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第五話 ほのぼのけだものクッキング

 誰かが肩を揺らす。床に倒れていた私は目線だけ動かした。


「……起こしてくれてありがとう。教会、大丈夫だった?」


 ドゥは見つめ返すばかり。体を起こし、私は小さく伸びをする。子供のくせに肩がバキバキ鳴る。

 

 ドゥは人がいる場所へ行きたがらない。言葉が話せない故に、コミュニケーションを上手く図れないからだ。人が多いと意思疎通の難易度はさらに跳ね上がる。


「お疲れ様。……少し待ってて」


 私は外に出てハシバミの切り株の上にうさぎを置く。うさぎは気絶したままで目覚める気配もない。


 私が知っているうさぎは白くてふをふをした、毛玉みたいな愛玩動物である。こんな茶色く痩せ細ったうさぎを元の世界で見たことがない。

 もしかしたらこのうさぎは元いた世界とは異なるうさぎかもしれないなぁ。


 そんなことをつらつら思いながらうさぎの首を包丁で叩き切る。生きていようが死んでいようが関係ない。木に逆さ吊りにして血抜きを行う。

 血も大切な食糧である。地面にこぼれ落ちないようにうさぎの下に器を置いておく。

 うさぎ、というか野生動物をさばいたことがなかった。家畜とそう変わらなければいいのだが。


 私はさばき方を老婆から習っていた。足に障害を持った子牛をさばけと命じられた。転生して七年目の春だった。

 私はギャン泣きした。いつまでも泣き止まぬ私の顔面を老婆は殴る。鼻血がとめどなく流れた。老婆は私の頭を鷲掴み、包丁を握らせてくる。逃げられなかった。

 子牛の体温を今でも覚えている。

 老婆は特別に食っていいとさばいた子牛の足を渡してきた。食べれなかった。

 その後も鶏や豚やらの解体をやらされた。豚をさばいた時は疲れてぶっ倒れた。今やテキパキ動物をさばける元OLである。履歴書の特技欄が充実すること間違いなしだ。


 うさぎの頭から脳みそを取り出しておく。毛皮をなめす時に使うのだ。


 しかしよくうさぎを捕まえられたものだ。叫んだだけでうさぎが気絶してくれて助かった。

 大きな音に反応して気絶するなんて生物として脆弱過ぎる。人間からも野生生物からも狙われて絶滅待ったなしだ。

 たまたま大きな音に弱い個体と出会うことができた。おそらくそうに違いない。


 うさぎの体から落ちてくる血の量が減ってきていた。下腹部から首のあたりまで刃を入れ、内臓を引きずり出す。

 うん、焼けば食えるな!

 うんこが詰まってるところだけ裂かないように気をつければ難しくはない。

 ずっと作業を見つめていたドゥが、私の服の裾を引っ張った。


「……やってみたいの?」


 私は驚いてしまう。ドゥが自発的に何かをやりたいと主張してきたことなんて、これまでなかったのだ。

 ドゥに戸惑いつつ、手順を指示する。


「怪我しないようにね」


 彼は真剣な面持ちでうさぎの足首に切れ目を入れ、慎重な手つきで毛皮を剥いていく。ドゥの緊張が伝わってきて手に汗がにじむ。

 つるりとうさぎの皮が剥けた時、私とドゥはほとんど同時にため息をついた。


「ドゥ、ありがとう。がんばったね」


 ドゥから包丁と毛皮を預かり、これからやるべき作業を頭の中で組み立てていく。

 毛皮から肉を削ぎ落として、しっかり洗ってなめして木に干して……。内臓も洗わなければならない。うさぎの骨ってそのまま食べれるのかしらん。噛み砕ける程度であればそのままぶつ切りにしてしまえばいいから楽なのだけど。


 私とドゥの腹がぐぅと鳴った。お互い黙って顔を見合わせる。股関節のあたりに刃物を入れ、うしろ足を削ぎ落とす。

 面倒くさいことはあと回しである。私たちはお腹がすいた!


