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第二十八話 火の粉とダンス・ダンス・ダンス

 ドゥに抱きすくめられ、ますます混乱する。

 沸き立つ疑問の一切合切は、けぶる腐りかけの果実の香りを前に立ち消えた。


 ドゥが私を突き飛ばし、たまらず二、三歩後退る。

 ドゥワァが苦悶の表情で首元に手を伸ばす。彼の首は見えない何かによって絞め上げられていた。


「他国からの刺客、バダブの民です。怪しき技を使い他者を害する、忌まわしき存在。

 私たちの気高き曾祖父たちはこの国のバダブの民を打ち払いましたが、彼らはドブネズミの執拗さで、この国を転覆せし時を狙っているのです。

 聖戦は未だ終わっていない」


 聞き覚えのある声に目を向け、短い悲鳴を上げる。

 光源氏もかくやと思われるかんばせ、汚れなき聖衣を引きずり歩く姿は誰より気高く美しい。

 先ほどまで踊っていた醜王が、片耳を抑え叫んだ。


「大司教! 貴様、何故ここに!」

「呪術騎士団第一、第三軍! 輪唱、聖戦歌第九!」


 大司教様は醜王を無視し背後に控えた黒衣の集団へ向け呼びかける。四十を超える彼らは合掌する。


「『憎きバダブよ『妖魔によりて『蝋から作られし『世界の邪悪よ!『刈り取りし首を掲げよ『首を掲げよ!』』』』』』」


 大音量の彼らの祈りはシャンデリアを揺らし、更なる力でドゥの首を絞め上げる。数センチほど宙に浮いたドゥはたまらず泡を吐く。

 ドゥの名を呼ぼうとするも口が開かない。見えぬ何かで押さえつけられている。

 大司教様と目が合う。彼は微笑み近づいてきた。


「今こそ他国のバダブの民全てを討ち滅ぼすべきです! 親愛なる曾祖父たちの悲願を我らの手で果たすのです!」


 朗々と響く声は聞く者の胸を打つ。暴力的なカリスマに惑わされない者などいない。大司教様の一人舞台だ。

 大司教様は私の肩に手を置きささやいた。


「君の声は女神の力そのものだ。厄介だから黙っていてくれ。

 君の幼なじみ最高だね。教会の悲願を果たす口実になってくれるなんて。カミガタリを呼び寄せて正解だった。ただ……おっと」


 ドゥからまばゆい白光が発せられる。黒衣の数名は呆気なく光に飲まれ姿を消した。呪術騎士団は後退を余儀なくされる。

 解放されたドゥは唾を床へ滴らせる。白光の光源でもある彼の周囲は、腐りかけの果実の香りが渦巻いていた。


「ちょっと、暴れ過ぎやしないかい? 彼はどんな契約でカミガタリの力を行使しているんだろうね。いや、カミガタリだけではなく妖魔も使役しているのかな? どちらにせよ、前例がない。

 こちらは輪唱だけで孤児の命二十ほど神に捧げている。君の口を抑えるのでもひとり分必要だ。呪術騎士団の人員の補充だって難しい。命を大切だと思うならやめてもらいたいものだ。

 君からも彼に伝えてくれないかい?」


『あれは孤児や身寄りのない者を積極的に受け入れ、援助している。その人数はこれまでの比ではない』


 大柄司祭の言葉を思い出す。

 この外道、孤児たちを犠牲にカミガタリなる力を使っているのか? 

 

 黒衣のひとりに白い手形がつく。構わず黒衣は歌を唱える。理解の範疇を超えた惨事に正装の男女は大わらわ。逃げる者に立ちすくむもの、気を失う者よりどりみどり。

 同じ力を使っているらしいドゥは、何を犠牲にしたのだ?


「おい、愚弟! どういうことだ、お前から奪った女、女が!」


 私はギョッとする。醜王は左半身が血塗れだったからだ。特に左耳は跡形もなく、血を垂れ流して盛装を汚す。


 村の悪夢が蘇る。


 私がドゥの名を叫んだからか? 声を上げてはいけないのか?


