第71話 死別
「…………」
屋敷の方へ足を踏み出す。
サナは無事だ。そんな気がした。
破壊された門を乗り越え、屋敷の玄関口を見ると、分厚い木の扉には何本もの槍や剣が突き立てられていた。
そしてその槍や剣の先には、血だまりと座ったまま動かない人影があった。
僕が近づくと、その人影はわずかに顔を上げた。
「よお、イル……遅かったじゃないか」
全身を武器で貫かれ、まるで扉に磔にされているような姿で、ジャックがそこに居た。
「あんた……何してるんだ?」
「気楽なバカンスを楽しんでるように見えるか?」
見慣れた薄ら笑いを浮かべるジャック。
ジャックが言葉を発するたびに、唇の端から血が泡のようになって零れた。
「……意外と元気そうで安心した」
「動くのはもう、この口だけだ―――首から下の感覚が無い」
それは――そうだろう。これだけ全身を貫かれているのに、意識がある方が恐ろしい。
「何があったんだ……いや、ゼステイウ家の私兵が来たのは知ってる。そいつらがサナを殺しに来たのも知ってる。僕が知りたいのは、なんであんたがこんなところで死にかけてるんだってことで―――」
喋りながら、僕はその答えらしきものに気付く。
もしそうなら最悪だ。
最悪で最低で下劣で俗悪だ。
「――まさかあんた、この屋敷を守るためにこんなことした、なんてこと言わないよな?」
僕とジャックの間に沈黙が訪れた。
死んでしまったのかと思った瞬間、ジャックが声を上げた。
「なんで俺が……売国奴のサウザントルルを守ってやらなきゃならねえんだ」
「……だよね、安心した。もしそうなら嫌だなと思ったところだったんだよ。ちょっと待って、今誰か呼んでくる。治療すればまだ助かる可能性が無いでもないかもしれない」
僕は扉に手を掛けた。
メイリャさんは怪我の応急処置くらい出来たはずだ。
が、裾を掴まれ、扉を開ける手を止めた。
「余計なことしてんじゃねえ……俺に恥をかかせる気か」
「でも、あんただって死にたくないだろう」
「俺は騎士だ。死に場所は自分で選ばせてもらう。……この屋敷に来て何度も考えたが、やはり俺はお前に負けた時点で死ぬべきだったんだよ」
「だけどサナが……」
「俺にあの女の言うことを聞いてやる義理はないからな。いい機会だった。屋敷の中にはまだガキどもがいる。母親の顔も知らねえガキどもがな。俺は王国騎士団大隊長として、未来あるガキどもを守って死んだ。そういうことならメンツも立つだろ? 偽善者のお嬢様と役立たずの執事に俺の命を握られたままなんてのはごめんだからな。それに、死んだ後の世界で母様が俺を待っててくれるはずなんだ。どうせこのまま生き続けても、俺の地位が回復するわけでもねえし、それならさっさと―――」
「あっ」
足が滑った。
身体機能を最大限まで強化してある僕の足は、そのままジャックの頭部を踏み砕いた。
僕の足にジャックの血や脳漿が飛び散る。
サナから貰った服を、また汚してしまった……。
いや、足が滑っただけだ。仕方ない。
話も長くなりそうだったし―――。
と、そのとき。
門の方で物音がした。
振り返ると馬車が止まっていて、その荷台からはロデリアさんとサナが降りて来た。
「イル……君」
「お嬢様……? 屋敷に居たんじゃなかったんですか?」
僕の質問に答えてくれたのはロデリアさんだった。
「ゼステイウ家の襲撃があるとの情報を受け、平和外交派の施設に匿わせていただいたのです」
「そう――だったんですね」
なら、良かった。
サナは無事だったんだ。
だとしたらジャックは本当に、子供たちを守るためだけに……?
いや、死んだ人間の気持ちはもうどうやったって分からない。考えるのはやめよう。
「ひとまずはあなたが無事でよかったのです、イル君」
サナが僕に言う。
その顔は、最後に会ったときと比べてひどく疲れているように見えた。
「何かあったんですか、お嬢様?」
サナは周囲をゆっくりを見渡した。
数人の兵士の死体。
肥満体の男の死体。
そして屋敷の前には―――ボロ雑巾のようになったジャックの死体。
「後で話します。とにかく今は……この状況をどうにかしましょう。イル君、疲れて傷ついているところ本当に悪いのだけれど、やって欲しい仕事があるのです」
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