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【03】オーディロ・ヘソナイトの怒り

 ――男爵家で行われていたパーティーを中止した後。

 ヘソナイト男爵家、ムーンストーン子爵家の間で話し合いが行われる事となった。


 ヘソナイト男爵家からは、男爵と男爵夫人、そしてオーディロの三名。

 当事者であるものの、モーニカはまだ泣いているため、別室だ。どちらにせよ、妹の心境は、オーディロが理解しているので、オーディロが代弁出来る。


 対するムーンストーン子爵家からは、子爵と子爵夫人、ドロテーエとガーティの四名。

 一応、本日来ていた関係者としてはドロテーエの婚約者もいたが、彼には既に帰宅してもらっている。ヘソナイト男爵家側からすると、完全なる部外者であったからだ。


 改めて全員がそろった所で、ムーンストーン子爵が口火を切った。


「息子がご息女の大事な日を汚してしまい、大変申し訳ない」


 低姿勢で頭を下げた子爵は横でふてくされた表情でいたガーティの頭をひっつかんで無理矢理下げさせながら、何度も謝罪を重ねる。

 子爵夫人もドロテーエも、そろって頭を下げて謝罪の言葉を口にした。


 それをしばらく無言で見ていたヘソナイト男爵は、重い溜息をついてから彼らに声をかける。


「……頭を上げてください」

「男爵殿……。ガーティには、本当によく言って聞かせます、ですので……どうか婚約は解消せずに……」


 オーディロの瞳孔がキュッとしまった。


 父親の言葉にドロテーエは顔を上げ、「ハ?」と父の横顔をにらみつけた。


 それぞれの第一子の様子の変化に、双方の親もガーティも気が付いていないようである。


 一方、ガーティは、父親の言葉に「なんでだよッ!」と声を上げたが、即座に父親に頭をまた掴まれて、顔を机にぶつける勢いで下げさせられていた。


 ムーンストーン子爵から、オーディロは視線を移す。

 そうして無言で、ジッ……と横の父を見た。

 父である男爵が、どういう動きをするのか、見ていたのである。


 そこには確かに、願いと期待があった。


 子供らの変化の横で、子爵は何度も何度も、頭を下げ、そして言葉でも婚約を続ける事を願い出ていた。

 当初は男爵も難しい顔をして黙り込んでいた。

 だが、ある一言が飛び出た事で、表情が一変する。


「どうかお願いいたします。治水工事の費用に関して、更に一割、こちらの負担を大きくいたしますので……!」

「……! ……そう、ですな。この婚約はそもそも、治水工事のためのものですから……」


 その声が横から聞こえてきたとき、オーディロは耐え切れずにため息をついた。


 失望。


 そして怒りが胸の中で渦巻いていた。


 ヘソナイト男爵の言葉を聞いた子爵は、暗闇の中、やっとの事で光を見つけた人間のような顔をして笑顔を形作った。


「で、では。ガーティとモーニカ嬢の婚約は――」

「――()()でお願いいたします。子爵殿」


 良い話の如く、まとめられてはたまらない。

 なのでオーディロは、大人たちの会話にそう割り込んだ。


 ギョッとした顔をした二組の当主夫妻に、そのままオーディロは続ける。


「勿論ですが、()()()はガーティ・ムーンストーンですね。治水工事の問題に関しては、別途、話し合いが必要かと思いますが、両家の婚約がこのまま続行、などという事はあり得ませんでしょう」


 そう言い切ったオーディロの肩を、父であるヘソナイト男爵が掴み、子爵に語り掛けた。


「ま、待てオーディロ! すまないムーンストーン子爵。息子は妹思い故!」

「も、もちろんだとも男爵。オーディロ殿。ガーティの行動はとても許しがたいものであったと思う。私とて、ドロテーエがあのような目にあえば、相手を許したくはない。だがどうか、もう一つ大きな目でもって、両家の今後について考えてはくれないだろうか?」


