①
『百合』・・・、それは至高の愛に対する総称だ。
具体的にどういうものかというと、美しく可憐な少女達が繰り広げる愛の物語、しかもプラトニック、つまり精神的な愛を語ることだった。
あの純真なる白を持つ花のような愛、だからこそ、そういった愛の物語を『百合』という。この世の中で至高の愛、その愛を愛でることこそが俺の一番の生き甲斐・・・、なのに・・・。
「そんな俺が百合の咲かない、薔薇しか咲いていない不毛の地に三年間も閉じ込められるってどういうこと?!」
「薔薇が咲いているなら不毛の地じゃなくない? っていうか、仕方ないでしょ。スズ君のお父さん達、海外赴任なんだから。着いて行きたくないって言ったの、スズ君じゃん」
「当たり前だろ! 海外なんて、日本の繊細でプラトニックな百合が一本も咲いていない世界に違いないのに、そんな荒地に行けるか!」
「・・・っていうか、さっきからプラトニックが当然みたいな言い方しているけど、百合って十八禁とか普通にあるよね? 僕、中身みたことないけどあるのは知っているよ?」
「それは百合じゃない! 百合は秘密の花園で女の子達が寄り添ってただお互いの体温を感じている物語なんだ!」
「それ、ただ単にスズ君の好みなだけじゃん・・・。そんなスズ君の好み高らかに叫ばれても・・・」
「うぅ・・・、百合がある世界に帰りたい・・・」
「だから仕方ないって言っているでしょ。海外赴任について行きたくないなら寮付きの学校に行くようにって最初から言われてたんだし、あのギリギリのタイミングでまだ入学受付していたのはこの学園だけだったんだから。他に選択肢がなかった以上、もう諦めるしかないよ」
「諦めきれないぃ・・・、普通の男子校ってだけでも辛いのに、よりによってこんな、BL好きの王道設定みたいな学園に突っ込まれるなんて・・・、うち、ちょっと小金が貯まっているってレベルなだけの一般家庭なのに、こんな金持ち学園に入学って、マジありえんだろ!」
「小金って・・・、スズ君の家は充分、お金持ちだと思うけど」
「いやいやいやっ、この学園に通う奴らなんか、すっごい家の子供ばっかりじゃん。そんな中じゃ、うちなんてただの小金持ちだろ。コウくらいの家なら入学しても全然変じゃないだろうけど・・・、って、でもだからって、コウまでこんな学園、入ることなかったのに。普通に家から通える学校、行けばよかっただろ。家にお母さん達もいるのに、態々こんな山奥の、寮つきの学園に来なくたって・・・」
「・・・だって、地元の学校行ったって、スズ君がいなかったら寂しいでしょ。それなら一緒にここに来た方がいいもん。外部生で同じタイミングで入学すれば、寮の部屋も一緒かもしれないって話だったし・・・、スズ君と一緒の学園で、一緒の寮生活なら楽しいかなって、そう思ったんだもん」
「コウ・・・」
「スズ君・・・」
「それ、超百合っぽい! ありがとう! ここでの辛い生活の一番の癒しはやっぱりコウだっ!」
「そういうお礼、要らないんだけどっ! 普通に百合抜きでお礼言えないのっ?!」
あれから暫くはコウも怒っていたし俺も興奮していたが、それでもあんな人気のない場所でいつまでも騒いでいても仕方がないので寮の部屋に戻り、二人部屋であるのをいいことに、盛大に騒いでいた。
というか、俺は最終的にコウを褒め称えたというのに、当のコウは何故か盛大にキレていて、その顔を真っ赤にして両手を振り回している。勿論、そんな姿を晒しても、見た目としては百合っぽい、つまり少女めいたままなので、怖さは全く感じないのだが。
コウ──、由梨光輝は、俺の保育園時代からの幼馴染だ。
最初に会った頃や、小学校時代は初対面の人は皆、頭っから女の子だと思い込むほどだったし、高校生になった今でもわりと女の子だと勘違いされるレベルで、やたらと顔の可愛い幼馴染だったりする。
男子高校生の平均に届かない低身長、細身、つまり小柄で華奢、目が大きくまつ毛が長く、肌が白くてすべすべという、大抵の女子に嫌われるスペックを持っていて、しかも男なのに見る者に清楚な印象を与えるタイプの可愛らしさを備えた挙句、純粋無垢という雰囲気まで備えている、大抵の女子に憎まれるスペックまで兼ね備えている。一応、生物学的性別は男子という幼馴染は何故か縦から見ても横から見ても平凡、特徴らしき特徴が見つからない、という容姿を持った俺と親しくなり、保育園の出会いからずっとつるんでいる。
