【01】起こるべくして起こった婚約破棄騒動
いつもの見切り発車で書いた小説になります。お暇な時の暇つぶしにお読みください。
なんなら過去一纏まりがないです。
ヘソナイト男爵令嬢モーニカのデビュタント当日。
控室で、主役の兄であるオーディロは苛立っていた。
今日は妹の、大事な日である。
デビュタントは特に貴族の令嬢にとっては、大人としての第一歩であり――これの成功と失敗は、時に、その後の令嬢の人生に影を落とす事も、光が差す事もある。
残念ながら、モーニカのデビュタントは金銭的事情もあり、大きなパーティーではなく実家主催のパーティーである。何年も前から力を入れて取り組んでいる治水工事に、莫大な金銭やその他の負担があったために、巨大なパーティーを開催することはもちろん、大掛かりなパーティーに参加するために遠出する事も出来なかったのだ。
それでも、普段男爵家が主催するパーティーと比べると随分力の入ったパーティーではあった。
参加者も少なくない。
ヘソナイト男爵家は、領地も持っている貴族家だからだ。
分家筋の者たちは外せない仕事でもない限り参加しているし、近隣領主や周囲で暮らしている貴族たちも参加している。
それだけでなく、男爵家から見て本家であるヘソナイト子爵家の跡取り夫妻も参加していた。
既にパーティーは始まっており、客人たちがあらかた入場したのち、主役であるモーニカも入場するだけだ。タイミングは、迫りつつある。
……のだが。
「おい、ガーティはいつ来るんだ!?」
いつになく苛立ちの込められたオーディロの声に、使用人が「ま、まだ来られておりません……」と肩身を狭くさせた。
そう。
モーニカをエスコートするはずであった、ガーティ・ムーンストーン子爵令息が、いつまで経っても控室に来ないのである。
彼は川を挟んで隣に領地を持つムーンストーン子爵家の嫡男であった。モーニカは、彼に嫁いで子爵夫人となる予定である。
既に主役のモーニカの準備は万端。
この日のためにと用意したドレスも、アクセサリーも、化粧も完璧である。
なのに、重要なエスコート役のガーティだけがなぜか現れていない。
「チッ、あのバカ、今どこに……! ……ムーンストーン子爵ご一家は?」
「し、子爵夫妻とドロテーエ様は先程、入場していらっしゃいました」
ガーティの親と、姉ドロテーエは既に入場しているらしい。
「ガーティはいなかったのか」
「は、はい。ガーティ様を呼びに向かった使用人が、姿が見えなかったと報告を……」
「子爵ご一家には話を伺ったのか?」
「い、いえ……そうした報告は上がっておりません」
「なぜ子爵にガーティがまだ来ていない事を報告しないんだ! いますぐいけ! ドロテーエ様にもお伝えするのを忘れるなっ!」
「は、はいぃ!」
使用人が、慌てて走り去っていく。
モーニカは、不安からか灰礬柘榴石らしいオレンジの瞳を揺らしながら、兄を見上げていた。
「オーディロ兄様……」
「……父様と母様には文句を言われるかもしれないが、ガーティが現れなかった場合は、俺がエスコートする。いいな?」
「はい。なんなら、その方がうれしいです」
気丈にも笑顔を浮かべるモーニカの言葉に、こら、とオーディロは苦笑しつつ咎める。
「思っても口にするんじゃない。今はどこで誰が聞いてるかもわからないんだ」
「ごめんなさい……」
しょんぼりと頭を俯かせたモーニカの肩を、オーディロは慰めるように叩いた。
いつもであれば頭をポンポンと軽く叩くが、今は侍女たちの手によって立派に結い上げられているので、崩さないように気を使ったのだ。
――暫くして、ムーンストーン子爵夫人が慌てた様子でオーディロとモーニカのところにやってきた。
「ああ、モーニカ! ガーティが来ていないというのは本当なの?!」
モーニカに突進するがの如くやってきた子爵夫人の前に、オーディロはモーニカを庇うように立ち、子爵夫人に声をかける。
「お久しぶりでございます、子爵夫人」
「え、ええ久しぶりね、オーディロ」
「ご連絡させていただいた通り、まだガーティが来ておりません。遅れる、という連絡もないのです。もしや彼は本日は体調不良で不参加なのでしょうか?」
「ガーティはわたくしたちと共に来たのよ、不参加な訳ありませんわ。大事な婚約者のデビュタントで!」
ではなぜここにいないのか。
オーディロとモーニカの兄妹はムッとしながら、子爵夫人を見つめた。
その視線に気が付かず、子爵夫人は「ガーティったら、一体どこで時間を消費しているの?」とつぶやいている。
