第二十四話 脳に巣喰う畜生、わたしは生卵
ドゥと長い、長い抱擁を交わす。
彼の体はやせ細り、力も出ない様子だ。村一番の力持ちと持て囃されていた頃の面影はない。
彼の頭を撫でながら、繰り返し謝罪する。彼は私の修道服を握りしめ、小刻みに震えていた。
ドゥの涙と震えが落ち着いた頃、彼の肩ごしに周囲を見渡す。
ひどい有様、としか言いようがなかった。
ほうぼうに倒れる女たちは目から鼻から耳から、血を滴らせ地面や衣服を赤黒く染めていた。私を抑えていたらしい女は最も出血が凄まじい。うつ伏せになった彼女の周りは血溜まりができていた。目を凝らすと細かな肉片が浮いている。
血の気が引く。
私は薄くなったドゥの胸を叩いて抱擁を終わらせ、かしげちゃんを探し始めた。
先程の騒ぎで村人が押し合いへし合いになり、結果としてこの惨状になったのだ。そうに違いない。
騒ぎとは関係ない場所にいた馬の膝は折れ、長い舌を地面に投げ出し絶命していた。
私はただの村娘だ、女神だって転生の時、植物を成長させる力や生き物をどうこうする力を与えたとは言っていなかったじゃないか。
私は悪くない、関係ない!
言い訳するたび森で出会った野うさぎが脳内でバッタバッタと倒れ伏す。
誰か頭に住むうさぎが倒れるを止めてくれ。うさぎが倒れるたびに頭がイカれそうになる。
かしげちゃんを見つけた。倒れた村人の下敷きになっていた彼女は村人らに比べ軽症で、少量の血を耳から流すのみ。
「把握、掌握、しました。世界の真相、深層を。人の生とは生卵から始まり固茹で卵になるまでの過程だったのですね。
わたしは真実の愛を知り、人としての形を超克しました。固茹で卵だったわたしは生卵に孵りました」
彼女の耳に私の言葉は届かなくなっていた。彼女の焦点の合わない目が私をとらえることはない。
私はかしげちゃんを背負い、ドゥには旅荷物を持ってもらう。かしげちゃん以外の人間はこと切れていた。
「真実の愛があふれてひたされ、生卵のわたしはしとどに濡れています。
産湯に包まれている心地です。母子間の愛が真実であるならば、子宮こそが真実の愛の揺籠、千年王国。
おぉ、女神よ! 生卵は聞こえない耳で真実を見ました!」
「かしげちゃん、何を言っているの?
わからない、わからないの」
ドゥの家にかしげちゃんを運んで介抱しようとしたが、家の戸は破壊され、床は砂まみれ。反吐のあとまである。悪臭放つドゥの家をあとに、三角屋根の小さな小屋を目指す。
久しぶりの我が家は片付いていた。床や机にはちりひとつ落ちていない。磨き抜かれた食器は整然と並べられ、家の主人の帰りを待っているようだった。
丹念にベッドメイキングされた私の寝床にかしげちゃんを寝せる。
「わたしの愛! 固茹で卵を孵した真実の愛!」
ベッドの彼女は私の手を取り、手首や手のひらにキスの雨を降らした。
「あなたに出会うために生卵は千年王国たる子宮から堕ちたのですね。産道を抜ける悲しみの果てにあったのは真実の愛。あぁ、白身の揺籠で産湯を浴びる幸せよ。なんと心地よい……。
生卵はあなたを愛しています」
かしげちゃんは目を閉じ、大きないびきをかき始める。彼女の前髪を整えてやる。私の背後で一部始終を眺めていたドゥに声をかけた。
「……とりあえず、お風呂に入ろうか」
ドゥを庭へ連れ出し、髪と髭を切り揃えてやる。湯を温め、体を清める。流せども取れないフケとシラミに苦渋した。粗悪な石鹸の大きさが半分以下になって、やっと美丈夫と讃えられていた彼の面影が見えた。
彼に体を拭くよう指示し、ドゥの服を洗濯する。
他にも洗濯物があれば持ってきて欲しいと言えば、素っ裸のドゥは私の手を引き歩く。連れられたのは彼の部屋。
ドゥの部屋はゴミの山と化していた。
いつ脱ぎ捨てられたか分からない服、ハエのたかるなべ、転がる酒瓶。
神経質なまでに整えられた共用部と、何もかも放棄されたドゥの部屋。
ドゥは濡れ鼠のまま私の胸元へ腕を回して離れない。ドゥの異常な精神状態に気づく。
部屋を片付けつつ、彼に質問する。
ドゥは口がきけない。イエスで頷き、ノーで首を振る。どちらでもなければ首をかたむける。彼の生活ぶりを聞き出すには相応の時間がかかった。
*
私がいなくなった直後、ドゥは若衆の皆と山狩りを行ったという。
手がかりらしい手がかりも見つからず、農作物の育ちもはかばかしくなかったので二日ほどで捜索は取りやめになったらしい。
ドゥはめげずに探し続けた。
