第21話「PTA役員会にご参集ください」
「じゃあ行ってくるけど、みんな遅刻しないようにな」
支度を終え、家族に軽く手を振ると、「行ってらっしゃい」の声に送られて俺は自宅を発った。今日は家族で一番早く家を出ることになったが、何だか新鮮で悪くない。朝の冷え込みに小さく身を震わせ、いつもの路地を早足に抜けた。
PTA役員会は、いわゆるPTA役員――会長、副会長、会計、書記――と、PTA各委員会の委員長を招聘して開催される。この点は、俺のよく知る日本のPTAと同じだ。もっとも、その内容についてはほとんど知らされておらず、自宅に投函された書面で今日の日取りと時間、出席者、それからPTA室で催される旨が伝えられたのみであった。
なお、現在は3月の下旬で、翌月4月から学校の新年度が始まる。この点も日本の学校制度と同様なので、今回の役員会は恐らく新年度役員の顔合わせと、今後のPTA活動についての確認が主な議題になるのだろうと予想している。
しかし、まだ人もまばらな朝の街を歩くのは気持ちがいい。アキルの記憶と自身の経験とが合わさり、すっかり馴染んだ王都の道は整備と掃除が行き届いている。学校へは、王城方面への目抜き通りを上っていく経路になるが、昼間の混雑が嘘のように人の密度が低かった。公共交通機関であるワンコとニャオのバスとたまにすれ違う程度だ。もう数十分もすれば、通学・通勤のために急激に混み合うことになるだろう。住む世界を移してさえ、通勤・通学ラッシュという概念が厳然と存在するというのは少し切ないものがある。
改めて感じるのは、やはりこうした人流による混雑は仕組みや設備の考慮不足に起因するということだ。人の集まる先が一極に集中しており、そこに至る経路に十分なキャパシティがない状態では、人流が滞り、つまりは混雑や渋滞が生じる。そもそもは王城の周辺に官庁や学校などの主要施設を集中させることで、物理的に中央集権的な国家システムを構築する意図があったのだろう。しかし人口が急激に増加し、社会が複雑化する現状に対して、仕組みのアップデートが追いついていない。この問題だけではなく、諸々のひずみが生じ始めているように思える。現代日本におけるパブリックコメントのような、何か投書の制度みたいなものがあれば是非献策したいところだ。
ちなみに、「PTA会長は命を狙われる」という件、初日に学校を出ていきなり襲撃されて以降は、すっかり鳴りを潜めている。少なくとも俺が気づくことのできた範囲では、ということになるが、常時展開している「会長の指輪」の防御を警戒した結果ではないかと踏んでいる。
指輪の防壁は、外部から俺に対する直接的な攻撃を完全に自動的に跳ね返してくれる。実は、クナや子ども達、職場ではリヴィに協力してもらい、指輪の効果の検証を続けている。これにより、防壁について様々な仕様の詳細が明らかになったが、語り出すと長いのでいつか書面に起こしたいと思っている。
それから、この会長の指輪についてはクナによる追記、正にアップデートとも呼ぶべき変更が、実にいい仕事をしている。俺がこの世界で目覚めたその日の夜、魔術彫刻師であるクナが、燐刻刀と呼ばれる道具で魔詩に修正を加えてくれた。おかげで、それまで指輪を中心に半径1.5メートル固定の球状だった防壁の範囲を、俺の意思で自由に拡縮できるようになったのだ。寝るときは家全体を防壁で覆っているし、職場でじっとしているときには周囲に迷惑がかからないように最小限に展開して省エネルギーを図っている。なお、自分としては、さほど魔力――すなわち生命力の消費を感じないため常に防壁を維持している状態だが、この常時発動の事実を知ったリヴィが何かとんでもないものを見る目で凝視してきたので、何となくこの事実は周囲に伏せることに決めた。
様々なことに思いを馳せながら歩いていると、すぐに学校の巨大な門が見えてきた。石造りの壮麗な門が守るのは、エデュカスコラ――三人のうちの子ども達を含む、全校生徒約千人が通う王国最大の学び舎である。
門横の守衛所で受付をする。出迎えてくれたのは、前回と同じ初老の男性だった。胸に付けたプレートには「守衛 クラントン・ボルム」と表記されている。
「ボルムさん、おはようございます」
「おはようございます、アキルさん」
ボルムさんは親しげに微笑んで挨拶を返してくれた。前回はあまり人を見る余裕もなかったが、すごく温かい人だと感じる。恐らく子ども達にも好かれているだろう。
受付の用紙に前回同様に記載しながら、俺はボルムさんに話しかけてみた。
「ボルムさん、お早いですね。少し早く着き過ぎたかなと思ったんですが」
「物資や資材の搬入で、早朝の来客があることもあるんです。私はこちらに住まわせていただいているので」
住み込みだったのか。多少時間が早くても苦にならない、という意味だろう。
「そうだったんですね、いつもありがとうございます」
「いえいえ、好きでしている仕事ですから」
カイ・アキル。PTA役員会議に出席のため。
受付名簿にしたため、ボルムさんと少し言葉をかわした後、PTA室の鍵を受け取って入校した。鍵はずっしりと重く、日本の小学校で扱っていたプラスチック製キーホルダーのついたシリンダー鍵とは大きく異なっている。重責を暗示しているようで少しだけ不安感を掻き立てられるが、知らないふりで歩みを進めた。
「ああ、そういえば」
背後からボルムさんの声が追った。振り返ると、表情の皺を一層深くしてにっこりと微笑んでいる。
「中庭のサクラが咲き始めたんです。もしお時間ありましたら、ご覧になっていってください」
サクラ、つまりは桜。アキルの記憶によれば、学校に一本だけ、中庭に植えられているらしい。日本で最もポピュラーなソメイヨシノとほぼ同種と思われ、春に生徒や教員の目を楽しませているそうだ。
ちなみに、エデュカスコラの校舎はほぼ正方形の巨大な建造物であり、中心に中庭を含む、運動場・演習場を兼ねた広い敷地を有している。そういえば日本の学校でも、都市部ではたまにこうした作りのものを見かけることがあるな。規模はだいぶ違うけれど。
ボルムさんにお礼を告げその場を後にしたが、俺が鍵を預かっているのだからまずはPTA室に向かうべきだろう。前回の自身の記憶とアキルの記憶の双方を頼ることで、PTA室にはあっさりたどり着くことができた。
現在の時刻は7時半。集合時刻は8時だが、役員会の出席者は10名程になるので、早い人はそろそろやって来るかもしれない。どこに座るべきか分からず、室内をうろうろしながら歴史ある調度品に思いを馳せる。そういえば数枚の絵画が壁にかかっているが、どういう経緯でここに飾ってあるんだろう。
数分もそうやって過ごしただろうか。不意にドアがノックされ、反射的に「どうぞ」、と声を返した。
「おはようございます」
重いドアを押し開いて現れたのは、目の覚めるような銀髪の女性だった。長い髪を結い上げ、ブレザーのようなかっちりとした服装をした彼女は、非常に整った顔立ちが印象的だ。色素の薄い目が俺を捉えると、少し見開かれたように見えた。
「おはようございます。はじめまして、新しく会長を務めることになりましたカイ・アキルです」
笑顔を見せ、初対面の挨拶をするが、女性の目がすっと細くなる。…………あれ?
「前会長から伺って存じております。私は一昨年より副会長を務めているシン・レフィーヤと申します」
慇懃な返答。しかしその口調、視線、雰囲気のすべてから感じ取れるのは、冷たい拒絶。静かな嫌悪。そしてごく仄かな――怒り、だろうか。
え。俺、嫌われてるの…………?




