【06】その後 と エピローグ
オーディロはドロテーエと婚約後、一年の婚約期間を置いてから彼女と結婚した。
まだ婚約騒ぎの残り火のようにざわつく声がない事もなかったが、特に大きな問題にもならなかった。
結婚式にはさすがに新郎新婦の弟妹としてモーニカとガーティが参列し、周囲からはあれこれと視線を向けられていたが――両家は二人の席を可能な限り遠くにし、親族たちにも二人に相手の話題を出さないように根回しをしたお陰で、特に問題は起こらなかった。
とはいえ当人たちの心情は――と不安に思っていた大人をさておいて。
「ドロテーエお義姉様っ! 本当に綺麗だわ!」
モーニカはガーティなど眼中になく、ウェディングドレスを身にまとったドロテーエに夢中だった。
もう、全く、かけらも、ガーティを見ていなかった。モーニカの目には兄と義姉しか入っていなかった。
おかげで、結婚式の参列者の印象にはモーニカばかりが残り、ガーティはほとんど印象に残っていない。
そのことに、ガーティはホッとしている様子であった。
結婚後は、色々あった。
嫁姑で問題が――なんて事はなかったし、夫婦間で問題が――という事もなかった。
では何があったのかと言えば、モーニカやガーティ周りの事である。
まずモーニカは、ガーティとの一件で軽い男性不信となったのであろう。異性と付き合う事やその先にある結婚という行為を全て拒絶した。それは直後だけでなく、学院を卒業して故郷に帰ってきた後もであった。
オーディロはモーニカに無理に結婚を押し付ける気はなかったものの、兄のひいき目を抜いてもモーニカは良い娘なのにどこからも縁談の話がなかった事には驚いた。
どうやら学院では、「私は仕事に一生を捧げる」と色々なところで発言していたらしく、その発言を聞いた人々はモーニカに縁談を持ち込む、なんて事はしなかったらしい。
これを見て、母である男爵夫人がモーニカが結婚しないのか、誰かと恋愛していないのかと調べまくったりあれこれ騒いだり、時にはモーニカに「この人はどう?」と話しかけたりするようになった。
幸い、早い段階でドロテーエが男爵夫人の暴走を止めてくれたおかげで、母と娘の仲が決定的にこじれる事にはならなかった。
嘆く母や父を見ても、同情はしない。
もとはと言えば、絶対にモーニカとガーティを仲良しでいさせようとした両親の強制によって、二人の仲はこじれたのだ。
もし幼い頃から完全に仲が良く瑕疵のない婚約者同士――なんてものを押し付けなければ、二人は意外と似合いの婚約者……或いは夫婦になっていたかもしれないと、オーディロは思うのだ。
もちろん、今となってはお互いの間にあるこじれ過ぎた感情もあって、二人が親しい関係になるなんてのは夢のまた夢という状況であるが。
ガーティの方はというと、モーニカと在学期間が被らないようにと子爵家内で話し合いがあり、モーニカの卒業後に復学し、貴族学院を卒業した。
復学前は子爵領で本当の下っ端から仕事をさせられたらしい。
ムーンストーン子爵は此度の婚約の失敗――よりも、どうやら息子が賭博に走り、借金を繰り返すような行動をした事が許せなかったようで、かなり厳しく躾けなおしたようであった。
あちらでは子供の教育は夫人の領分だったようで、子爵はその結果を聞く立場、という感じであったようだ。これまでは問題がなかったので夫人に基本的に任せていたが、借金を重ねるという失態を犯した事から、ガーティの教育に関しては夫人が手を出せないものとなったと、ドロテーエ越しにオーディロは聞いた。
暇が生まれたからか子爵夫人は度々ドロテーエに連絡を取ってきていたが、結婚後から二年ほどはドロテーエは実母とはあまり会わないようにしていた。
それは義母となったヘソナイト男爵夫人に気を使っていたのもあるだろうが、それ以外にも何かあるようだ。ただ、オーディロは妻とその実母の関係には口出しをしないように心がけていたので、詳しい事は分からない。
娘にも相手にしてもらえなかった事で、子爵夫人は周辺領主夫人とのかかわりを強くするようになったようだ。
暫くは、オーディロの母である男爵夫人とは顔を合わせても気まずい時間が流れていたようだが――男爵夫人が社交から帰ってきた後に度々オーディロ相手に愚痴っていた――そのうち、以前のように……とまではいかないが、健全な関係にはなったようである。
ただ、そのころになると問題になり始めたのは、ガーティの結婚相手であった。
ガーティのやらかしは、周辺の領主であれば知っている。
しかも家は、この近辺では裕福な子爵家であるが、現在そのお金の殆どは治水工事に充てられており、生活そのものは贅沢さとは遠い状況だ。
家の力という支えがなく、そのうえ本人の評判も悪いとなると、なかなか結婚相手は見つからなかった。
もちろん、相手を選ばなければ――名前だけ貴族と言われるような、爵位をギリギリで持っているような家の令嬢であれば、嫁にすることは容易であっただろう。
だが、ムーンストーン子爵家は領地もある貴族家だ。
