【02】モーニカ・ヘソナイトとガーティ・ムーンストーンはこうして婚約者になった
モーニカとガーティの婚約についての昔話
モーニカとガーティの婚約は、領地の事情に左右されて結ばれたものであった。
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モーニカはヘソナイト男爵家の第二子として生を受けた。
実家であるヘソナイト男爵家は領地も持ち、子に引き継げる爵位も持つ、この国の貴族の中では持つ側である貴族家だ。
とはいえ、爵位も領地も、三つ上の兄オーディロのものとなるのがほぼ決まっている状況下であったので、モーニカはたいした義務もなく、とても気楽に日々を過ごしていた。
そんな彼女に婚約者ができたのは、モーニカが五歳の時であった。
ヘソナイト男爵領の隣に領地を持つ、ムーンストーン子爵家。
そこの領地とモーニカの家の領地の間には川が流れているのだが、この川は住民にとって重要であると同時に、曲者でもあった。
この川。少し雨が強く降ると、すぐに濁流となるのだ。
過去、何度も氾濫し、そのたびに領民に被害が出るケースもままあった。
これまでの長い年月で治水工事をしていなかったわけではない。……が、金銭的な事情から、局所的な対応にとどまっていた。
大掛かりな治水工事を行うには、ヘソナイト男爵家の財力は足りず、結局何年も後回しにされていたのである。
そしてモーニカが四歳になったころ、連日大雨が吹き荒れて、川は数十年ぶりの大氾濫を起こした。
このころのモーニカ自身の記憶は曖昧だが、連日屋敷の壁を強く打ち付ける雨にモーニカは泣いて、乳母が必死にあやしてくれていたのをかすかに覚えている。
――この大氾濫の被害は、治水工事を行う事を、川に隣接した近隣貴族家に決意させるには十分だった。
氾濫で被害を負ったのはヘソナイト男爵領だけでない。近隣のムーンストーン子爵家をはじめとして、この川に面していた多くの貴族家が被害を負っていた。
彼らはお金を出し合い、お金が足りないところは人力を出し合い、大掛かりな川の治水工事を行う事にした。しかし、何年もかかるだろう治水工事をただの約束だけで続けるのは難しい。ゆえに、この事業にかかわった家々は、子や親族を結婚させる事で、協力関係を維持する事にした。
つまり、政略結婚である。
ヘソナイト男爵家には、嫡男オーディロ(氾濫当時七歳)とモーニカ(氾濫当時四歳)。
ムーンストーン子爵家には、長女ドロテーエ(氾濫当時十一歳)とガーティ(氾濫当時七歳)という子供がいた。
ただ、ドロテーエにはこの時既に婚約者がおり、ドロテーエとオーディロの婚約を結ぶことは難しかった。これにより、自動的に双方の第二子であるモーニカとガーティの婚約が結ばれる事となったのだ。
この話が立ち上がってからおおよそ一年後。
色々な方面での条件のすり合わせなども終わり、正式にモーニカとガーティは婚約者同士となった。
モーニカ五歳の時であった。
◆
婚約者になった事で、モーニカとガーティは、定期的に会うようになった。モーニカがムーンストーン子爵家に赴くこともあったし、その逆もよくあった。
とはいえ、会っても二人はあまり遊ばなかった。
ガーティは遊び盛りの八歳。走り回ったりするのが楽しいお年頃。
一方、モーニカは三つも年下であり、八歳の男の子と走り回れるほど活発でもなかった。座って、お人形でおままごとするのが好きな女の子だった。
自動的に二人は顔を定期的に合わせるだけで、大して交友を深める事はなかった。
むしろ、ガーティがヘソナイト男爵家に来るときは、同い年のオーディロと遊びたがったし。
同じように、モーニカがムーンストーン子爵家に来るときは、お姉さんであるドロテーエと遊びたがった。
同性の方と過ごしたいと思うのは、そこまでおかしな話でもない。
(この時に二人を自由にさせておけば、その後の問題は起こらなかっただろう)
――と。後に、本人たちも、その兄姉であるオーディロやドロテーエも思う事になるのだが、当時の二人はそんな未来を知る由もない。
実際のところ、対応は真逆であった。
ヘソナイト夫妻も、ムーンストーン夫妻も、己の子らに「婚約者と交流を深めろ」と無理に言い聞かせたのである。
両家の当主夫妻はどちらも、治水工事の事で頭がいっぱいになり、己の子が相手の家の不興を買う事を恐れていた。