「世界が半分だ、音が、左側だ、世界の半分が、聞こえん! なんだ、これはなんなんだ!」

「大司教殿! 話が違います!」


 抜け目なさそうな顔つきの貴族が醜王を遮った。


「大司教殿、これは責任問題ですぞ!」

「おや、このバダブの民は彼女の手引きで侵入してきたのではありませんよ。この場合、責任を取るべきは城の警備を任されていた近衛兵と、それを指揮する……」

「そも、貴殿はいずこより現れたのです? 汚れた土のバダブを手引きしたのは貴殿では? 貴殿には秘密が多過ぎる!」


「おい……」


 醜王は誰ともなく呼びかける。

 腐りかけの果実の香りをその身に纏い、目に見えぬ攻防を続けるドゥと呪術騎士団。

 我先に逃げようとする参列者と集った近衛騎士が扉の前でおしくらまんじゅう。

 大司教様と貴族の間では自己弁護と責任追求が話題。


 誰も、醜王を気に留めない。


「吾を見よ」


 誰も、醜王の言葉に耳を貸さない。


「吾は王ぞ」


 醜王がぎろりと私を睨めつけやって来る。顔を真っ赤にし、鼻息荒くする様子さえ醜悪だった。


「お前、お前だ。お前はなんなのだ。

 愚弟の愛人と聞いて、お前を奪えば愚弟は吾に嫉妬すると、吾に意識を向けると、そう、そう考えた。

 物事など上手くいかん。産まれ落ちた時からずっとそうだ。

 愚弟は尚、吾に無関心だ。しかしお前も、私と同じ、他者に生き方を強制され、抗えない運命にある者だと、憐れんだ、吾のことのように。


 吾と同類の存在だと、愛すべき存在だと。


 それなのにお前は、あの肌の黒い男はなんだ! お前は、愛されているじゃないか! ずるいじゃないか!

 吾など誰からも見向きもされず、愛されないというのに!」


 醜王は私に向かって手を振り上げる。視線が絡み合う。醜王は思わず逡巡し、躊躇が生まれた。その拳が振り下ろされることはなかった。


「売女、裏切り者、卑しい血の、汚れた女! ビッチ、クソビッチ、セックス、セックス、セックス!」


 血が昇った彼が放つ言葉は単語ばかり。

 更なる雑言のため彼の口が動く。彼の上下するほうれい線を見、記憶がよみがえる。


 この口の動きを見たことがあった。


 とても小さい頃だ。

 こちらの世界に産まれ落ちてすぐだ。

 老婆に引き取られるより前だ。


 私は簡素な子供用ベッドに寝かされ罵詈雑言を吐く父を見つめていた。

 母は啜り泣き、時に喚き、父の言葉を否定し続けていた。父がある雑言を発した。

 この言葉を聞いたのは後にも先にもこれっきり。放っていけない禁忌の言葉。

 老婆でさえ口にしなかった禁句。


 父と全く同じように口を動かす醜王を止めようとした。私の口は例の力で動かない。

 醜王があの言葉を言い終えてしまう。

 敗走した勝利の女神を口汚く罵る言葉を。


 すると言葉に火がついた。

 比喩ではない。何もない空間から火が現れたのだ。傍目からは醜王が口から火を吐いたように見えただろう。

 火は醜王の唇に着火する。唇の炎は口蓋を焼く。鼻腔を焼き眼球を焼き脳味噌を焼く。火に覆われた彼を醜いと嘲る輩はもういないだろう。


 かしげちゃんの言葉を思い出す。


『苦難ばかりを与え続ける女神にニルバーサは悪態をつき、女神の怒りによって焼死した』


 怒れる炎は醜王に悲鳴すら許さない。床へ燃え広がる様子はなく、王とその衣服のみ燃やし尽くさんと炎は踊る。広がる異臭。醜王に殺到する視線。


 私の母は生きたまま父を焼いたらしい。

 違和感はあった。

 憎しみの果てとはいえ、普通の村人が、人間を生きたまま燃やすか?

 村で暮らしているような人間は、まず『人を焼く』という猟奇的な行為を思いつかない。思いついたとて、実行する者はいない。百姓は小心者ばかりだ。

 何より、母は死ぬまで父を焼き殺していないと主張し続けていた。


 白亜の城に響く沈黙の絶叫。

 醜王なお命を燃やす。


 炎を消そうと宙へ手を伸ばす。右へ左へよろめく姿はプロダンサーを凌ぐ美しさ。

 先触れなく醜王の炭化した足が折れ、彼は倒れ伏す。王の腕は曲がり、奇妙な前傾姿勢になっていた。

 状況を正しく認識している者はいない。ドゥでさえ動きを止める。


 拍手。

 たったひとりの拍手が全てを打ち壊す。


「素晴らしいよ、兄上。素晴らしい、素晴らしい!」

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