その夫人となると、それなりに高い社交性や知性、身に付けたマナーなどが必要になる。
その能力が今ないとしても、将来的には身に付けてもらわなくてはならない。
結局、子爵や夫人のお眼鏡にかなう相手はなかなか見つからず、時ばかりが過ぎていっていた。
オーディロとドロテーエの間に二人の子供――どちらも女の子だ――が生まれ、ガーティも学院を卒業してそれなりの地位で働くようになってもなお、義弟の結婚相手は見つからなかった。
そのうち、モーニカとガーティが意外と過去を引きずらずに仕事をしている様子を見て、子爵からオーディロに「モーニカと改めてガーティを結婚させられないか」という打診が来た。
――モーニカ嬢は過去を乗り越えているように見受けられる。また、彼女の仕事の成果は子爵領にも届いている。未だに婚約者もいないようであるし、いかがであろうか。
なんて感じの文面に、オーディロはため息をつかざるを得なかった。
モーニカは過去を乗り越えたのかもしれないが、あれはどちらかというとガーティに対する興味を失っているので「どうでもいい」と思っている雰囲気であった。
またガーティと夫婦になれ……なんて押し付けたところで、新たに反発を招いて終わりだろう。
もちろん、即座にお断りの手紙を書いた。なんならドロテーエが返事の手紙を持って実家に向かい、両親に「何を考えているのですか!?」と怒鳴った。
幸いにもその手紙は子爵が一人突っ走った結果であったようで、さすがに子爵夫人も「無理でしょう……」という反応であったし、ガーティに至ってはドロテーエが怒鳴り込んできて初めてそんな話が上がっていると知り、姉と一緒になって父を非難していたそうだ。
では、と子爵は、今度はオーディロとドロテーエに、二人の間に生まれている娘を一人養子としてもらい受けたいと申し出てきた。
確かに、ガーティがこのまま結婚できないのであれば、次代子爵はガーティだとして、その次の子爵候補として、ドロテーエの生んだ子が入るのは分かる。
その場合、養子縁組をすることの方が多い。
ただ、これをドロテーエは拒絶した。
「本当にガーティに妻ができず、子も出来ないのであれば、将来的に私たちの子を子爵家の跡継ぎに……と考えるのは分かりますわ。ですがまだガーティも若いのです。将来的な可能性を打診するだけならばまだしも、今から養子に出して、子爵家で養育――などとするほど、あちらは切羽詰まった状況でもないのですから、我が子を養子に出そうなどとは思いませんわ」
妻の言葉にオーディロも同意した。
確かにドロテーエが生んだ子供たちはムーンストーンの血を引き、子爵家の跡を継ぐことも出来る。
だが、男性であれば女性と違い、ある程度年齢が上がっても結婚して子供を作る事は可能なので、将来的にガーティが「良い結婚相手」として見られる未来はゼロでもない。
実際、職場での彼の評判はそう悪くない。子爵や夫人がガーティの嫁に求めるハードルを下げれば、それなりに見つかるはずなのである。
子爵はただ、子育てに失敗した事実から目をそむけたくて、孫を立派に育てることで「自分がダメだったのではない」と証明したいだけに見えたのであった。
◆
更に時間は過ぎる。
ドロテーエが3人目の女の子を産み落とした頃、モーニカが突然結婚相手を連れてきた。
なんの脈絡もなかった上に、その相手がヘソナイト一族と因縁のあるツァボライト一族の人間だったので、一悶着あったものの……そうしたしがらみを超えて、モーニカは相手と結ばれた。
義弟となった結婚相手は、領地の特産から作ったというイモ酒を売って歩いており、定期的に男爵領で暮らすモーニカの元に帰ってくるスタイルで生活しており、モーニカの結婚生活も一般的なものからは程遠い。
ただ、モーニカは十分に幸せそうであったので、ああした形の幸せもあるのだろうと、兄としては見守るばかりである。
ガーティの方はというと、モーニカが結婚してしばらくした後、役人の後輩として働いていた一代限りの男爵の娘と結婚した。
仕事が出来る女性であり、子爵や夫人から上がったらしい文句は、ガーティが説得して結婚まで辿り着いたのである。
昔の、愚かにも借金を重ねたらしていたガーティと今のガーティを同じに思う者もいまい。
年下ながら姉さん女房な気質の妻に尻を叩かれながら、なんだかんだと幸せそうに過ごしている。
オーディロも、年上のドロテーエの尻に敷かれるような形で過ごしてもいるので、なんだかんだと似た者義兄弟になったという感じであった。
ドロテーエとガーティの妻が意気投合したのもあり、いつの間にか、オーディロとガーティは妻や娘たちから「今は女子会だから近付かないで」と言われ、寂しく酒を飲み交わすようになった。
川の治水工事が全て完了した時には、ヘソナイト男爵家とムーンストーン子爵家とは、確かな絆を持つ関係に落ち着いていた。
両家の当主一家が揃い、治水工事の完成を祝っている絵は、男爵家、子爵家双方の玄関に飾られ、両家の末永い良好な関係を願っている。