コウはその見た目から女子の反感を買うことも多いが、反面、自分はコウと並び立っても劣るような人間じゃない、コウと種類は違えど同レベル、なんなら勝っていると思っている女子には親しげに声をかけられるし、男子には、女みたいな男はとりあえず苛めまくるという方針を人生に取り入れている奴以外には好かれるタイプだ。
ただ、自分に寄って来る男女が女子は自意識過剰、男子はコウを女子代わりに構いたいというタイプばかりの所為か、コウがその近寄って来る奴らと個人的に仲良くすることはなく、いつも当たり障りなく対応し、俺とばかりつるむので・・・、まぁ、当然のように俺はコウと親しくなりたがっている大抵の人間に疎まれることになる。あんな平凡がどうして由梨君と! ・・・というヤツである。
生憎、俺はそういう聞いても仕方がないことは全然気にしないタチなので、全てスルーしていたが。
見た目も平凡なら持っている能力的なスペックも平凡の俺が、とりあえず見た目はテレビのアイドルが性別問わず裸足で逃げ出すようなコウと並んでいれば不満が募るのは当然かもしれないけど、他人の不満なんて俺の知ったこっちゃないし。
なので全く気にせずつるみ続けてきたわけだが・・・、まさか本当にこんな学園への入学まで一緒になる、というか、着いて来てくれるとは思わなかった。
こんな学園──、百合ヶ丘学園に。
名前だけ聞いたら途轍もない素敵な学園、少女達が百合の世界を繰り広げている学園だとしか思えないというのに、その実態は名前詐欺状態の学園だ。
百合じゃなくて薔薇が咲き乱れる学園という、俺にとっては救いのない悪夢の学園・・・、そう、薔薇なのだ、薔薇。薔薇の巣窟。
『薔薇』・・・、それは男同志の、肉欲だけの爛れた、愛とは程遠い行為を描いた物語。
「・・・いや、それ、ちょっと偏見ありすぎの意見だから」
「偏見じゃない。アレは愛だけが溢れた百合とは対極を成す存在だ」
「薔薇にだってプラトニックはあると思うよ」
「ない。俺はそんなモノ、認めない!」
「スズ君・・・」
とにかく、この学園は薔薇が咲く、薔薇しか咲かない学園、つまり男子校だった。しかも中高一貫の全寮制で、金持ちの子供ばかりを集めて山奥の広大な敷地に閉じ込めるという、何を思ったのか今時、漫画や小説の設定ぐらいにしか使わないようなベタな設定の学園だった。
こんな学園、現実にあるのかよと吃驚したし、絶対入りたくないと思っていたのに、親の海外赴任が急に決まり、偏差値の兼ね合いや、全寮制以外は駄目だという親の主張もあってこんな学園に、しかも中高一貫なのに高等部から入るという、ちょっとした悪目立ち状態の外部性として入学する羽目になってしまう。
これで俺が誰の目にも止まらない平凡顔じゃなかったら、物凄い目立っていたところだよな。
平凡ってお得だよな、ほとんどいない外部性なのに、前からあんなヤツいたような・・・、的な感じになるしなー、と自分の特性に改めて感謝をしているのだが、俺が行くなら自分も同じところに進学する、と熱い友情を見せて同じく入学してくれたコウは違っていて。
何もしなくても目立つ可愛らしさは、こんな男だらけの空間に入れば一層目立つ。それはもう、『アレは誰?』と皆が騒ぐぐらい目立つ。
結果、居心地の悪さも感じているのだろうが、俺としてはコウが入学してくれて助かる面は数えきれないほどある。
まず寮の部屋だ。この学園では余程の事情がない限り入学から、つまり中等部に入った時から寮の部屋が変わらないらしく、しかも特別な生徒以外は二人部屋なので、入学時からずっと同じ人間と同じ部屋で過ごすことになるのだ。
そんな中、高等部から入る外部生は数が少ないので、その外部生同志で同じ部屋になるわけだが、事前に聞いていた通り、俺達は見事同じ部屋になれた。
しかも外部生は心細い思いをするだろうという配慮があるようで、寮で同じ部屋の生徒同志はクラスも同じになるように配置されており、結果、俺とコウも同じクラスになれたし、配慮に配慮を重ねられたのか、それとも外部生はとりあえず端に寄せとけという考えなのか、クラスの席も名前の順とかじゃなく、俺達二人は一番奥の角の場所に前後の席で固めておいてもらえて、環境が劇的に変わった中、一番親しい友人と一緒に行動できるという状態になっている。
当然のことだが、初めての環境で誰も親しい人間がいない中、ゼロからのスタートは流石にきついので、コウが着いて来てくれたことは本当に助かっているし・・・、なにより、俺の精神面が大助かりだ。
