第八話 過去編って何十話もやった後にやるべきだよね
宙に浮かぶは赤子の寝巻と獣脂にまみれたトリカブト。ぬかるんだ地面へ突き立てられた麺棒とロバを模したぬいぐるみ。現と幻の境目に指を添え、夢の辺境をそろそろ歩く。
私は少女マリアの夢を見る。
*
夢はいつかの続きから。
マリアは母親を失った。世話人もいない。財産もない。彼女の選択肢は自然狭まる。
彼女の初めての相手はハゲの目立つ三十を超えた男だった。「正規の価格」を知らないマリアは男たちのいいカモだった。
マリアの暮らす村は狭い。秘密は秘密たり得ない。いつしかマリアも母親と同じように「魔女」と呼ばれるようになっていた。
マリアは美しく歳を重ねていく。マリアの美しさに磨きがかかればかかるほど、男たちは彼女を褒めそやし報酬を上げた。
いつしか心から愛する男ができた。マリアよりみっつ年上の彼は鷲鼻が印象的な青年だ。金髪をオールバックに固めた姿はいかにも闊達に見え、笑顔が知的でハンサムだった。
夜毎囁かれる睦言はマリアを痺れさせた。彼は村長の息子であり婚約者がいたが、地位を投げ打ち婚約者と別れるとまで言ってくれた。
彼の青い瞳のきらめきよ!
彼の子を孕んでいると知った時のマリアの喜び様と言ったら。
私はこの子を産むために生まれてきたのだ。愛を持って豊かな家庭を築こう。ただひたすらに子を愛し、暴力など振るわない。暴言も吐かない。
私は母とは違う!
マリアは十四歳。人生の春を迎えていた。
*
夢の端、暗く湿り気を帯びた暗い場所で、私はマリアを見守っていた。
奇妙な夢は終わらない。
*
マリアの家に珍しく女が来ていた。それも十人は優に越えていた。
リーダー格の中年女は眼を吊り上げて言った。
胎の子を下ろせ。産まれるべきではない命だ。
さらに女は続ける。
父親もそれを望んでいる。
マリアは女の言葉に打ちのめされた。
なおもマリアは子を望んだが、村の女たちが寄ってたかって彼女を抑えつけ、彼女の顔を殴りつけ、胎を蹴たぐり、四肢に鞭を打った。ある者は夫と床を共にしたことを罵り、ある者は淫愛の女神の名を引いて彼女を愚弄した。
抵抗できなくなるほどマリアを痛めつけたのち、彼女らは薬草で作った堕胎薬をしこたま飲ませた。
当然の報いだと言って女たちは去っていた。
マリアは起き上がり、股ぐらから流れる赤い血を見て涙を流す。涙を流す。
泣き疲れたあと、せめて水で身を清めようと起き上がり、鏡に映る自分を見て驚いた。
自慢の顔は原型がなくなるほどに殴られ、前歯も数本折れていた。美しかった四肢には治りようのない傷が刻まれていた。
*
私は彼女を背後から抱きしめる。当然夢の世界の住人たるマリアは私に気づかない。何の意味もない行為。それでも彼女を抱きしめずにはいられなかった。
*
マリアの人生の冬が始まる。
暴行を受けたマリアは悲惨な運命をたどる。後遺症で左目は常に半開き。笑えば欠けた前歯が露出する。
彼女の人並み以上に優れた容姿は劣化した。そして彼女は歳を取った。この異世界では十五、六歳になると結婚をし子供をもうけている者が多い。彼女の価値は暴落した。
客足は遠のく。
お前は高すぎるとケチがつき、体をひさぐだけでは食べていけなくなった。
客層が変わる。
彼女の容貌を褒めそやす者はいなくなり、代わりに醜い魔女め、と罵る輩が増えた。乱暴な行為を好む者が増える。金を払わない者にマリアから金をせしめる者。
彼女の心身は着実に蝕まれていった。
マリアは毎夜涙を流す。
せめてあの人の子が産まれていたら、長く苦しい夜も耐え忍ぶことができるのに。
気が狂いそうな満月の夜にマリアは思いつく。子は死んでいない。今もなお胎の中で生きている。
あの子は生きている!
