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【04】新たなる婚約

 ガーティの有責により婚約が破棄になった一件によって治水工事に影響があるのではという当主夫妻の懸念は、意外にも問題がなかった。


 婚約破棄に際して、謝罪の意味もあってムーンストーン子爵側の支払う額が一割増した事も功を奏したといえたが、一番は、ヘソナイト男爵側の工事に携わる技術者に対して、オーディロが直接出向いて説得した事が理由である。


 ヘソナイト男爵家と領民は、距離が近い。

 オーディロもモーニカも、生まれてからというものの、領民たちから可愛がられていた。

 だからこそ、可愛い我が領の姫(モーニカ)様を辱めた……! と、ガーティの評判はそれはそれは最悪なものとなったのだが……オーディロはその怒りを上手く誘導した。


「妹が苦しんだ原因に、治水工事を成功させるための譲歩があった。領民にとっても長年の願いであったこの治水工事を無事に完成させることで、妹の苦しみも和らぐ」


 オーディロは、ただモーニカの名前を騙って説得したのではない。


 モーニカ自身も、兄と同じ気持ちだった。


「ガーティと婚約していた事は忘れたいぐらいもう嫌な記憶だわ。でも、()()()()()、治水工事は失敗になってほしくないの」


 兄と妹の気持ちが一緒であったからこそ、その訴えは領民たちに響いた。


 一時は「ムーンストーン領のやつらと協力なんてしてられるか!」とまでなっていた領民感情を「二度とこんな事が起こらないように、自分達の子孫たちが水害で苦しまないためにも、絶対に治水工事を成功させるぞ!」という方向に変化させた。


 本来は自分がすべきであっただろう仕事を自分の判断で成した息子の姿を見ながら、ヘソナイト男爵は己の不甲斐なさに肩を落とした。



 ◆



 治水工事に問題が起きなかった一方で、ムーンストーン子爵家では一つの不幸が訪れていた。


 長子ドロテーエの婚約の解消であった。


 ムーンストーン子爵夫妻はひどく慌てたが、向こうは取り付く島もない。

 理由は相手側の問題であるとして、ただ、有責にされると家名に響くので、と少なくない額のお金が包まれて、ドロテーエの婚約は解消されてしまった。


「なんでだよ、姉さんたちは上手くやってたじゃないか……」


 借金が発覚し、学院も休学状態で謹慎させられていたガーティは、姉にそう言葉をこぼす。それを聞いたドロテーエは弟を見て、淡々と返した。


「さあ、理由なんて、自分で考えてみなさいな」

「っ!」


 ガーティは顔色を悪くした。


(お、俺のせい? 俺が婚約破棄なんてしたから?)


 ガーディとは違い、ドロテーエは穏便な婚約解消だ。


 だが、タイミングが悪すぎた。


 ドロテーエの婚約が解消された話を聞いた人々は、「弟の婚約破棄が問題だったのでは?」などと好きに囁いた。


 或いは、あの場でのドロテーエの弟に対するあまりに暴力的な行為――むしろこちらが本命だろうという声も、負けず劣らず多かった――が原因かもしれない。


 相手方からは「本来であればこちらの有責となるだろう」という言葉すらいただいているのだが、それを公表しないようにと話は纏まっているので、話すことは難しい。話してしまえば、貰ったお金を返す事になる。

 間違っても「相手方が実は有責でドロテーエは無実だ」なんて話す事は出来ないのだ。既に貰ったお金は、ガーティの借金返済と、ドロテーエ個人の希望もあり、治水工事に使われている。

 苦しいが、ドロテーエはこのまま、泥を被るしかないとみられて、子爵夫人は「どうして」と泣きくれていた。


 そうした噂は謹慎していた弟の耳に直接届いたわけではなかったが、誰も口にせずとも、それが原因なのでは? という雰囲気が漂い……ムーンストーン子爵家はあのパーティの日以来、葬式のような雰囲気を漂わせるようになったのだった。


 子爵、子爵夫人、ガーティが暗い雰囲気で過ごしている中。

 ドロテーエはある日、手紙を受け取った。

 それは予想だにしなかった、友人からの手紙であった。


「まあ……」


 このタイミングで声がかかるとは思わなかった。

 とはいえ、ドロテーエは会う事に後ろ向きになる理由もなく、両親に「少し出掛けてきますわ」と声をかけ、若い侍女を一人だけ連れ、軽装で家を出発した。



 ◆



「本日はお招きいただき、ありがとう存じます、()()()()()()