 ムーンストーン子爵は幼い子供に言い聞かせるようにオーディロに語り掛けてきた。

 自分より二回り以上年上の相手を見ながら、オーディロは極めて冷静に答えた。


「出来かねます」

「オーディロ!」

「オーディロ殿……!」


 あくまでも、駄々をこねる子供をいさめる声色である両者に、はあ、とオーディロは呆れたようなため息をまた吐いた。

 何度ため息を吐けばよいのかわからない。


 己のデビュタントであれほどの醜聞を作り上げた男と結婚させるなど、もはやそれは罰を与えるためにしているようなものである。

 政略も、治水工事の重要さも、分かっている。だが、そのためにモーニカが一方的に被害を負い続けるのを、オーディロは認める事は出来なかった。


「ムーンストーン子爵。そして父様。私が婚約の破棄を申し出ているのは、此度の失態だけが理由ではありませんよ」

「なんだと……?」

「そもそも、二人は気が合わない。それは分かっていましたよね?」

「そんな事……」

「あるわ!」


 と声を上げたのはドロテーエだ。


「昔から相性が悪かったわ。単なる隣人であるならばともかく、結婚してモーニカが幸せになる様子も、ガーティが楽しくする様子も、私は想像できません」

「ドロテーエ、なんて事を言うの!」


 ムーンストーン子爵夫人は慌てた様子で横の娘を叱責する。


 だがしかし、そんな叱責で止まるドロテーエではない。キッ、と親をにらみ返し、子爵夫人はびくりと肩を揺らした。


「ではお母様。一度でも、二人が、心の底から、仲良く遊んでいる場面を見た事がありまして?」

「あったでしょう! 一緒に楽しく、おままごとをしていたではないの!」

「幼い時の事をおっしゃっているのかしら。私が覚えている限り、そういうときのガーティはつまらないという顔か、いやいややっているかのどちらかしかありませんでしたわ」

「そんな事なかったわ! ねえガーティ!」


 子爵夫人は息子を見るが、息子はずっと俯いたまま、動かない。


 必死にガーティから肯定の言葉を引き出そうとしている子爵夫人に対して、ドロテーエはわざとらしく手をたたいた。


「……ああ、わかりましたわ。お母様のいう()()()()()()()()、は、モーニカと遊ばないとお母様たちに叱られるから、お母様の目がある時仕方なく遊びに付き合って楽しそうなふりをしていたガーティの事ですわね?」

「そ、そんな事。そんな事ないでしょう……。だって二人はあんなに小さい頃……」

「あら、今小さい頃、とお認めになりましたわね? では百歩譲って。幼い頃は本当に楽しく遊べていたというお母様の視点を採用してもよろしいけれど、そのあとは?」

「…………あと…………」

「ガーティが社交界にデビューして以降。或いはその少し前からまで広げても構いませんが……二人が楽しく交友していたところを、一度でも見まして?」

「…………」


 ムーンストーン子爵夫人は俯いてしまった。ドロテーエの言葉を否定できなかったのである。

 その姿は、ガーティとよく似ていた。


 母を丸め込み、ドロテーエはそのほかの面々も見ながら言葉をつづけた。


「オーディロの言う通り、二人の相性は最悪でした。それを、治水工事を理由に、無理に縁付かせていたのは、お父様たちと、ヘソナイト男爵様たちですわ」


 他所の娘になんと返すべきか迷っている両親に、オーディロは言葉を重ねた。


「……ドロテーエ嬢のおっしゃる通りですよ。父様、母様、お二人は、モーニカたちの相性が悪すぎる――いえ、元の相性がどうであれ、現在の関係が悪い物であった事は、理解しておられたでしょう?」


 目の前でムーンストーン子爵夫人が(ドロテーエ)に言い負かされるのを見ていたからか、ヘソナイト男爵夫妻は大人しく、無言で頷いた。


 だが、納得しているわけではない。

 否定は出来ないが、オーディロやドロテーエの言葉を受け入れるつもりもない、という風である。


 人間的な相性が悪いから。

 そうした理由だけでは、仮にも貴族家の当主をしている人々を納得させる事は出来ないと分かっていた。


 ――だから、オーディロは手札を切る事にしたのだ。

 ガーティにとって、最悪の手札を。


「ただ」


 と、オーディロは全員を見渡した。


「私が婚約破棄を申し出る事にした決定打は、二人の仲が悪い事でも、ガーティが妹のデビュタントを滅茶苦茶にした事でもありません」

「……どういう、事だ?」


 大人たちの視線がオーディロに集まる。


 その妙な間に、ハッと顔を上げたガーティは焦った顔でオーディロを止めようと手を伸ばしてきた。

 だが彼がオーディロの口を物理的に塞ぐよりも、オーディロが声に出す方が早かった。


「婚約破棄の根本的原因は――ガーティが賭博にハマり、借金をしている事です」


「と、ばく?」


 突然出てきた言葉に、誰もが目を点にしていた。ドロテーエもだ。


 そんな中、ガーティは立ち上がって声を上げた。


「違う! 嘘だ!」

「ガーティ・ムーンストーンは数人の同級生と共に、王都にある賭博場に出入りしています。そして毎月毎月、小遣いのお金がなくなるまでそこで遊んでいるのです」


 オーディロはガーティの発言を無視してつづけた。何かあった時、大声を出し続けて相手を萎縮させるのは、貴族学院に入ってからガーティが覚えた()であるとオーディロは把握していたのだった。