(ドロテーエ嬢は……、いないか。なら、会場内でガーティを探してくれているのだろう)
普段なら一番に話を聞きに来てくれそうなドロテーエの姿が見えないので、オーディロはそう予想した。
正直、オーディロの気持ち的には、子爵家で一番話が通じるのはドロテーエだった。なので彼女が来てくれれば……と思わなくもないが、彼女も一令嬢。決定権があるわけではないので、ここに子爵夫人が来たのは当然の事ではあった。
――ちなみに彼の予想は正しく、ヘソナイト男爵家からの連絡を受けたドロテーエは、即座に、会場内にいるはずのガーティを探して会場内を歩き回っていた。
話は控室に戻る。
独り言をつぶやき始めた夫人に対して、オーディロはごほんと咳払いをしてから伝えた。
「ムーンストーン子爵夫人。このような事は申し上げたくありませんが……本日の主役はモーニカです。万が一時間になってもガーティが姿を見せなかった場合、僕は兄として、モーニカのためにパートナーとして本日のパーティーに参加いたします」
「け、けれど。このパーティーでは、二人の仲が良好であると、近隣の方々に見せなくてはっ」
「では、早くガーティを連れてきてください。当人がおらず、どうやって仲が良好だと見せるのですか? ガーティが来ない場合は、僕が妹を連れていきます。許可を」
子爵夫人は迷っていたようだが、最終的にオーディロの意見を認めた。
オーディロは控室にいた使用人に「父様と母様に、子爵夫人には許可を得たので、時間になってもガーティが現れなければ僕がモーニカを連れて入場するとお伝えしろ」と指示を飛ばした。
暫くしてから、男爵は「オーディロの判断の通りでよい」と伝言が返ってきたのだった。
その後も三人はガーティを待ち続けたのだが。
――ガーティは結局、時間になっても現れなかった。
「行くぞ、モーニカ」
「はい。兄様」
立ち上がるヘソナイト兄妹に向かって、子爵夫人はオロオロして、モーニカに語り掛けてくる。
「ね、ねえモーニカ。少し、あと少し待ってちょうだい。あと少しで来るかもしれないのだから……」
「子爵夫人。申し訳ありませんが、他のお客様もおりますし、時間を押すわけにはまいりませんわ」
未来の義母の願いを、モーニカは受け入れなかった。
ここがムーンストーン子爵家主催のパーティーであったならばモーニカも受け入れただろう。
だがこのパーティーは主催がヘソナイト男爵家。
何より、モーニカのデビュタントの場である。
ガーティの事を思う子爵夫人の言葉を受け入れる理由はなかった。
肩を落とした子爵夫人から、恨みがましい目で見られながら、オーディロがエスコートする形で、モーニカは会場に入場した。
幸い、未婚である兄に手を引かれて入場するのはさしておかしくなく、周りは問題なく祝福ムードでモーニカの入場を祝ってくれた。
中には婚約者であるガーティが横にいない事に違和感を覚える者もいただろうが、そんなのは少数であっただろう。
モーニカの入場も済み、主役の父であるヘソナイト男爵が前に進み出た。彼は娘のために集まった事について、客人たちに感謝を伝えた。
そうして社交界にデビューして最初のダンスが始まる――と、いうところで。
急に人込みの間から、ガーティ・ムーンストーンは姿を現したのだった。
「おい!」
当初モーニカは、その言葉が自分を呼ぶ言葉だとは理解できなかった。大声に驚いて振り向いて、なんだか見覚えのある気がする青年が誰かわからず、首を傾げたのだ。
一方、今まさにモーニカとファーストダンスを踊ろうとしていたオーディロは、明らかに敵意を持った眼差しで男に答えた。
「ガーティ? お前、今までどこにいた」
「え、ガーティ? あれが?」
兄の言葉に、小声でモーニカは驚いた。
妹の驚きも、仕方がないだろう。
ガーティと同い年のオーディロは、彼が領地から離れた貴族学院に入学後、どのように成長していったかを見ているので、今の姿に違和感はない。
だが婚約者と言えど数年まともに顔を合わせていなかったモーニカにとっては、別人にしか見えないぐらい、今と昔のガーティの姿は異なっている。
髪色や目の色こそ変化はないが、背が伸びて、体格が良くなっていた、というのも理由だが。何より大きいのは――。
「……あんな人相の悪い人だったかしら……?」
声が漏れている妹に、後で小言を言う必要があるな……とオーディロは思った。
だが、気持ちは分かるのだ。
(ガーティは、めっきり人相が悪くなった)