そしてたった五歳と八歳の子供に、政略的な関係の重要性を説いたのだ。
無論、同じ年でも弁えた子供もいるかもしれない。だがモーニカとガーティにはそうした考えは早すぎた。
特に、三才年長であったガーティに対して、大人たちは特に強く「仲良くしなさい」「モーニカに合わせなさい」と叱る事が多かった。
だがしかし、叱られれば叱られるほど、ガーティはもっとモーニカを嫌がるようになった。
「なんで俺だけ我慢しなくちゃならないんだ!?」
怒りをため込んだガーティはモーニカに冷たく当たり、時には髪の毛を引っ張っていじめるような事もあった。
親に言われてガーティと仲良くしなければと近づいてそのような目に遭えば、モーニカの方もガーティに近づきたいとは思わなくなる。
あっという間に二人の間には壁がそびえ溝が出来上がり、顔を合わせられる度に双方、相手にそっけなく挨拶してそれ以降は目も合わせないというのが一般的になり。
それを見た親が更に叱り。
さらに相手を嫌がり……という、負のループが誕生してしまったのである。
地獄のような付き合いは、ガーティが十四歳、モーニカが十一歳ぐらいまで頻繁に続いたが、この年に一区切りつく事となった。
何故かというと、ガーティが社交界に出るようになり、更に王都にある貴族学院に通うようになったのだ。
王国の政治的な中心地である王都。そこに存在している貴族学院は、この国の貴族にとっては重要な人生の分岐点ともなる場所である。
次期当主という立場であれば、学院を卒業するのは当然の事と言われている。
また、引き継ぐものがなく、自立に迫られる次男以下や令息令嬢たちは、学院で学ぶことによってさまざまなところで職を得やすくなる。学院卒業というのは、国内であればよほどの田舎でなければ通じる学力などの証明書となるからだ。
ムーンストーン子爵家の跡取りであるガーティは、もちろん学院に通う。
ムーンストーン子爵領やヘソナイト男爵領から王都は遠く、これによってガーティは長期休暇以外は領地に帰ってこなくなり、自動的に二人が顔を合わせる機会は激減する事となった。
「やった!」
とモーニカは喜び、両親に提案した。
「ねえお父様お母様。ガーティはいないのだから、ムーンストーン子爵家にいかなくてもよいですわよね?」
もともと、ドロテーエという、(モーニカにとっての)ムーンストーン子爵家の良心が学院に通い始めてから、モーニカが相手方の家を訪ねる頻度は落ちていた。
幼い頃はガーティを叱っていたムーンストーン子爵夫妻であったが、ガーティがあまりに言う事を聞かないために、モーニカが大きくなるにつれてモーニカだけに言い聞かせるようになったのだ。
正当な指摘ならともかく、中には
(それは私を叱るよりも、まずさきに自分達の息子に物申しなさいよ!)
というような内容が多く、モーニカとしても素直に受け入れられない言葉が年々、増えていた。
そうした背景から、もはやモーニカにとっては、ドロテーエ以外自分から会いたい人はいなくなっていたのだった。
あまりに目をキラキラしながら問いかけてくるモーニカに、ヘソナイト男爵夫妻は
(この婚約、大丈夫だろうか)
とあまりに今更過ぎる不安を抱きながら、モーニカの願いを受け入れた。
こうして、二人は多少の手紙のやり取り(それも双方義務感満載)だけをする間柄となった。
長期休暇ですら、ガーティが友人たちの元に出て回るようになったため、顔を合わせなくなったからだ(なおモーニカはその話を聞いて喜んだ)。
――会わなくなれば婚約者の事など全く気にせず、それぞれのびのび暮らしている弟妹の姿を間近で見ているドロテーエやオーディロは、両家の両親に改めて申し出た。
「この婚約、解消させた方がいいわ」
「今ならまだ問題も起きてないし、相性が悪かったと理由付けもたいしておかしくないじゃないか」
しかしどちらの親も、第一子の言葉に頷く事はなかった。
ヘソナイト男爵家からすると、資金を提供をしてくれるムーンストーン子爵家との関係を悪くする手は打てなかったのだ。
逆に、ムーンストーン子爵家からすると、人材を豊富に提供しているヘソナイト男爵家との関係を悪くする手は、打ちたくなかった。
ムーンストーン子爵夫妻とヘソナイト男爵夫妻は、双方、婚約解消と合わせて事業の協力関係も解消されてはたまらないと、結局動く事はなかった。




