第三十話 花を喰らうけだものよ
はいはい皆さんこんにちは私です。いつものようにひとりぼっち脳内劇場、開幕です。
脳内におはします皆々様におかれましては、「この女死んだな」と思いましたよね。
奇遇ですね私もです。
寝落ちした時点で詰んでんなと思いましたが、ところがどっこい生きている。
私は惨劇のあった広間で目覚める。
大理石っぽい床へ直接寝ているので、起きた時には体がバキバキである。つらい。
傍らにドゥ。あの夜から目覚めない。
私はドゥの胸に耳を押し当てる。
ゆっくりと脈打つ心音を聞き、彼が死んでいないと確かめる。
ドゥの目隠しを巻き直してやる。目隠しをしていない彼は死した老婆を思わせて苦しくなる。
床から数メートル高い位置に設置された窓を見やる。他の窓は雪に覆われてしまった。
外は暗く、星は輝きを放棄した。寝ても覚めても空は暗いまま。時折激しく雪が降る。
私の腹が鳴った。
一時は何も食べずとも平気だったのに、今では花の香りを嗅ぐだけで涎が垂れる。
そう、花だ。
大広間全体に目を向ける。
玉座が置かれるこの場所は、無数の花々に満ちていた。
悠然と咲き誇る牡丹は語るまでもなく、着飾る赤薔薇、首を垂れる鈴蘭の傍には三色菫。密やかに佇む霞草に勿忘草、愛嬌振りまく鬱金香。姦しい向日葵が目に刺さる。
扉前は特に花が咲き乱れ、互いを喰らい合うよう。
石畳からどういった理屈で花が芽生えたのかわからない。狂乱のパーティー後、目を覚ませば雑多な花畑が完成していた。
近くに群生する白い和蘭撫子の元へ。
このあたりに醜王の遺骸が転がっていたことを覚えている。その遺骸は今やどこぞに消えてしまった。私は和蘭撫子の根元にある黒い何かを見ないふりする。
扉前は最も花が多い。考えても詮無いこと。
そう言い聞かせないと、私は、気が、
あ
ごめんなさい あぁ
あ
失礼。
思考のブレーカーを落としたまま、和蘭撫子を数本手折る。花を腕に抱えたまま、別の花の群生地へ。黄菊、花車、トルコ桔梗に和蘭海芋。数分後には立派な花束ができる。
私はドゥの隣に座して和蘭撫子を口に放り噛み砕く。口内に広がるプラムの味。ここに咲く花は美味なものばかり。
飲み込みたくなる衝動を抑え、ドゥへ口移しに花弁を与える。ドゥの喉仏が上下するを確認し、再び私は花を喰む。
黄菊はシナモン、花車は胡麻クッキー、トルコ桔梗はアールグレイ、和蘭海芋はコンデンスミルク。
私はドゥの口内に花を押し流す。
ドゥは眠りついたままだが、飢えると腹を鳴らす。どうしていいか分からず、花を細かくちぎって口へ運んでも飲み込んでくれなかった。指で無理に押し込むとドゥは花を吐き出してしまう。
日に日に痩せていくドゥを見て、私は半狂乱になった。今となってはどうしてそんな大胆な行動に出たのか自分でもわからない。
とにかく、ドゥに口移して花を食わせた。口移しであれば、ドゥは素直に嚥下してくれる。それだけだ。
口移しの度、水音が響く。お互いの唾が絡み合い、お互いの息だけで生きているように錯覚してしまう。ドゥは私がいなければ食事もままならない。
ドゥの飲み込みが鈍くなる。ドゥの食事を切り上げ、残された花を食べ散らかす。
カサブランカはミルクケーキ、菖蒲の花はシャインマスカット、薫衣草はハイチュウいちご味。ウツボカズラが松阪牛とは驚いた。
目覚めて数日はどれほど花から芳しい香りがしても、腹と背中がくっつきそうなほど飢えても、手を出さなかった。
花を食べたら、人としても一線を越えるような気がしたから。
三日目の眠りに落ちる寸前で、欲に負け花を食べてしまった。花は口内でほどけ、信じられないほどの多福感を与えてくれた。
同時に花の苗床となっている存在に想いを馳せ涙を流した。その頃は花の量が少なく、覗き込めば人の衣服を目視できた。
いやよいやよと美味な花に舌鼓。涙も食欲も止まらない。
花をたらふく食らい、ドゥのとなりに寝そべる。ここで暮らし始めて数日は罪悪感に苛まれたが、「何も考えない」という方法を編み出した私に死角はない。
無心無心。
前は眠った回数を数えていたが、五十を超えたあたりからカウントを放棄した。だって算数苦手だし。
扉の外へ出る気も無い。
花々をかき分け進む行為がおぞましかったし、外に出たところでどうなってしまうか分からない。だったら食糧の花があるこの広間に引きこもっていたほういいもんね?