車輪の跡を参考に森を一晩中歩いた。人が誤って落ちてしまいそうな崖の下を探索する。商人が村に来れば黒い髪の女を見なかったかと身振りでたずねた。
(私と結婚すると宣言したおっさんは最初の山狩りすら参加しなかったらしく、ドゥはそれに酷く腹を立てている様子だった)
きっと危険な目にあったのも一度や二度では済まない。
その生活を続けて数ヶ月。ある日ドゥの心が折れてしまった。
あらゆる仕事を放棄し、でたらめで破滅的な生活を送ったらしい。
人の和を乱し、刃傷沙汰が起こった。そのうち若衆の集まりに呼ばれなくなり、食うに困って乞食のような真似もしたそうだ。
村八分にされ、ドゥは魔女の小屋に引きこもった。
ドゥは私の部屋や共用部を偏執的に掃除しだした。いつ私が帰ってきてもいいように。
彼の生きるよすがはもう、それしか残されていなかった。
親友の赤毛は彼の面倒を甲斐甲斐しく見た。ドゥは赤毛に会った最後の日、何か言われたらしい。翌日、身なりを整え村へ行くと生首になった友人が蒼穹へ掲げられていた。
ドゥが村の男で唯一見逃された理由だが、村八分にされた口のきけない乞食が、生きていると誰も思わなかったのだろう。
ともあれ彼は奇跡的に生きのびた。
赤毛が小屋へやって来なくなってからは庭の果実を食べて糊口を凌いだ。やがて実がならなくなった。困り果てていると村から懐かしい声がした。
丘を駆け降り村へ向かうと、倒れた女たちの中に私の姿を見つける。
*
私は居間の椅子に掛け頭を抱えていた。
ドゥの生活ぶりを聞き終えたのは夕食を摂り終えたあと。かしげちゃんは起きて来ない。ドゥは自分の膝の上に乗せた私を背後から抱きすくめている。
私のせいじゃないと言い募る方が困難な状況だった。
教会でドゥの幸せを無責任に祈っていた自分を殺してやりたい。
私がドゥの立場だったら? ある日突然ドゥが失踪したら?
生きる目的を見失って、自堕落な生活に身をやつしていただろう。
『相手の立場に立って考えてみよう』!
小学生のクラス目標に掲げられていそうなありふれたモラルすら守れなくて何が「大人」だ。
罪悪感が蛇のようにとぐろを巻いて心身を蝕んでいく。
先ほどからドゥが際どい部位に触れ首筋や耳の裏に口付けしてくるが、うしろめたさが先立って強く拒絶することができない。
何より考えるべきことがある。
私たちの今後だ。
村は人が死に絶えたため路銀を稼ぐことあたわない。家財らしい家財は残されていないだろう。
冬を乗り越えるだけならどうとでもできる。洗濯中、私は何気なく枯れた果実の木に触れてみた。すると青葉が茂り鈴なりの実をつけたのだ。
自分の手のひらを見つめる。
この人ならざる力で食うに困らない。雪深い村のため冬の間は役人や野盗たちも寄り付かない。問題は冬が終わった後だ。
村に滞在し続けることはできない。領主の土地を不当に占拠しているのだ、役人たちに見つかったら捕縛される。野盗も来るだろう。何より教会の件もある。
私たちの死体がないと明らかになったら? 教会の人間に私たちが犯人だと気づかれてしまったら?
私は大量殺人鬼だ、間違いなく処刑される。逃げようにも馬もいなければ金もない。金がなければ他国に渡れない。
素直に出頭する? 良心の呵責で苦しまずに済む、正しい選択だ。
腰に絡みついたドゥの手を握る。
ドゥをひとりぼっちにするのか?
言葉が頭をぐーるぐる。焦って慌ててテンパって、結論なんざ出やしない。
ドゥが私の肩を引っ張る。ほとんど無意識で振り返ると、ドゥが唇を重ね合わせてきた。
体が強張る。椅子から床へと押し倒され、床の硬さにギョッとする。
ドゥは私の口内に舌を割り入れ、私の舌に絡みつき淫猥な水音を立てる。
えもいえぬ不快感に声を上げようとするが、口が塞がれているため喘ぎに似た珍妙な声しか出せない。ドゥを押し返そうにも手首を押さえつけられている上、彼が重くて動けない。
長い口付けが終わると、ドゥは顔中にキスの雨を降らせた。
「ドゥ、ダメだよ。お願い、やめて!」
私の拒絶を意に介さずドゥは首筋へ唇を這わせる。
「ドゥ……!」
ドゥの欲望が私の内ももを抉った。
ぷつりと、何かが切れた音がする。
私はうふふふふと笑った。笑うしかなかった。奇怪な笑いにドゥは動きを止める。
「ばかな男。私のせいで家族も声も失ったのに!」
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