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第十三話 聖なる詐欺師は薄明に駆ける

「若い女が酒に飲まれて嘆かわしい……。王子、目の毒ですから」

「僕はもう王子じゃない」


 遠くで耳慣れない男たちの話し声が聞こえる。誰だろう。眠いから静かにしてくれ。


「君を商人として潜伏させたのは正解だった。

 この村は土が固すぎる。水脈からも遠い。決して肥沃な土地ではないのに小麦をあのほど植えて……。

 地味が痩せることなんてお構いなしだ」

「どれほど無理な作付けをしても勝手に、数倍の速さで育つそうです。地に見合った作付をしているのは生真面目な堅物だけ」

「『肉塊の嬰児と共に死した人々は蘇る。大地は小麦と獣に満ち、人々は空腹を知らず。逆しまの道理は全て正され、女神の御心のままに正義の世界が立ち現れる』……。

 まさに敗走の女神が作ろうとした理想郷、千年王国じゃないか」

「植物の異常成長が起きた五年ほど前から。

 この女が女神に祝福されし御子であるならば、産まれた年からそのような事態になるはずですが……」

「それ以外は伝承通りだ。

 真夜中を閉じ込めた黒髪、血潮の在処を示す温かな色肌。

 代を重ねるごとに神の血が薄れ、神の証たる肌の色が抜け落ちた白き肌の僕らより、この子は神の存在に近い。

 三百年前の御子は飢えぬ体、八十年前の御子は自身のいかなる怪我も癒す力を持ったという。はてさて、この子はどんな力を持っているのかな。大方の予想はついてるけど。

 抵抗するなら四肢をもいでも構わない。生きてさえいればいい」


 知らない男たちの声?

 目を覚ます。部屋は暗く、突っ伏した姿勢のため周囲を視認できない。声を聞くにふたりの男がいる。

 物取り? 強姦? その両方?

 背中に嫌な汗が流れる。眠る前の記憶を掘り起こす。村の汚いおっさんと結婚することになってやけ酒をし、寝落ちた。戸締まりは怠らなかったはず。扉か窓を破って入ってきたに違いない。


 扉を破る音で目を覚ませ私のクズ!


 不幸中の幸いで、男たちは私の目覚めに気づいていない。机の裏に隠してある包丁に触れる。万が一に備えドゥが設置してくれたのだ。

 緊張で高鳴る心臓を落ち着かせる。

 ドゥはいない。部屋の様子からしてまだ夜中だ。どんなに派手に騒いでも村人は気づきもしないだろう。


 頼りは己のみ。

 ここで湧き出る素朴な不安。

 私は人を殺せるのか?


 この包丁を手に取って、その先は? 叫んで、威嚇して、男たちを刺せばいいのか? どうやって刺す?


 私は人が殺せるのか? 本当に?

 息を吐いて歯を食いしばる。


 人を殺すのが怖い!

 手汗が止まらず包丁をまともに握れない。


「おい、阿呆。持っている凶器を捨てろ」


 心臓が跳ね、思わず包丁を取り落とす。包丁が床を転がる大げさな音がした。混乱し、声を上げることもできない。


「抵抗するなら容赦はしない」


 逃げるために立ち上がるも、椅子に足を絡ませ床へ尻もちをついてしまう。「死」の文字が頭をぐるぐる回る。見慣れぬ男ふたり。どうする? どうすればいい?

 別の椅子に腰掛けた男がからりと笑う。暗くともわかる。彼は背筋の凍るほどの美形だ。

 美形のうしろには大柄な男が控えていた。彼らは目立たぬ色の外套を羽織っている。

 盗賊にしては身綺麗だ。


 あなたたちは誰? 何が目的? どうやって入ってきた?


 疑問はあれど気が動転してあ、う、と意味のない言葉を呼吸と共に吐き出すばかり。冗談みたいに足が震えている。

 眠気と興奮で思考がまとまらない。酒が抜けていなくて気分が悪い。


「阿呆女。直ちに教会へ向かう。支度をしろ」

「……僕が話す。はじめまして。

 僕は敗北した勝利の女神に仕える信徒だ。そこにいる大きいのは司祭様。断りもなく家に入ったことを謝ろう。

 まず落ち着いて。はい深呼吸」


 美形の声は聞き心地が良く、警戒心を溶かしていく。私はついつい美形の声に従って深呼吸をしてしまう。


「うん、素直でいい子だ。僕らはね、君の身柄を預かりに来たんだ」

「……?」

「領主は教会に金もしくは領民を教会に献上する義務があることは知っているね? 今日付けで君は教会の所有物となった。証書もあるけど見るかい? 文字は読める?」


 大男が意味ありげに美形を一瞥する。


「君の持ち家、畑、市民権も領主に返納された。朝にはこの家と畑を接収に役人が来る。君は権利を持たないにもかかわらず不当に土地を占拠している流民として扱われる。早く立ち退かないと面倒なことになるよ、」


