第69話 先手
「おかえりなさい、イル・エッヂアくん」
執事さんの操る馬に乗り、僕はヴァイスニクス家の屋敷まで戻って来た。
医者の治療を受け、今は応接室にいる―――そして目の前のソファには、シュイミ・ヴァイスニクスが座っていた。
「一応言われたことはやりましたよ。騎士団長のザファー・エッヂアは……不慮の事故で死んでしまいましたけど」
「君がやってくれたことに対して不満や文句は一切ないわ。騎士団の主力が撤退に成功し、国境における戦闘も事実上の停戦状態に陥った。今は、魔導国との外交ルートを駆使して国境における戦力増強をお互いに回避するよう交渉しているところよ」
「……僕がやって欲しい交渉はそんなことじゃありませんね」
言いつつ、僕はネクタイを解いた。自分の首を絞めているようで苦しかったからだ。
ネクタイには固まった血がこびりついていた。
シュイミが余裕のある笑みを浮かべる。
「分かっているわ。サナの死刑を撤回させるため、ゼステイウ家にはもう根回しをしているの。今日の午後には正式な文書が発令されるはずよ」
「そうですか……」
こんなに簡単なことなのか。
確かにサナの死刑を取り消させるのは難しくないって言ってたもんな。
「どうする? サナの屋敷に帰る? それとももう少しゆっくりしていくかしら? 君の部屋を用意してもいいけど」
「いえ、帰ります。あなたにそこまでしていただく義理はありませんから」
僕が言うと、シュイミは意外そうな顔をした。
「そんなことないのに。本当なら君は勲章が貰えるほどの働きをしてくれたのよ」
「僕はサナのためにやっただけです。あなたに感謝されたいわけじゃありません」
「そう。あなたのような忠実な部下がいて、サナが羨ましいなぁ」
「……どのくらい本気で言ってるんですか、それ」
「まあ……6割から8割くらいかな」
そこそこ本気ってことか。
「とにかく僕は戻ります。お邪魔しました」
「あら残念。せめて傷が治るまで屋敷に居ればいいのに」
「サナが待ってますから」
僕が立ち上がるのと同時に、応接間のドアがノックされた。
「……誰かしら。入りなさい」
シュイミの返事を待っていたようにドアが開き、執事さんが入って来る。
彼はそのままシュイミに近寄ると、その耳元に何かを囁いた。
シュイミの表情が険しくなる。
「分かったわ。一応私兵を派遣してくれる? もう遅いかもしれないけど」
「承知いたしました」
執事さんが部屋を出ていくのを待って、僕はシュイミに尋ねた。
「何があったんです?」
「えーとねえ、いやあ、これ、君には言い辛いなあ」
大げさに腕を組むシュイミ。
「いや、もったいぶらずに言ってくださいよ」
「さすがにこの展開は私も予想してなかったからなあ。本当にごめん。この謝罪は100パーセントだから」
「だから何なんですか?」
「ゼステイウ家が私兵団を動かしたらしいんだよ」
「私兵団? つまり、私設の兵団ってことですか?」
「そうそう」
「どこに?」
「ええとねえ、いや、私は君のこと最大限に評価してる。この先も君の力が必要になるときが来ると思ってる。だから、騎士団の救援に行ってボロボロの君を酷使したくないんだよ」
だんだん話が読めてきた。
サナの死刑回避。
ゼステイウ家の私兵。
この二つが意味することは、一つだ。
「ゼステイウ家が、直接サナを殺しに向かったってことですか?」