「来ていただけるかは半々でしたので、お会いできてよかったです。()()()()()()


 ムーンストーン子爵領から川を渡って、ヘソナイト男爵領に入ってすぐの土地にある、工事現場に隣接した建物の一室という、オシャレさと無縁の場所で、二人は会っていた。


 双方の弟妹、ガーティとモーニカの婚約が破棄になった日以来の再会だ。


「貴方から急に御呼ばれするとは思わず、軽装で来てしまいましたわ。ごめんなさいね?」

「はは。私こそ、令嬢をお呼びするような恰好ではありません。申し訳ありません」


 二人はお互いそう、恰好を謝罪した。


 ドロテーエは少し外を歩く程度の格のドレスを着ていて、オーディロに至っては汚れても問題ない用だろう服だ。


 それぞれの恰好は、この場の会話が重々しいものではないと周囲に見せるためのものであり、相手を侮辱する意図などはない事を、お互いは理解していた。

 伊達に、幼馴染として付き合ってきていない。


「それで。本日はどのようなご用があって私を呼んだのでしょうか?」

「ドロテーエ嬢の婚約が解消になったとお聞きしまして」

「ええ、そうなのです。お相手の事情によるものですわ」

「まだ次のお相手が決まっていないのでしたら、私などはいかがでしょうか?」


 流石のドロテーエも、一瞬、言葉に困った。


「……正気?」

「勿論」


 オーディロは笑っている。


 ドロテーエの弟(ガーティ)と同い年とは到底思えない貫禄があった。

 ほんの少し、ドロテーエは目の前の青年ぐらい、弟の精神が成熟していれば、なんて思ってしまったが、今はそこよりも、オーディロの提案の方が重要だ。


「……どちらがどちらに?」

「貴女が、私に」

「少々欲張りではなくて。もちろん、愚弟の件については、こちらは強くは出れませんが」

「それが理由ではありませんよ。――いえ、無関係でもありませんが」


 オーディロは言葉を少し濁してから「ここだけの話にしていただきたいのですが」と言葉をつづけた。


「モーニカは結婚もしない、男はもういい、と言っておりまして。実際、両親が新たに持ってきた見合い話を全て蹴り飛ばしています。私は仕事に生きるわ、と、宣言して、母が泣きました」

「あぁぁぁ……」

「なので我が家の跡取りは、私と私の妻がどうにかするしかないので、安易に婿には出れなくなりました」


 ドロテーエはもう、なんといえばよいか分からなかった。

 貴族令嬢の多くはデビュタントに夢を見る。その大事な日を男に滅茶苦茶にされたのだ。モーニカがどれほど傷付いたかなんて、深く考えずともわかる事だ。


「それに、工事はまだしばらく続くでしょう」

「……そうでしょうね」


 始まってもう十年近くなるが、まだまだ完成には至っていない。

 川の範囲が広すぎるのだ。

 恐らく全ての工事にかかる年数は、三十年ほどかかるのでは、という見込みだ。


「今は私の口八丁でなんとか納得していますが、後々、また騒ぎ出す人間がいないとも限りません。やはり両家の結びつきはあった方が良いと思うのです。なのでドロテーエ嬢がよろしければ、私と婚姻を結び、我が男爵領を支えていただきたいのです」

「私、弟を蹴り飛ばす女ですが?」

「ガーティは貴女が帯剣していなかった事に感謝すべきでしたね」


 オーディロは昔を思い出した。

 男の遊びとしてチャンバラをしているガーティとオーディロの下に、ドロテーエが乱入し、二人まとめて伸された事があったのだ。


 先日の彼女の行動は、暴力的とみる人間もいるだろうし、事実としてはそうかもしれない。

 だが、ドロテーエは言葉で通じるときに暴力をふるう事はない。言葉で説明しても聞かず、更に愚行を犯すときには、いつも容赦なく鉄拳を下していた。


「最近は剣をふるっていないようですが、何か理由が?」

「……学院でルビーの一族の者と、木剣で模擬戦をしたのですが、負けたのです。やはり本職に叶う訳ではないのですから、と、基本的には封印いたしました」


 恨めしそうな視線を、ドロテーエは背後に向ける。オーディロもそちらを見た。ドロテーエが連れてきた、侍女が立っている。

 何も知りません、話には関係ありませんというすました顔をしている侍女の髪の毛は、赤黒い。まるで牛の血の色のように。


 王国の三大侯爵家の一角であるルビー侯爵家を祖とするルビーの一族は、国の盾であり(ほこ)