そう思いながら、妹を守るべく、オーディロはガーティと対峙するように立った。
モーニカは兄の背中に隠れるようにしながら、恐る恐るという雰囲気でガーティを見ている。
一方。
ガーティは、ただでさえ人相の悪い顔を更にゆがめて、オーディロを指さしながら言った。
「オーディロ! お前には関係ない。下がってろ!」
「関係は大ありだとも。何せ妹の件だ」
「当事者ではないだろう!」
その言葉が、モーニカの何かを刺激してしまったらしい。妹は止める兄を制して、前に進み出た。
おおよそ三年ぶりに相対した婚約者たちは、お互い、相手をにらんでいた。
とても、良好な関係ではない。
遠くから双方の父母が止めるような声が聞こえてきた気もしたが、自分のデビュタントを邪魔されて、モーニカは苛立っていたのである。
デビュタントが令嬢にとってどれほど重要か、まっとうな貴族であれば知らぬはずはない。
それを蔑ろにするのだから、今回に限ってはガーティだけが悪いと、モーニカは思っているようであった。感情が顔に出ていて、斜め後ろのオーディロには妹の思考が手に取るように分かった。
「何か御用でしょうか?」
苛立ちの含んだわざとらしいモーニカの問いかけに、ガーティはモーニカを指さして、会場中に聞こえるような大声でこう宣言した。
「お前とは婚約破棄する! お前の有責だ! だから俺に慰謝料をよこせ!」
突然の物言いにモーニカが目を丸くして次の言葉に詰まった瞬間、真横から足が飛んできた。
「バッッッッカ弟がァァァァァァァァ!!!!」
その声がドロテーエの声だと認識したときには、ガーティは横に吹っ飛んでいった。
「…………わあ」
と、モーニカは呟くしかなかった。
もはやそれしか言えなかった。
その横で、オーディロは頭を抱えていた。
何もかもが滅茶苦茶だった。
かつ、彼が考えていなかったような形で、妹のデビュタントが滅茶苦茶になった事を、兄は理解した。妹が倒れるのではないかと心配し、彼は妹の背中と肩に手をまわして彼女を支えた。
一方。そんな想い合う姿を見せるヘソナイト兄妹の目の前で、ムーンストーン姉弟の喧嘩が始まっていた。
「な、なにする、んだ! ドロテーエ!」
ガーティは蹴られた箇所を押さえながら、半泣きで姉をにらんだ。一方、弟を蹴り飛ばしたドロテーエの額には血管がいくつも浮き出ており、フーッ、フーッと鼻息荒く呼吸をしていた。
その姿はさながら荒れ狂う獣。
己の生んだ子供に手を出されて怒り狂う母獣のようであった。
「ヒッ」
と弟は姉の怒りっぷりに震え上がった。
もう、滅茶苦茶である。
そこへ、ようやっと両家の親たちが駆け付けた。
人込みをかき分けて走ってくるだけにやたら時間がかかったとみるべきなのか、それともそれらの動きを遥かに上回ったガーティの動きやドロテーエの蹴りが早すぎたのか、もはやどちらが上なのかを判断する事は難しい。
――ともかく。
ムーンストーン子爵一家は会場から出される事になった。
当然だ。
令息は大声で婚約破棄なんて叫んだし、令嬢は弟を人々の目の前で蹴っ飛ばしたのだ。そのまま会場に置いておく事は出来ない。
ヘソナイト男爵家はそのまま残ってなんとかパーティーを続ける事となったが、ざわめきは収まらなかった。無理矢理音楽の演奏を始めてファーストダンスを行ったものの、終える頃には、モーニカも泣き出してしまった。
あまりの出来事に先程まで呆然としていたが、遅れて悲しみが湧き上がってきたのであろう。
オーディロはモーニカを連れてすぐ別室へと移動したが、もう、パーティーどころではなかった。
パーティーは途中で終了せざるを得なくなった。
結局、この日のパーティーはムーンストーン子爵家、ヘソナイト男爵家、双方が名前に泥を塗って終わる事になったのだ。
なんとかお客様に謝罪とお礼をして全員に帰っていただいた後、そのまま両家揃っての話し合いが開始する事になったのは、当然の流れであった。
モーニカを私室に連れて行ったあと、オーディロは恨めしそうな視線で両親を見た。
「……最悪の形でしたが、いつかこうなるのではとも思っていましたよ」
「オーディロ……」
父が息子を咎めるように名を呼んだが、オーディロは言葉を訂正はしなかった。
だって本心であったのだ。
いつかモーニカとガーティの婚約は破綻する。
婚約時に破綻しなかったとしても、結婚した後だとしても、二人の関係は破綻していただろう。
それぐらい、モーニカとガーティの関係は、長年悪かったのだから。