 美形の話についていけない。ひとつひとつ物事を頭の中で噛み砕いていく。


「えっと、じゃあ私はこれから教会、に行くんですか? 村にある教会に?」

「阿呆め。わざわざ大司教が出迎えにきているんだぞ」

「大司教……?」

「君は北にある大教会へ行くんだ。山に囲まれた、空気の美味しいところ。近くに都市はない。人も少なくて、流れる時間も穏やかだ。

 きっと君も気に入る」

「……でも私、何も聞いていなくて、そんな納税の仕組み? があったことも知りませんし……。寝耳に水で何が何だか……」


 困惑しきりの私に、美形がからりと笑う。


「家畜に過ぎない君に、わざわざ領主が事の一切合切を説明する訳ないでしょう」


 言い返そうとするも言葉が出ない。美形の発言は一定の正しさをまとっていた。大柄な司祭を押しのけ美形は私の眼前にしゃがみ込む。


「君は何を躊躇っているの? 日々の糧のほとんどを税として奪われるのみならず、森に近い危険な場所に住まわされて。課せられた義務を果たし続けても、君の意向を無視して教会に売り渡す。告知を怠り、君から搾り取れるだけ搾り取ろうとするがめつい領主に立てる義理はある?

 約束しよう。教会は君を家畜として扱わない。道を同じくする同志として、ひとりの人間として君を庇護しよう」


 美形は私の頭を撫でた。


「よく、よく不遇に耐えたね」


 そのひと言で私の視界がぼやける。美形の言葉で私は自覚する。

 私は不遇だったのだ。甘ったれるなと言われるのが嫌で、私よりも酷い目に遭っているドゥがそばにいたから愚痴を漏らせなかった。

 客観的に見て私は不遇だった。私はそれを飲み込み耐えてきたのだ。無自覚に望んでいた言葉をかけてもらえて胸がいっぱいになる。

 美形が手を差し出し、酔いどれ女は彼の手を取り立ち上がる。

 美形は宝石のような碧眼を細め笑った。


「あぁ、君の瞳は夜空の色……。君の瞳に宿るのは神の国か」


  *


「よくもすらすらと嘘をつけましたね」

「何のことだい?」

「この女が教会の所有物になった話も、領主に土地や市民権を返還した話も、領主が教会に納める税の話も、何もかも嘘ではありませんか。証書も見せろと言われたら適当な書類を見せつけるつもりだったのでしょう?」


 山野を駆ける馬車には三人の男女。激しく揺れているが、私はひとり熟睡中。ふたりの会話も聞こえない。


「何もかも嘘って訳じゃない。どうせ数ヶ月後には領主にあの家も土地も接収される。この子は死亡扱いで市民権も失う」

「その通りですが……」

「朝になって他の村人に相談なんてされたら厄介だ、嘘だって気付かれちゃう。この子が素直なバカでよかった」

「嘘に気付かれたらどうなさるのです」

「そのためにも辺境の教会へ閉じ込めるんだよ。逃げようにも逃げられないだろう?

 それとも、僕のやり方に不満があるのかな?」


 司祭の大男は腕を組み、唸るような声で話す。対して美形の男は鳥のように軽やかだ。


「いえ……。この女を哀れに思いまして」

「人を攫っておいて、今更?

 この子は言われるがまま易き方に流されて、物事を考えることすら怠ける愚か者だ。意志のない人間が、他人に好き放題蹂躙されるのは当然さ」

「……はい。おっしゃる通りです」


 美形は馬車の外に目を向ける。

 山際が赤く染まり、一日の始まりを告げていた。


「……ありふれた話だ。村の生活を厭い、教会の門を叩く女がいた。教会は女神の慈悲の名の下に女を助けた。ただそれだけの話だよ」


  ↓↓


 モミの木を通り過ぎる。ドゥワァが目指すは通い慣れた三角屋根のあばら屋。

 一晩でやつれた彼の手に握らるるは揃いの指輪。親が残した数少ない形見のひとつ。


 拒絶されても構わない。

 せめて愛を。

 誰のものになろうとも変わらぬ愛を。


 ドゥワァは扉の前に立つ。呼吸を整える。指輪を握りしめ目線を足下へ。

 小屋の扉の前には複数人の足跡と車輪の跡が刻まれていた。

 ドゥワァの毛が逆立つ。扉を勢いよく開く。

 鍋に突っ込まれたままのおたま。床に転がった包丁と倒れた椅子。机上で割れたコップ。酒の残り香がドゥワァの鼻につく。

 ドゥワァは自室を開け放つ。記憶と寸分違えぬ配置。物置を蹴破る。律儀に直されたベッドがあった。庭へ回る。腐り落ちた果実が地面に転がる。

 小屋の扉の前に立つ。車輪の轍は森へと伸びていた。


 ドゥワァは目を見開き荒い呼吸を繰り返す。

 繰り返す。

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