 戦闘技術でルビーの一族に勝ろうとするのは、鳥を相手に飛行能力で争ったり、魚相手に泳ぐ能力で争うようなものと言われている。


(ドロテーエ嬢が学院卒業後、雇い入れた侍女がいると聞いていたが……なるほど)


 恐らくあの侍女が対戦相手(ルビーの一族)で、しかもどういう事か、その因縁の相手を雇い入れる関係までなっているらしい。人生、色々あるものである。


「ともかく、私はその程度の噂は気にしません。……ドロテーエ嬢は、私では嫌でしょうか?」


 オーディロは眉尻を下げ、捨てられた子犬のような顔をした。

 ドロテーエは真顔になった。


「急に年下アピールをし始めないでちょうだい。全く。ガーティに貴方の半分でも良いからそうした知恵があればよかったのだけれど……いえ、今ここでする話ではなかったわね。忘れてちょうだい」


 そこで一度言葉を区切ってから、ドロテーエは言った。


「……それで、嫌かどうかだけれど、まあ、異性として見た事は正直ないけれど、嫌悪感はないから、愛は後から育めば問題ないでしょう。……けれど本当によろしいの? 私はガーティの姉なのだから、その、男爵夫妻(おじさまがた)やモーニカの気持ちとして……」

「そのあたりは問題ありませんよ」


 とオーディロはあっさり言った。


「なんなら、モーニカが一番喜んでおりましたから。ドロテーエ嬢と義理の姉妹になれるなんて、と」

「……そう。もうそこまで話しているのね。分かりました。私の意思としては問題ありませんわ」

「では、改めて父母からも連絡を取らせていただきます」

「ええ、楽しみにお待ちしておりますわ」



 ――数日後、オーディロ・ヘソナイト男爵令息とドロテーエ・ムーンストーン子爵令嬢の婚約が結ばれた。


 周囲では二転三転している両家間の婚約に、あれこれと囁く者も多くいたが、オーディロもドロテーエも全く気にしておらず堂々としていた事から、次第にそうした陰口をたたく者もいなくなっていったのだった。



 ◆



 ――婚約が結ばれた後、ヘソナイト男爵家にて開かれたお茶会にて。


「オーディロ様にだけお伝えしておきますけれど、私の婚約はもともと終わる予定がありましたのよ。お相手には心に決めた相手がいて、ただ、どうしても事情があって結ばれ辛かったのですけれど……ああ、安心なさって。あの方は私にもしっかりと礼節を持って接してくださっていましたし、別に双方恋情を抱く婚約関係でもありませんでしたから、特に気にしておりませんでしたわ。話を戻しますが、そのお相手の事情が少し前に急に変わりまして。近々、私との婚約を解消して、思っていた方と婚約を結びなおす事になっていたのです。あのタイミングになってしまったのは、本当にたまたまでしたの。婚約解消といえど、私が訴えれば相手の有責に出来る状況でしたから……かなりの額を包んでいただいたのです。治水工事に回せるお金が増えるから素晴らしいとまで思っていたのですよ。まあ、ガーティのせいで予定より工事に回せる額は減ってしまいましたが……双方に利のある素晴らしい契約でしょう?」

「ご家族が勘違いされていると分かっておられますよね?」

「……」

「ああ怖い怖い。もちろん、誰にも話しませんよ」

 妹の前になぜか兄がまとまっていた。

 この二人はちゃんと結婚してから愛をはぐくめるタイプです。


 ドロテーエは弟や、弟の婚約がこうなるまで適切な対処をしなかった親に怒りがあるので、黙っています。

 ドロテーエの元婚約者側はドロテーエが説明しているものと思っているし、後からあれこれ突かれても痛いので事情を話していませんでした。

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