こんな薔薇しか咲かないところで、脳内変換で百合を咲かせられるのがコウなのだから。
脳内変換をかけなくても百合にしか見えないコウと、コウほどではなくても、脳内変換すれば百合にできなくもない小柄な生徒を捕まえて、どうにか百合世界を脳内で繰り広げて薔薇が咲く不毛の地での精神の安定を築こうと思っていたのだが・・・、まさかの誤算は、入学してたった一週間ほどで起きた。
俺がちょっと目を離した隙に、職員室でそれは起きたらしい。
コウが、薔薇の世界に両足を突っ込んでしまったのだ。
・・・確かに薔薇の園だとは理解していたけど、まさかたった一週間で幼馴染が薔薇に染まるとは思わなかった。オマエは百合だろう、と雄叫びを上げる羽目になるとは、本当に、本当に思わなくて。
あの日、職員室から帰って来たコウは、完全に恋する乙女と化していた。・・・つまり、恋をしてしまったのだ。俺が知る限り、初めての恋。それも男しかいないこの学園の職員室で恋に落ちたのだから、相手は男。
恋の相手は生徒会の会長だった。
何故そんな、もう使い古したとしか思えない設定を突き進む?! と全力で叫んだ俺に向かって、コウは職員室で他の生徒にぶつかられ、よろけたところを偶々助けてくれたのだという、これまた王道設定みたいな状況で知った生徒会長の素晴らしさ、格好良さを熱弁しやがった。
その際に少しだけ交わした会話、その会話にどれだけ胸が高鳴ったのか等の感想も垂れ流してくださったのだが、正直、俺はその話を聞かされている最中、意識が遠退きそうになっていて。
べつにコウが誰を好きになろうと、構わない。相手が人間として酷いヤツじゃなければ、性別自体は男でも女でもどちらでも、という感じではあるのだ。
俺はゲイにもレズにもバイにも何の偏見もない。他人に迷惑をかけなければ、誰が誰を好きなろうとも自由だと思っている。個人の好みは自由だろう。
・・・ただ、この学園にいる間は男を選ぶのは止めてほしかった。俺の心の糧、百合妄想の為に!
コウがどう頑張っても脳内変換で百合に変えられそうにない相手を思っていたり、その相手との絡みなんかが増えてしまったら、俺の癒しは消滅してしまうのだ。
ただでさえ、癒しのない世界に放り込まれて百合に飢えているのに、その世界での心の支えが消えてしまうなんてこれから先の学園生活がどうなってしまうのか、という話になってしまう。
お先真っ暗だと思って・・・、というか全力で騒いでいたのは、コウが恋に落ちた日、つまり昨日だけの話だった。
正確にいうなら、昨日と今日の放課後までの話だ。放課後・・・、そう、先程のシーンを目の当たりにするまでのこと。あの百合以外の何に変換すればいいのだと誰か彼構わず問いかけたくなるレベルの、完全無欠な百合シーンを目の当たりにするまでのことだ。
ひとりの人を思う、二人の少女。その少女達が対峙する様。
「・・・コウ、でかした」
「・・・唐突に何言っているの? まぁ、予想がつかなくもないけど・・・、スズ君、昨日まで僕を責める言葉ばっかり言っていたよね?」
「責めてたんじゃない。人を好きになるのは自由なんだから」
「じゃあ、僕が四十万会長を好きになるのは許してくれるの?」
「個人としては許している。コウには誰よりも幸せになってもらいたいって思っているから」
「スズ君・・・」
「でも、百合愛好家としては許せない。誰よりも俺が幸せになりたいから」
「スズ君!」
あの光景をもう一度思い起こしながら恍惚と漏らした声に応えたコウのそれは、多少、冷たかった。まぁ、昨日散々俺が騒いだ所為ではあるのだが、しかし本当に、俺の中にはコウの幸せを望む気持ちが溢れているのだ。・・・それよりも尚、自分の幸せを願う素直な気持ちがあるだけで。
そんな気持ちを漏らせばコウが怒りの声を上げたが、しかし脳内に蘇る先程の美しき光景に対して恍惚としている俺には、そんなコウの怒りは届かない。それくらい、あの光景は俺の中の百合レベルマックスで。
俺は、今日まであの人の存在を知らなかった自分を恥じた。確かに入学してまだ間もないが、それでもコウに並ぶ逸材に百合を愛する俺が一週間も気づかないでいたなんて、他の百合愛好家に顔向けできないレベルの失態だと思う。
あの奇跡の光景を作り出したコウと並ぶ逸材・・・、その人は、花城先輩だった。
花城先輩は、高等部三年で、そして生徒会会長、四十万大河先輩の親衛隊隊長を務めている方だ。
