第二十五話 首を絞めるあなたが好き
「ドゥ、あなたはね、敗走した勝利の女神が私のために作った番なの。
どうしてあなたの両親が夫婦になっていないのに産まれたか知っている? 私がこの世界に転生したからよ。番であるあなたは、それに合わせて適齢期の胎にぶち込まれたの」
ドゥは愛撫を止め私の顔を覗き込んでいる。彼の無表情がまた笑いを誘う。
「どうしてあなたが『おもしれー女』って言いながら産まれたか知っている? 私が『おもしれー女』って言ってくれる男が好きだから。私の男の趣味ひとつであなたは声を失った。
あなたがそんな肌の色で産まれたのは、私が死ぬ前にたまたま褐色の男がまぐわう本を読んでいたから。褐色肌の男なんて、好きでもなんでもないのにね」
私の口から唾が飛ぶ。目尻とこめかみが熱い。
「あなたが私を好きなのも、女神に恋心を植えつけられたから。あなたはただのお人形。私のためにしつらえられ、性格も嗜好も捻じ曲げられたお人形。お人形さんに、ご都合主義の愛を押し付けられても嬉しくない」
語ることで己の本心を知る。
私は女神の力抜きで彼に愛されたかった。与えられた容貌ではなく、剥き出しの本性、ありのままの私を愛されたかったのだ。
目尻の熱は涙と気づく。
彼から全てを簒奪しておいてなお、純然たる思慕を求める私ときたら!
「いらない。心の底から湧き上がる、真実の愛以外私はいらない」
言葉と感情が加速し配慮は後付け。口に出して良い言葉も悪い言葉もわからない。
ドゥは上半身を起こし、私を見下ろした。
「人格も感情も歪められたお人形さんが、人間ぶって空疎な愛を叫び散らして。
なんて、気持ち悪い」
嫌な言葉がごろりと床へ転がった。
ドゥの大きな手が私の首筋へと添えられる。血の通ったあたたかな手のひら。緑の瞳は仄暗い光を宿していた。彼の指先に力がこもり、やがて私の首に十本の指が食い込む。ドゥは歯を食いしばる。首の骨が軋む。彼の全体重が指へ集中し、私の首を絞め上げていく。
他者から向けられる明確な殺意。世界の解像度が落ち、視界の隅では無数のうさぎが倒れ続ける。
甘美な死の予感に胸が震えた。
女神の手違いにより転生し、美人になって国王からプロポーズ。女の欲望をそのままトレースしたような、チープでデタラメな人生がやっと終わる。日本に戻りたくて泣き喚くことも、罪悪感に苛まれ眠れぬ夜を過ごすことも、漠然とした不安から夜明けに叫ぶこともない。
救済をもたらす恩人を見る。
燃えるような緑の瞳に苦しげな私が映っている。満腔の力を持って私の首を絞め上げてるせいで、小鼻がピクピク動き可愛らしい。褐色の肌はオリエンタルな彼の容貌を映えさせる。
なんて愛おしい人なのだろう。
私はどうしようもなく恋に落ちる。
ドゥがとなりにいてくれたから糞異世界を生き延びることができた。彼のいない異世界はきっと、惨憺たるものとなっていただろう。
目に映る彼の全てが愛おしい。
ドゥは優しいから、この殺人を後悔する。人生を無駄にしてしまう。
それだけはいけない。
ドゥは私から解放されて彼の人生を歩むべきだ。これ以上彼の人生の重しになりたくない。
力を振り絞り、愛おしい人の頬に触れる。
「そう……。それでいいの。ドゥ、ありがとう。愛してる」
息も絶え絶えで言葉を伝えると、ドゥの瞳から大粒の涙がこぼれた。
「三十年ぶりの生きたバダブだ!」
腐りかけの果実の香りが鼻腔に刺さる。ドゥが机ごと透明な何かによって壁へ叩きつけられる。首の圧迫がなくなり酸素が肺になだれ込みむせる。ドゥの名を呼ぼうとするが声が出ない。
何者かに襟首を引っ張られ私は引き倒される。視界に飛び込むは黒い外套で顔形を隠した男たち。
「神の御子よ、王の元へ戻られよ」
男のひとりが言った。この人たちは誰だ?
「『禍ツ除け』を作るぞ! バダブの女でないことは残念だが、この男の体からは月の妖魔の臭いがけぶる! 良質な『土の皮』が作れるぞ!」
老人の楽しげな声が私の疑問を遮る。仰向けに転がされているせいで見えないが、数人がドゥの周りに集まっているらしい。
「醜い肌の男は妖魔が蝋から作った、バダブの民ではない。この国の女と異邦人のハーフだ。
カミガタリよ、大司教様の命令外の行いは慎め!」
黒衣の男のひとりが怒鳴りつける。彼の声は比較的若い。
「やかましい! 儂がバダブと言ったらバダブだ! 『禍ツ力』……カミガタリの力で、貴様を殺してやってもいいんだぞ!」
「儂らは暇をもらうぞ! バダブの皮をなめさねば! 大司教によっくと伝えておけ」
「儂らのように無詠唱でカミガタリの力を使えん貴様らなど、伝言役にしかならん」
「無能は苦しいのぅ、苦しいのぅ」
老人たちは姦しく騒ぎ立てる。黒衣の男が忌々しそうに舌打ちした。
「生きたまま皮を剥げ! 顔と手で上着をこさえ、足の皮で手袋を作れ!」
「生き血は飲み干し体内へ」
「油で石鹸を」
「毛は編み込んで外套だ」
「性器は使えん、犬でもくれてやれ」
老人らのおぞましい会話に血が凍っていく。私は足を踏ん張り、男の手を払おうとする。
「離して、ドゥが! ドゥが……!」
男たちはふたりがかりで私を担ぎ上げる。男の背中を殴る蹴るの抵抗は虚しいばかり。
最後に見たのは、力無く項垂れるドゥに白刃を向ける老人たちだった。