第26話 御者のおじいさん
「あ、イル君、馬車が来てしまいました」
サナの声で街道へ顔を向けると、遠くから馬車が近づいて来ているのが見えた。
今日は約束通り、街へ行くことになっていたのだった。
「思ったより早かったですね」
「準備もありますし、少し待ってもらいましょうか?」
サナが僕の顔を覗き見る。
「どうします? お嬢様の許可があればこのくらいの洗濯物、一瞬で終わらせてみせますが」
「……このままイル君とイチャイチャ洗濯物をやっていても良かったのですが、仕方ありません。イル君に任せます」
「合点承知」
洗濯かごには多少の洗濯ものが残っていた。
たまには【生活魔法】を使っておかないと体が鈍ってしまう。
僕は両手を洗濯物へ向け、唱えた。
「【乾燥】!」
一陣の疾風が巻き起こり、目の前の洗濯物を乾かしていく。
どんなに水浸しの洗濯物でも一瞬で(皺がつかないように)乾かすこの魔法は、風魔法と火焔魔法を応用したものだ。
エッヂア家の屋敷では使用頻度が高かった魔法でもある。
「もう乾いたんですか? すごいです、イル君!」
サナが目を輝かせる。
「いえいえ、大したことじゃありませんよ。取り込んでおきますから、お嬢様はお着替えを」
「ありがとう、イル君!」
そう言ってサナは屋敷の方へ駆けて行った。
跳ねるように走る後ろ姿が非常に愛らしい。
僕は洗濯物に向き直り、風魔法でそのすべてを手元に集めた。
二人分の洗濯物だ。大した量じゃない。あとはこれを畳んでおけばオッケー。
屋敷に戻って洗濯物を片付け再び庭へ戻ってくると、ちょうど馬車が屋敷の門の前に停まっていた。
御者の老人が僕に気付き、こちらに手を振る。
「よお、執事さん」
「どうも。ご無沙汰してます。昨日はすみませんでした、わざわざ来てもらったのに」
「なあに、何の問題もないさ。お嬢様のためだからね」
この老人は週に一度、決まった時間にこの屋敷へ来て、僕らを街まで運んでくれることになっている。
本来であれば昨日がその日だったが、今日また来てもらえるようお願いしたのだった。
「ところで、お嬢様は元気かね」
「ええ、おかげさまで」
「サウザントルル家が取り潰しにあったときはどうしたもんかと思ったがね。ま、元気ならそれが何よりだよ」
御者は歯の無い口を開けて笑った。
「お嬢様とはいつお知り合いに?」
「知り合いも何も、わしは元々サウザントルル家で馬の世話をしておったんだよ。今は街で御者をやらせてもらっとるがな。旦那様が亡くなって、いよいよサウザントルル家が危なくなったとき、奥方様がわしら使用人たちの新たな雇用先を見つけてくださった。その恩は忘れられん。馬が必要なときはいつでも言ってくれ。わしが命に代えても用意するからな」
「それはどうも」
ちょうどそこへサナが戻って来た。
外出用のドレスに着替え、頭には鍔の広い帽子をかぶっている。
「お待たせしました。お久しぶりですね、馬のおじいさま」
サナが言うと、御者は深々とお辞儀をした。
「元気そうでなによりでございます、サナお嬢様。ささ、お乗りください。街まですぐに参りましょう」
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