・・・そう、これも王道としか言いようがないのだが、この学園には親衛隊なるものが存在している。何故なら生徒会の面々を筆頭に、これまた王道のように、容姿、能力、家柄共に途轍もないレベルの高さの人間達ばかりがこの学園には集まっているので、そういった面々に対する人気が尋常ではないレベルに到達してしまうからだ。
そうなると当然のように彼らに対して熱を上げる人達がいるわけで・・・、そんな人達によって組織されているのが親衛隊だ。具体的にどういうものなのかがいまいち分かってはいないが、要は組織化されたファンクラブということだろう。自分の推しを応援し、彼らが何か必要とすれば力になり、そして・・・、彼らに不用意に近づく不届き者を排除する。
コウは、その不届き者に認定されて、隊長である花城先輩に呼び出されていた、ということだ。
ちょっと教室を出ていた間に呼び出されてしまったコウを慌てて追ったのは、勿論、コウが心配だったからに他ならない。四十万会長はこの学園に複数ある親衛隊の中でも最大規模の親衛隊を持っている人で、そんなビックな組織の隊長に不届き者認定されて呼び出しを受けたと知れば、幼馴染として当然、心配になるに決まっている。
勿論、いきなり暴力沙汰になるとかそんな物騒な心配をしていたわけではないけれど、一応、様子を伺って、もし何かあれば生徒は当てにならないだろうから、教師を呼んでこようと、そんなことを思って呼び出し場所になんとか先回りして身を潜めていたわけなのだが・・・、やって来た花城先輩の姿を見て、俺は自分の心配を深く、深く反省せずにはいられなかった。
俺の脳内では、親衛隊長が隊員を複数引き連れて、数でまずコウを圧倒する、つまり多勢に無勢の卑怯な状況を思い描いていたのだが、花城先輩はたった一人でその場所にやって来たのだ。一人で来ているのに、どんな人間の加勢も必要ないほど背筋を伸ばした凛とした姿で。
その姿はまさに気高き百合の花、胸がまっ平で制服が男だろうと、そんなものが目に入らないレベルで百合だった。
コウも美少女顔だが、花城先輩もそのコウに匹敵する、でも趣が全く違う感じの美少女顔だった。コウが日本的な、清楚で可憐な容姿であるのに対して、花城先輩はどこか欧米の血でも入っているのではないかと思うくらい欧米的な、ビスクドール的な美少女顔なのだ。
栗色の巻毛に、勝手にカールしているのだろう長い睫毛に彩られた瞳は大きく、虹彩は黒というより明るい茶色がかっていて、肌の色は抜けるような白、小柄で華奢なのに手足の長さがはっきり分かる上に、全体的な雰囲気が華やかで、でもその堂々とした仕草が決してなよなよとした印象を与えない、誰がいなくても立派に咲く一輪の気高き花を思わせる。
こんな逸材がここにいたのか、と思ったし、もう、その姿を目にした瞬間、この状況に対する心配なんて吹っ飛んだ。あまりに理想的な容姿と雰囲気の人が現れた喜びによって他の全てを忘れかけたということもあるし、なにより、こんなにも堂々とした人が卑怯な手を使うとも思えなかったから、何も心配する必要がないんだと思えたからだ。
そうして始まった百合展開に悶えて、結果、それに気づいたコウに部屋で叱られる、という状況を招いているわけなのだが・・・、しかしあの光景に悶えたことを後悔はしてはいない。だってアレは悶えるしかない光景だったのだから。
「・・・会長を好きになった、なんて告白された時は俺の癒しをどうしてくれるとか、オマエは何の為にこの学園に来たんだとか思っていたけど・・・」
「ちょっと、どういうことを思っていたの?!」
「でもっ、それもこれも、花城先輩と百合の世界を作り上げる為の布石だったんだな!」
「違うよ! 勝手に人の恋心を曲解しないでよ!」
「おかげで俺は花城先輩とコウという、最高のカップリングに巡り会えた! ありがとう! 俺は今、全てを許せる! これで俺の学園生活はとりあえず花城先輩が卒業するまでは安泰だ! 俺は花城先輩とコウというカップリング妄想でこの一年を乗り切るからな!」
「知らないよ! っていうか、そんな断言要らないから!」
あ、でも先輩が卒業した来年からはどうしたらいいんだ! ・・・とつい来年のことまで考えて悩み始めてしまった俺の傍では、コウが何やら怒りに震えて叫び声を上げていた。
でも、自分のこれから一年の萌えと来年以降の不安に支配されている俺は、そんな叫び声、右から左に流すばかりで、脳にはコウの叫びや訴えは何一つ、残らないのだった。