愛おしさのあまりマリアは胎を撫でる。胎中で生きている私のかわいい子。あなたをこの腕に抱く日を、何年でも待ち続ける!
この発見は彼女を鼓舞し、また慰撫した。彼女は捨て鉢のような生活を改め、村人の手伝いをしてわずかな賃金を稼ぎ、産まれてくる赤子のために衣服やら、ベッドやらをそろえ始めた。
村人たちは年増女が孤独の果てに狂気を患ったと評したが、マリアからすれば狂っているのは世界の方だ。
マリアは胎の子の母親だ。私たちは臍の緒を通して固い絆で結ばれている。肉の繋がらない、血すら繋がっていないお前らがさかしらに語るな! なによりもほら、愛しい我が子が胎を蹴った!
ありもしない胎動を感じるだけがマリアの生きる意味となった。
二十を過ぎ、マリアは助産師の助手として働き出した。
無事産まれたら母子が頑強なおかげ、母子のいずれか、その両方が死んだら助産師の責任。不作続きで新生児の死亡率は高い。
遺族に恨まれ、人の生死を司る穢れた職業。それがこの世界における助産師だ。
助産師の老婆はマリアの弟子入りを懇願された際そのように忠告した。マリアは笑う。
出産に慣れておきたい。自分の子は自分で取り上げたいから。
助産師は何か言いたげだったが、諦めたように首を振る。マリアの弟子入りを認めた。
助産師の老婆はお節介焼きで情け深く、鼻つまみ者であったマリアにも便宜を図った。
助産師としての仕事のみならず薬草についての知識を授けた。獣の捌き方を伝授し、生意気な態度や未熟な性格を矯正しようとした。
マリアが女ひとりでも生きていけるように。
助産師は何度も胎に子はいないと言って聞かせた。
マリアが再び己の人生を歩み出せるように。
マリアは反発する。時に助産師の老婆を殴ることさえあった。それでも助産師は辛抱強くマリアと向き合い続けた。
いいかい、マリア。あんたにゃ特別な力がある。
助産師は信じ難い、不可思議な話をした。
奇しくもあんたは我らが主、敗走した勝利の女神と同じ命運を辿っている。そのうち人の目では見れないモノも見えるようになるだろうさ。
あんたさえ望めば『カミガタリ』にだってなれるんだ。
助産師はマリアに切々と語る。
赤児の呪いをもらっちゃいけないよ。この国の人間は赤児の呪いにめっぽう弱い。国母たる女神が胎ん中で赤児を殺されちまったせいだ。助産師の死ぬ理由の大半は赤児の呪いをもらったせいだ。
いいかい? あんたの目にゃ赤児の呪いが見えている。呪いが見えたら決して関わってはいけないよ。
もし万が一、どうしようもなくって呪いをもらっちまったら新月の夜、水面に浮かぶ月に飛び込むんだ。そこで月の妖魔に助けを乞うんだよ。
そうするよりほかに手立てはないんだから。
月のない夜に、水面に浮かぶ月?
