第5話 苦悩の剣の運命
「【生活魔法―――付与】」
爆走する馬車に追いつくためには走るしかない。
僕に、人間を超えた速度を―――!
「【速度】!」
地面を蹴った。
無理難題な買い物を素早く済ませるために作ったこの魔法、まさか馬車を追いかけるために使うとは思わなかった。
だけど。
今の僕は――馬車よりも速い。
街道の舗装を捲り上げながら、僕は走った。
サナを攫った馬車が見えて来た。
最後のひと踏ん張り―――僕はもう一度地面を蹴り、跳んだ。
身体が浮遊し、そして重力に引かれるようにして馬車が眼下に迫って来る。
「【切断】!」
空気の刃で馬車の車輪と、馬を繋いでいた金具を切り裂く。
走りながら解体された馬車はそのまま横転し、客席部が地面を転がった。
僕は落下の勢いのまま――その天井に着地した。
がしゃあん!
客席のドアが外れた。
中から黒ずくめの男たちが飛び出してきた。
「な、何者なんだ、お前!?」
「僕は――通りすがりのクズで無能な役立たずだよ」
「意味不明なこと言ってんじゃねえーっ!」
男たちが一斉に僕へ殴りかかって来る。
だけど、父から受けた剣の稽古に比べれば速度も威力も大したことはなかった。
一撃目を躱し、相手の空いた脇腹に右手を叩きこむ。
二撃目を躱し、二人目の首元に蹴りを入れる。
三撃目を躱し、三人目の足の甲を踏みつける。
気づいたときには男たちが地面をのたうちまわっていた。
―――なんだ、人間なんて簡単に殺せるじゃないか。
僕は今まで何をやっていたんだろう。
あの家で僕を見下していた奴らも、みんな殺してやれば良かったんだ。
僕には人を殺せる力があったんだ。
それを僕は、よりによってあいつらの世話をするために使っていたんだ。
なんて―――。
なんて。
勿体ないことをしてきたんだろう。
「ははっ」
気づけば僕は笑い声をあげていた。
ようやく自分の力の使い方が分かった。
嫌いな奴はみんな殺してやるべきなんだ。
僕にはそれだけの力があったんだ。
さて、サナは―――。
「お、おい、動くな!」
振り返ると、男の一人がサナを後ろから掴み、その首にナイフを当てていた。
まだ生き残りが居たのか……!
「イルくん……」
「大丈夫だ、すぐ決着がつく」
こんな奴を殺すのは簡単だ。
空気を吸って吐くように。
蟻を踏みつぶすように。
―――簡単だ。
口元に違和感を覚えた。
気づけば僕は笑っていた。
相手はもはや、まな板の上に置かれた食材みたいなものだ。
どう料理するも僕の勝手だ。
【切断】を発動させ、空気の刃で相手を背後から切り裂き―――。
「――イルくん、人殺しを楽しんではいけません!」
「!」
サナの強い声が僕の耳朶を打った。
刃の軌道が変わり、男の足元の地面を抉った。
「なっ!?」
男の視線が抉れた地面に向く。
反射的に僕は動いていて、気づけば男の首筋に手刀を叩きこんでいた。
男は呻き、そのまま地面に倒れこむ。
「………なんで僕を止めたんだ?」
僕が訊くと、サナは僕を見上げ、答えた。
「生命を弄んではいけません。そして、人殺しは憎しみの連鎖を生むだけです。私はそれを知ってます」
「だけどこいつらは君を攫おうとした」
「……手、痛かったでしょう?」
サナが両手で、僕の右手を包んだ。
柔らかく温かい手だった。
その感触とは反対に、僕の脳裏には黒ずくめの男たちを殴ったときの痛みが蘇っていた。
「あなたは私を助けようとしてくれた。その優しさを持ったあなたが傷つくのはイヤなのです」
「…………」
なんだこいつは。
僕の知っているどの人とも違う。
あの屋敷にいた人々が持つ一種の空気感―――人を見下すような雰囲気を感じない。
サナは澄んだ瞳で僕を見つめながら、言う。
「助けてくれてありがとう。だけどあなたの強さは危うい。だから―――私の剣となって欲しいのです、イルくん」
「君の―――剣?」
サナが頷く。
「私はサナ・サウザントルル。王国御三家と呼ばれたサウザントルル家の人間です。私と一緒に暮らしませんか、イルくん?」
不意に、僕のなかに張り詰めていた緊張の糸が切れた。
全身から力が抜け立っていられず、僕はそのままサナの方へ倒れこんだ。
サナは避ける素振りを微塵もみせず、それどころか、僕の身体を大切そうに受け止めてくれた。
耳元に彼女の優しい心臓の音を感じた。
こうして誰かに抱きしめてもらえたのは、僕の記憶にある限り初めてのことだった。
そうか、と僕は思う。
僕はこういう風に、誰かに優しくしてもらいたかったんだ。
サナの問いかけに答えるため、僕は口を開いた。
「――――あり、がとう……」
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※※どうでもいい知識コーナー※※
馬車の平均速度は概ね時速6~11キロらしいぞ!