第三十一話 汝現人神と相見えん
アーサーと名乗る男は白い器を五枚、肩に下げた麻袋から取り出した。器に麦、塩、水、酒、洋花それぞれを盛り付けてゆく。
私はその様子を注視する。彼が何者なのか、目的も分からず終いなのだ。
何より彼は貴族だという。
『家畜に過ぎない君に、わざわざ領主が事の一切合切を説明する訳ないでしょう』
『平民である貴様に語るべき言葉などない!』
身分の高い者から発せられた言葉を、思想を忘れるな。
貴族と言うだけで敵であるに違いないのだ。大司教様との出会いを思い出せ。話に耳を貸さないよう心掛けろ。
野生生物のように警戒する私を見、アーサーはけらけらと笑った。
「挨拶の準備だよ。ここは人ならざるものの領分。人様の家にあがる時は相応の挨拶がいるだろう? 丁寧であるに越したことはない」
手を打ち鳴らし、彼は耳慣れぬ抑揚とイントネーションで歌を詠む。聞き取りにくいが、こちらの国の言葉であるらしく大意は理解できた。
畏れ多くも申し上げます。
私はトキノミコトの兄弟に当たるアラナミノミコトの傍系、シオサイノオオジの娘たるシラナミヒメの血を継ぐ、オオクニノオオジの直系に当たる者です。
宴の準備が整いました。
どうぞお召し上がりください。
アーサーは繰り返し歌を詠む。声がかすれてもお構いなしだ。
先程の剽軽な彼とはうって変わり、誠意に満ちた面持ちで儀式を執り行うアーサーに混乱する。彼の人柄が見えない。彼の考えが掴めない。
彼の真摯な態度に気勢が削がれそうになる。油断してならぬと言い聞かせる。
三時間はそうしていただろうか。アーサーは床にどっと腰かけ、球の汗を流す。
「だめだ。神もしくはそれに相当する存在からの返答がない」
アーサーは大きな独り言を吐いた。帰りてえ帰りてえとぼやいたあと、彼は立ち上がり歌を詠む。
「……いつまで、続けるの?」
久々に出した私の声は、べたりとする心地の悪いものだった。
アーサーが歌を取りやめる。彼は爽やかな笑みを浮かべた。
「雨乞いを確実に成功させる方法は知っている? 雨が降るまで祈り続ければいいのさ」
薄暗い白亜の城に、アーサーの声が響く。
どうしてそこまで?
「この国の命運を握っているからね。ここで命を張らずんば男が廃る」
私の考えを見透かしたようにアーサーが答えた。
この国の命運?
心臓が嫌な音を立てる。
私は外の世界がどうなっているか知らない。
生唾を飲み込み、まばたきひとつ。
思考を放棄してきた罰を受ける時がきたのかもしれない。
アーサーは床へと倒れてしまう。彼の衣服は乱れ、ひーひー呼吸し、嫌だ、帰るなど泣き言を喚く。
彼へ慎重に近づき、声をかけた。
「外は、どうなっているんですか」
アーサーが上半身を起こしてあぐらをかく。しばらく考えたのち、彼は話し出した。
「……この国の各地で、同時多発的に人が発火し死亡する事件が起きた。
死者の多くは聖職者。
というか、この国の聖職者は全員死んだ。枢機卿から田舎の神父に至るまで、誰ひとり余さず徹底的にね。
それから、王家の血を継ぐ者たち。
現王含めもれなく死亡。見事お家断絶ってわけ。
話によると、その日あったパーティーで王とその弟たる大司教が女神に悪罵を放ち、敗走した勝利の女神が激怒。
人を燃やしたとかしないとか。
預言者の言葉になぞらえて、その晩にあったパーティーを『国崩しの舞踏会』と呼ばう者までいる」
忌まわしきパーティーの光景が鮮明に蘇る。思い出すだけで、人の髪が焼ける悪臭が鼻を掠める。
「『国崩しの舞踏会』を境に、王都は闇に包まれた。太陽も遮る暗闇は大地を温めることなく、王都を極寒の地に変えた。
人は王都から逃げ出した。
王都の人間が流民化することにより治安の悪化、疫病の蔓延。
中央の政は完全に麻痺しているし、精神的支柱の役割としての教会は完全崩壊。この国は未曾有の危機に陥った。
それで済めばよかったんだけどね。
王都を覆う闇がじわりじわりと広がっている。このまま闇が国全土を覆えば、この国は人の住めぬ不毛の大地と化すだろうね。
どうしようもなくなった貴族の生き残りが隣国に頼り、世界最強のおぢさんたる私に話がきた。っていうのがこれまでの経緯」
暖かいねここは、と言いアーサーは赤い上着を脱ぐ。真白のシャツが私の目を刺した。
「というか、国母たる敗走した勝利の女神に見捨てられた時点で詰んでいるんだよね。
女神の祝福がなくなった大地に種を撒けど芽吹くことなく、川は涸れ森にあるのは朽ちた木ばかり、赤児だって生まれない。ウケるよね。
闇だけでも解決して来いって王命だから、これらの諸問題はどうでもいいんだけど」
気を失えるものならそうしてしまいたかった。彼がもたらした外の情報に混乱する。
人が大勢死んだ? 極寒? 城内はボロ着でも過ごせるのに? 子供が生まれない?
悲惨な状況であるのに、アーサーはどうして楽しげなんだ?