 小屋に戻って鍋にうさぎの足を二本突っ込んで火にかける。味付けはどうしてやろうか。

 ちゃっかり森で薬味になる香草を摘んできたのだ。この摘みたてセージを使うか? バジルもおいしいが、ドゥがバジル嫌いだ。

 香ばしい肉の香りが充満する。ドゥの口からよだれが垂れていた。

 味付けとかしゃらくせぇこと考えてられねぇ!


「ドゥ、食べるよ!」


 いただきますの祈りもおざなりに、私たちは素手で肉にかぶりついた。思考が止まる。口内に花園が立ち現れ脳内に女神の千年王国の門が開かれる。

 うさぎの肉を何にか例えよう。口内に肉汁が広がっていく。臭みがねぇ。なんだこの哺乳類。そもそも哺乳類なのか? パサつきが少なく、あっさりしている。元の世界で食べてた牛だとか豚とかよりクセがないので食べやすい。


 おや? この畜生美味しいぞ?


 私はうさぎと手を取りポルカ・ポルカを踊る。

 気がついたら肉が消えていた。ドゥは狂ったように自分の手のひらを舐めている。


「ドゥ。……まだ前足残ってるけど」


 感情の起伏に乏しいドゥの緑瞳が、きらりと光った。



 うさぎの背骨を噛み砕きながらふと思う。

 老婆に解体方法を習っていなければ、うさぎを食べることもままならなかった。よしんばうさぎを殺せたとて、肉の大部分を無駄にしていただろう。

 泣く私を殴りつけたこと、子牛の解体をやらせたことに私は未だ腹を立てていた。老婆を許してやる必要もないと考えている。

 おかげで生きる術を学べた。

 老婆の開かぬ左目を思う。

 老婆に感謝すべきではないだろうか? 老婆を憎むことは筋違いで、酷く不道徳なことではないだろうか?


 答えは出ない。


  *


 ここからは後日談。

 私たちは一日でうさぎ一羽を食べてしまった。おいしかったから仕方ない。


 数日後、回収を忘れていた道しるべの紐を集めに森へ行く。すると私が作った罠に獲物がかかっていたのだ。りすだった。


 ほう。


 私は再び罠を仕掛けておいた。罠の数も増やした。


 人目を忍んで森へ入ることが増えた。注意して見ると人工物であろう罠が各所に設置されていた。雨風に晒されて劣化した形跡がない。つい最近、狩猟禁止期間中に設置されたものであることは明らかだった。


 ほう。


 罠がどういった場所に設置されているか調べ、自分の罠を設置し直す。

 ついでに人様がこさえた罠をひとつ持ち帰り、どのような仕組みか勉強する。


 ドゥも私にくっついて森へ行くようになった。薬草摘みよりも罠作りにご執心の様子。


「ドゥも罠作ってくれたの? 落ちた獲物がそっちの葉っぱに飛んでって、葉っぱでもっと上に跳ねて、高いところの棒に刺さる仕組み? ……がんばって作ったね」


 ピタゴラスイッチもびっくりな罠作りである。褒めて伸ばす教育方針なので否定はしない。

「うさぎ、捕まえられるといいね」なんて言っていると後日ドゥの罠にキジがかかっていた。

 私は大いに驚き、ドゥは満遍の笑みを浮かべていた。初めて見る表情だった。

 恥ずかしながら、泣きそうになった。

 私はドゥが苦手だ。

 ドゥの家庭は私が原因で崩壊した。ドゥが話せないのも私が原因だ。彼は私の罪を体現した存在である。

 見ているだけで胃がムカムカしてくる。


 無表情のドゥが笑った。幸せそうに目を細め、音のない笑い声を上げている。

 胸が温かいもので満ちていく。

 自分の罪が少しだけ赦されたような気がした。異世界に来て初めて生きた心地がした。

 ドゥが笑えば精神の痛痒が和らぐ。


 ドゥを幸せにするのだ。

 私は静かに決意した。


 ドゥを思って! なんて欺瞞を吐くつもりは毛頭ない。私のためにドゥには絶対に幸せになってもらう。

 どこまで行っても自分本位な私です。


 涙がこぼれないように空を向く。空を見やるなんていつぶりだろう。存外世界はまぶしかった。


「ドゥ、私がんばるね」


 ドゥが不思議そうに首を傾げた。

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