「俺はそんな事していないッ!」

「出入りしているのは、私が直接確認しています。更に最近では、その同級生と共に遊ぶお金が足らず、胴元相手に借金を重ね始めた、と噂が立っていますよ」

「オーディロ! 俺を陥れようとしてホラを吹くなッ!」

「ホラ、か。……なら、借金はないのだな? モーニカとの婚約がなくならないのであれば、当然、慰謝料なんてものはないが、ご両親に後から借金を返済するための金をねだるなんてことも、しないのだな?」

「と、当然だっ!」

「そうかそうか。ではここにそれを証明するサインをしろ」


 どこから出したのか、オーディロはガーティの前に誓約書を取り出した。


 そこには、ガーティは借金返済のために両親やその他、どのような第三者からもお金を借りる事も貰う事もないと誓う、というようなことが書いてあった。

 それを見たガーティは笑った。


「勿論、サイン、出来る」


 そういってペンを手に取ったガーティが名前を書きだす前に、追加でオーディロはこう言った。


「勝手に書くな。文言はこちらが決める。“ガーティ・ムーンストーンは、()()()()()()()()()()()()何人(なんびと)からも借金返済のために金を借りる事はない”……そう記せ」


 ――ピタリとガーティの動きが止まった。まるで石像のように。


 そこからゆっくりと、ガーティは、視線を上げる。


 対面の席に腰かけていた、幼い頃から知っている男のオレンジ色の目は、酷く冷めきっていた。


 ――家名に誓う。


 それはジュラエル王国の貴族に伝わる、古くからの誓約。


 天におわす神に。


 我々に加護を与える精霊に。


 そして己につながるすべての祖先に、家の名の下に、――その先につながっている、己自身の魂に誓う、誓約。


()()()()()、ガーティ・ムーンストーン。本当に賭博をしておらず、借金もしていないというのなら、それを()()()()()()()()()()()()()()に誓え」

「オ、ディ……ロ……」

「己の潔白を、()に誓え」


 家名に誓った事を違えてはならない。

 違えたものは、生きる事も恥ずべき人間として後ろ指をさされ、誰からも信用されなくなる。


 口頭であれ、書類上であれ、一般的な誓約よりも強い効力を持つ、誓い。


 それを、オーディロは出してきた。


 彼は本気だ。


 もしここでガーティがサインをし、家名に誓ったとして――もしその後に借金の清算のためにどこからかお金を借りた事が発覚すれば、ガーティ・ムーンストーンの行く末は破滅しかない。


 ……とはいっても、賭博もしておらず、借金もしていなければ、何も問題はないのだが。

 それが分かった上で、ガーティは、動けなかった。


「……ガーティ。何故書かない」


 ムーンストーン子爵は、石像のように固まって動かなくなった息子を、信じられないとばかりに見つめていた。


 誓いを持ちだしてきた事で、オーディロの本気は嫌というほどに伝わっている。それに伴い、その誓いを持ちだすほどにオーディロが自信に満ちているという不安も、生まれていた。

 だからこそ、子爵は、己の息子がそれを払しょくしてくれる事を期待して――いつまでたっても動かぬ息子に、不安がどんどんと大きくなっていく。


 父に問われたガーティは、ひくり、と喉をひきつらせた。


「っ、お、俺は」

「どうしたんだ? ガーティ・ムーンストーン」


 オーディロの声は幼馴染の情など、欠片も感じられないものであった。


「借金などないのだろう? 賭博などしていないのだろう? 借金の返済のために、浅知恵で我が家から金を毟り取ろうとしたわけではないのだろう?」


 ガンッ、と音が部屋に響く。

 オーディロが握った拳を、誓約書に振り落とした音だった。


 そして先程までの冷たさと正反対の、沸騰したような声が彼の口から放たれた。


「ならさっさと書け! そうでないなら、ここで自白しろ、すべてだ!」


 オーディロは落ち着いた子供だった。

 このように、沸騰したような声で話す子供ではなかった。


 そういう人間が――これほど怒るほどの事だと、ガーティは、理解した。


 からんとガーティが持っていたペンが転がる。

 そして彼は、頭を垂れた。


「……来月までに支払わないと、返済額が、二倍になるんだ……お金が、欲しかったんだ……相手の有責なら、慰謝料が貰えるから………それで返済しようと思って……」


 まともな理性があれば考えないような事を言うガーティに、誰もが絶句した。


 ムーンストーン子爵は頭を押さえ、子爵夫人は悲鳴を上げた。

 ドロテーエは怒りからか、顔が赤黒くなり始めていた。


 ヘソナイト男爵は眉根を寄せ、男爵夫人はどうしたらよいのかわからないとばかりに、胸の前で握った手を震わせていた。


 ただ一つ、はっきりと決まった事があった。


 ――モーニカ・ヘソナイト男爵令嬢と、ガーティ・ムーンストーン子爵令息の婚約は、令息側の有責により、婚約破棄として処理される事となった、という事である。

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