識に照らす限り想像を絶する技量といえる。


 街中から、がちゃがちゃと軽装鎧の装具が触れ合う音とともに慌ただしい足音が近づいてくる。二人組のその装いから、王務局治安課の衛兵たちが駆けつけてきたのだと悟った。であれば、先程の乾いた発砲音は、事件の発生を知らせるものだったらしい。これほど素早く駆けつけてくるところを見ると、俺が気づいていなかっただけで信号弾か何か打ち上げていたのかもしれない。

 彼らは巨大な氷の牙を視認して怪訝そうな表情を浮かべたが、レフィーヤの姿を認めると慌てて敬礼の姿勢を取った。左手の親指を立てて胸の中心に突き立てるような「真鍵」(しんけん)と呼ばれるエデュカシアにおける正式なサルートである。

 軍務課とは所属が違うだろうに、やはりというべきか彼女は有名人であるらしかった。


「どのような状況でしょうか」

「こちらの――PTA会長に対する襲撃がありました。実行犯は、ここに」


 レフィーヤが、なお冷気を放っている氷の塊を視線で示す。至近距離から氷を検めた衛兵たちは、中に人がいることに気づき一瞬固まった。そりゃそうなるよ……。しかし流石というべきか、すぐに落ち着いて職務に戻った。


「生きて……いるのですか?」

「ええ。気を失っているだけでしょう」

「承知しました。捕縛して連行します。その――氷を解除していただくことは可能でしょうか」

「無論です」


 レフィーヤはそっと目を伏せる。彼女が特に何かをした様子も見えなかったが、変化は劇的だった。氷の表面に無数の細かなヒビが走り、透き通っていた美しい氷全体が一瞬で乳白色に変化した。続いて乾いた破裂音とともに衝撃が走り、巨大な氷の全体が一気に真っ白な蒸気状の霧となって空間に散る。気化熱を奪われたためだろう、周囲が急激に冷え、その冷気によるものか地面に霜が降り、いくつかの美しい結晶を描いていった。

 氷が、液体を経ず一気に水蒸気に状態を遷移させることを確か昇華と呼ぶんだっけな、と場にそぐわない中学生だかの頃の知識がふと頭を過った。


 支えを失って倒れようとする襲撃者の身体を衛兵の一人が慌てて支えた。その冷たさに狼狽しつつ、相棒に合図して素早くその両手を後ろに回し、革紐で八の字に縛って拘束していく。よく訓練された手際の良さだと感じた。


「ご協力に感謝します」


 衛兵の一人が俺とレフィーヤに対し――恐らくは主にレフィーヤに対し――再度「真鍵」のサルートを行い、感謝を示した。

 それから程なく衛兵の応援が駆けつけ、周囲を見聞し始めた。何か事情を聞かれるだろうかと身構えたが、レフィーヤの存在のためか詳細な状況の確認等はスキップされるような空気だ。彼らは増援の兵士が持参した布製の担架に襲撃者を載せようとして、あまりのその冷たさに四苦八苦している。


 俺はレフィーヤに向き直った。


「ありがとうございました。あなたがいなければ俺は――」

「職務です」


 レフィーヤは俺の言葉を遮った。


「PTA副会長として、会長の安全を確保するのは当然の責務です」

「それでも」


 そのようなことを言われるだろうことは大体予想がついていた。それでも言わなければならない。


「ありがとうございます。あなたに救われました」


 俺はしっかり彼女の目を見て告げ、それから深く頭を下げた。

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