マリアは鼻で笑う。老人のたわごととしか思えなかった。胎の子が死んでいる前提で話す助産師が許せなかった。
助産師とマリアは反目し合いながらも、共に生きていく。
助産師が死ぬ頃、マリアは齡三十を超えていた。季節が一周するまでマリアは毎日のように助産師の墓を訪れ、生前には言えなかった悪罵の数々を披露した。季節が一周するとマリアは助産師の墓の前で静かに泣き、その日の夜は墓の前で子猫のように丸まって眠った。
助産師の跡を継ごうとしたが、村人たちから拒絶される。頭のおかしい「魔女」に我が子を取り上げて欲しくないらしい。かわりにマリアが作った堕胎薬を買うため、忍んで小屋を訪れる女は絶えなかった。
マリアはハーブから作った薬を売ることで生計を立てられるようになった。あとは胎の子が産まれるだけなのだけれど。
季節は驚くべき速さで流れていくのに、己の体は動かなくなっていく。鏡で己の姿を見、助産師のような老婆になっていて激しくうろたえる。
凪いだような日々を過ごすマリア。村人たちと没交渉の彼女だったが、村の一大事件は彼女の耳にも入ってきた。
二組の夫婦の不倫が発覚したのだ。
変化のない村で不倫は娯楽のひとつであり、取り立てて騒ぐことではない。今回は通常と異としていた。
仲睦まじいと評判だった夫婦は、妻が夫を生きたまま燃やした。不貞を叱責され逆上したらしい。夫は死亡。罪を認めぬ妻はそのまま縛り首。
新婚の方は潔白を証明するため妻が自殺。夫は不倫の末できた黒肌の赤児を、干からびた表情で抱えている。
なんと滑稽で愉快な醜聞であろうか。
マリアは喜び勇んで村へ顔を出す。
村の集会所たる教会で、両親が死んだ方の赤児の処遇を決めている最中だった。教会前の人だかりをかき分け、赤児を目にしマリアは息をのむ。
おくるみの中の赤児は見たこともないような色褪せた肌を持ち、髪とその瞳は黒々として見る者の不安を掻き立てる。赤児は口を閉じていたが、マリアの脳髄では赤児の泣き声が鳴り響く。
褪せ肌の赤児にはどぶのような色のもやがまとわりついており、煙の如く揺れる。もやに目を凝らすと、小さな青い瞳が褪せ肌の赤子を睨め付けていた。
助産師と共に何度か見た光景だった。だがそのほとんどは母親にこびりついているもので、赤児に憑いているのをみたのは初めてだ。
褪せ肌は赤児の呪いにかけられている。
様子を見るに、マリア以外の者に呪いは見えていない。
村人たちの声がマリアの耳に入る。
赤児は死産だったのではないのか。壮年の男がぼやく。
流したあとも胎は膨れ続け、褪せた肌の子供が産まれた。若い女は気分悪そうに胸に手をやった。
姦通の証左としてこの赤児は産まれなければならなかった。我らが女神は罪を見逃さない。村長の腰巾着が長いひげをなでる。
女神のご意志で産まれた子ならば無体に扱ってはならぬ。ましてや殺しては災いが降りかかるやも知れぬ。
村長は村人たちに呼びかけた。
誰か、赤児を引き取ってくれる者はおらぬか。
そこここで噂話に花を咲かせていた女たちでさえ黙りこくってしまう。不貞の末生まれた、肌の異なる赤児なのだ。女神の意志で生まれた子となれば粗雑に扱えない。
厄介なだけの子供を、誰が引き取りたいと願い出るだろうか。
この村にいるのだ。自ら災厄を背負ってしまうような愚かな女が。
マリアは震えながら挙手する。
私がその子を引き取る。
人垣を押しのけ、奪い取るようにマリアは赤児を抱いた。
コレはもう、私のモンだ!
反対の声は上がらなかった。
マリアが子を育てるに相応しくないと皆理解していた。赤児が悲惨な目に遭うと予見できた。
それでも村人たちは沈黙を選んだ。気味の悪い赤児の命より、自らの平穏な日々の方が重要だった。
マリアは耳障りな笑い声を上げ小屋へ戻る。赤児を取り返されないよう厳重に戸締りをし、何年も前から用意していた揺り籠を引っ張り出す。褪せ肌の赤児を床へ置き、呪いのもやがちょうど揺り籠にかかるようした。マリアは呪いへ親密な笑顔を向けた。
ようやく会えた。私の愛しい子。
褪せ肌を睨め付ける青い瞳にマリアは見覚えがあった。かつて愛した人の青い瞳だ。この呪いの子は間違いなく我が子だ、我が子の瞳だ。私は母親だからわかる。臍の緒で繋がれた私たちの絆は何人たりとも引き裂けない。あぁ、青い瞳のきらめきよ!
村人たちはマリアを孤独の果てに狂気に陥った老女と断じた。地べたに置いた赤児を見向きせず、空の揺り籠でくすぶる呪いへ産衣を着せようとする姿はなるほど確かに狂女である。
愛する人の子を失って以来初めて、マリアは心からの笑顔を浮かべた。