飯喰らって眠るだけとか家畜かよ。
いけないいけない正気に戻るな無心無心。
しりびいてしまうほどに伸びた黒髪を、毛布がわりにドゥへかけてやる。ドゥの鼓動を聞いていなければ、私は私でいられない。
ふと思い立って首を巡らせてみる。お目当てのものは意外と近くに転がっていた。
醜王が被っていた王冠だ。やはり現代日本ほど鋳造の技術が発達していないらしくて、表面には凹凸が目立つ。宝石がごてごてと埋め込まれて悪趣味ったらありゃしない。
何の気なしに、ドゥの頭に王冠を載せてみる。
布を巻いただけの貧相なドゥの身なり。載せられた金ピカの王冠。ドゥを囲む色とりどりの花。冷徹なドゥの横顔。窪む眼窩。
それは王宮を走るゴキブリの如く倒錯的で、
自分を孕むはずの母をギロチンにかける如く革命的で、
自由に耐えきれず権利を王に返納する人民が如くアイロニカルだ。
眠れる彼を睥睨するボロの修道服を着た私も、不可解で錯綜しており脱線しつつ混迷している。
涙をこぼす権利などない。涙の代わりに悪魔じみた笑い声が漏れた。ひとしきり笑い転げたのち謝罪の言葉を紡ぐのみ。
これが私の人生の果てか?
嘆きも束の間。
花食べ眠れば全てリセット。
感情は劣化が早い早い。感覚も麻痺していい塩梅ですね?
花を喰らい昏々と眠る。
ドゥの目隠しを付け直し、彼の衣服のしわを正す。ドゥの世話をしている時だけが安らぎを与えてくれる。
花をむさぼり眠りに落ちる。
彼のために生きていいのだと赦しが与えられる。彼は私に生かされているのではない。
彼が私を生かしているのだ。
花を胃に落とし睡眠をむさぼる。
口に放れば溶けて何も残らない、砂糖菓子の日々。
私はドゥと豊穣で無為な時を過ごす。
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ある夜のことだ。
地響きを伴う大きな音ののち、扉前の花畑の一角が崩された。私は目を覚まし、ドゥを庇うように立ち上がる。
私たちは城を占有している国賊だ。いつかはこんな日が来るとは覚悟していた。
大方国の兵たちだろう。
装備を整え城を奪い返しに来たと推察する。軍隊でお出ましされたら多勢に無勢、ひとたまりもない。
せめてドゥだけでも逃せれば。
高鳴る心臓を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。予想に反し、雪崩のようになった花畑から現れたのは栗色の髪をした男ひとり。
「いやぁ〜気味が悪いね! あっちもこっちも焼死体だらけ。その焼死体を苗床に咲き誇るお花さん。悪趣味ったらありゃしない!
王都は闇に覆われて、まるで伝承の邪神が住むという異界じみている! 一体全体何が起こったというのだろうね?
……おや、そこの君がここの主かい?」
歳の頃は三十そこら。
格式高い赤の外套は男の地位を饒舌に語る。背中にある大きな麻袋は探検家じみていてちぐはぐだ。手元にはルビィのランタン、炎の如く赤く燃える。長い前髪のせいで男の表情が掴めない。
男はたっはー! と独特な笑い声を上げた。
「初めまして美しいお方。そんな君より美しい、ハンサムしたたるイクメンパパ!
隣国の大貴族にして博覧強記の大学者様、世界を股にかける冒険家かつ泣く子も黙るネゴシエーター!
その名もアーサー・オールドマン様!
以後お見知り置きを」
男は胸へ手を当て典雅に会釈。前髪がさらりと流れ、男の黒々とした眼帯が露出した。