第51話 ボロ雑巾
僕はサナごと身体を起こした。
全身の切り傷が痛んだ。
暗闇の向こうにメイリャさんが立っているのが見えた。
無表情のまま、こっちに親指を立てている。
作戦通りですね、メイリャさん。
「イル君……」
サナが僕を見上げた。
「いくら助けに来るなと言われても僕はサナを助けに行きます。僕はお嬢様の執事ですから」
言いつつ、僕はジャックへ顔を向けた。
ジャックは膝をついたまま動こうとしない。
「……なんでなんだ」
「何が?」
「なんで俺の方がお前より優れているはずなのに、お前には心配してくれる人がいるんだ」
「さあ……人望、とか?」
「俺は大隊長なんだ。人望だってお前よりはあるはずだ」
「だったらやっぱりアレじゃない、母親離れ出来てるかできないかの違いじゃない? まだ母乳が恋しいんだろ、あんた」
僕が言うと、ジャックは気が抜けたように座り込んだ。
「―――サナ・サウザントルルを奪われた時点で俺の負けだ。部下も壊滅状態となれば作戦の続行も不可能だ。殺せ」
「それは出来ない。お嬢様に止められてるから」
「このまま生き残っても親父に見限られ、大隊長の地位も剥奪されるだろう。騎士団の中で生き恥を晒すよりは、ここで――」
地面に落ちたはずの剣が、いつの間にかジャックの手元にあった。
ジャックはその剣先を自らの喉元に向けた。
死ぬ気だ。
自殺なら不可抗力か―――そんなことを考えた僕の隣をサナが横切るのが見えた。
サナが右手を振り上げた直後、乾いた音が夜の森に響いた。
一瞬何が起こったのか分からなかった。
が、頬を押さえるジャックとその前に立つサナの姿を見て、理解した。
サナがジャックを叩いたのだ。
「な……何しやがる、このクソ女ッ!」
「あなたのお母さまは、あなたが死ぬことを望んでいらっしゃるのですか?」
「は……⁉」
「あなたの亡くなったお母様は、あなたが自ら命を絶つことを望んでいるのですか?」
「そ……それは」
言い淀むジャックに、サナが言葉を被せる。
「死は不可逆です。僅かでも生きる理由があるのなら、死ぬべきではないのです」
「でも、母様はもう死んだんだ!」
「だとしたらなおさら生きるべきです。あなたが生きている限り、あなたの中にお母様の思い出が生きているのです。あなたが死ねば、その思い出も消えてしまうのですよ」
「だけど……だったら、どう生きればいいんだ? お前たちが俺から騎士団での地位やプライドを奪おうとしているんだぞ?」
「たとえ地位は失っても実力まで失うわけではないでしょう? 騎士団長の大隊長にもなった方ならどこででも通用するのではないでしょうか。戦う相手が他人から自分自身に代わる――それだけですよ、ジャックさん」
クソが、とジャックは呟いた。
そして剣を土の上に置いた。
「だったら、俺も連れていけ」
「……は?」
僕は思わず言っていた。
ジャックは構わずに言葉を続けた。
「俺を生かしたいのなら、責任を取ってもらおう。ナール王国騎士団大隊長のジャック・エッヂアは平和外交を謳うサウザントルル家の一派に拉致された。そういうことなら、俺もメンツが立つ」
「やっぱ殺しますか、お嬢様」
再び戦闘態勢に入ろうとした僕を、サナが右手で制する。
「分かりました。あなたの身柄は私たちが預かりましょう」
「……良いんですか」
僕が言うと、サナは僕の耳元に顔を寄せ囁いた。
「メイリャさんから聞きました。平和外交派はヴァイスニクス家と交渉しようとしているのでしょう?」
「は? はあ……」
「王国騎士団の指揮権はサウザントルル家を除いた御三家にあります。騎士団の大隊長となれば、御三家の内情にも通じているでしょう。何らかの形で交渉のカードに使うこともできます。悪い話ではないと思うのですよ」
なるほど。
さすがサナ、抜け目がない。
よし、せっかくジャックが僕らの捕虜になってくれるのだから、散々使い倒してボロ雑巾の様に捨ててやろう。
僕はそう心に決めたのだった。
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