26 『空白をたずさえて』
「それじゃあ、匿名で孤児院のあの子たちに贈り物をしていた『聖人』さまっていうのは…」
「アイギスさんだよ」
ワタシは、慎吾にそう答えた。
あの『リアルかくれんぼ』の激闘(!)から、二日ほどが経過していた。
ワタシ、慎吾、繭ちゃん、雪花さん、白ちゃん、ティアちゃんはみんなで公園のベンチに座り、目の前で遊ぶ孤児院の子たちをぼんやりと眺めていた。いや、繭ちゃんと白ちゃんと雪花さんはいつの間にか子供たちと一緒に鬼ごっこをして走り回っていた。若さってなんだろうね。振り向かないことだね。
…っていうか雪花さん、合法的にショタにタッチしようとしてない?どさくさで匂いとか嗅ごうとしてない?
「…………」
え?ワタシは一緒に走らないのかって?
筋肉痛で歩くのも精一杯なんだよ!
特にお尻の筋肉が痛いんだよ!
なので、節々に痛みを感じるワタシは、慎吾との話を続けていた。ティアちゃんは、いつの間にか小さく舟をこいでいる。
「でもね、慎吾。そもそも、あのお祭り自体が孤児たちに贈り物をするためのチャリティイベントみたいなものだったんだよ」
「そうなのか」
相槌を打つ慎吾に、ワタシは小さく頷いてから言った。
「元々は収穫祭の催し物の目玉イベントだったんだよね。けっこうな額の賞金も用意されてたし…でも、アイギスさんがそのイベントで優勝して、賞金を全額、孤児院の子たちのプレゼントに使っちゃったんだよね」
「そりゃあ、『聖人』さまなんて呼ばれるよな」
「アイギスさんは次の年も、その次の年も同じように優勝して、孤児の子たちにプレゼントを贈り続けたんだよ」
ワタシは、一つまばたきをしてから続きを話した。慎吾とワタシの間を、強くも弱くもない風が通り抜けていった。ほんのかすかに、慎吾の匂いがした。それはどことなく、土の匂いがしてした。人心地つける、やわらかい匂いだった。
「だから、他の参加者たちもアイギスさんには勝ったらいけない…というか、アイギスさんを勝たせてあげよう、みたいな空気になってたんだよね。プレゼントは匿名で送ってたけど、あの人、プレゼントの用意をしていたところを他の人たちに見られてたんだって」
人の口に戸を立てられるものではない。すぐに、街の人たちの間で匿名の『聖人』さまは知られるようになった。
「でも、本人が匿名でプレゼントをしているみたいだし、街の人たちは、子供たちには『聖人』さまのことは内緒にしようってことになったんだってさ」
まるでサンタクロースだ。いや、あの子たちにとっては、実在するサンタクロースだ。
「なるほどな、それで、あのゲームの参加者自体が少なかったのか」
慎吾は、納得したように頷いていた。
そして、だからこその、あの空気だった。のんびりと弛緩していて、どこにも角がないあの丸い空気。裏を返せば、それはこの街の人たちみんなで子供たち贈り物をしていた、ということでもある。
「けど、花子はどこであのアイギスさんが『聖人』さまだって気付いたんだ?」
「そうだね…けん玉かな」
「けん玉?」
「あのゲームの『課題』をアイギスさんと一緒にクリアした時、ちょっと話をしたんだよ」
二番目の『課題』の、あの時だ。
「アイギスさんは、子供たちが楽しそうに遊んでる姿を見るのが好きなんだって。で、言ってたんだ。『あの子たちに手作りのおもちゃを喜んでもらえたのが、何よりも嬉しかったって』ね」
「手作り…か」
「慎吾も一緒に見たよね?孤児院の子たちがけん玉で遊んでるところ」
「ああ」
見ていたというか、慎吾は子供たちにけん玉の『飛行機』という技を教えてあげていた。慎吾は、その技をお祖父ちゃんから習ったそうだ。けっこうお祖父ちゃんっ子なんだよね、慎吾。
「でも、この王都ではさ、けん玉はどこにも売ってなかったんだよ」
ゲーム作りの参考にしたいから、と繭ちゃんに誘われておもちゃ屋さん巡りをしたけれど、一度も見たことはなかった。
「それじゃあ、あのけん玉は…」
「そう、アイギスさんのお手製だったんだよ」
器用だよね、アイギスさん。
…不器用なワタシは、凧あげすらまともにできないというのに。
気にしても仕方がないので、ワタシは続きを話すことにした。
「あのけん玉は、他の贈り物と一緒にプレゼントされたものらしいから、アイギスさんがプレゼントの中にけん玉を混ざていたってことだよ。そして、送った本人じゃないと、あの子たちが遊んでいるおもちゃの中に手作りのおもちゃがあったことは知らないんだ」
それなのに、アイギスさんは手作りおもちゃのことを知っていた。
「そういうことか」
「そういうことです」
と、ワタシが言ったところで慎吾が次の言葉で問いかけてきた。
「じゃあ、アイギスさんって何者なんだ?」
「それは…ええと、ね」
ワタシとしても、ここは言い淀んだ。
そして、慎吾の耳元にそっと唇を近づけた。
「内緒にできる?」
「え…ああ」
突然の内緒話に、慎吾は軽く驚いていたようだ。
けれど、ワタシの言葉は、さらに慎吾を驚かせた。
「あの人は、この王都の第二王子だよ」
「…な、なんだってー!?」
珍しい、慎吾の驚き声だった。
というか、慎吾の耳元で囁いていたワタシは、その声に耳がキーンとなった。
「ちょっと、声が大きいよ、慎吾」
「いや、すまない…けど、なんでそれが分かったんだ?」
耳のキーンが回復するのを待ってから、ワタシは説明を始めた。
「ゲーム内では、騎士団の人たちが鬼役をやってたよね?」
「ああ」
「けど、騎士団の人たちとしては…さすがに第二王子を捕まえるのは抵抗あるよね?アイギスさんは変装をしてるつもりだったけど、騎士団の人たちみんな、気が付いてたみたいなんだよね」
というか街の人たちも気付いている節があった。
そして、これも後で聞いた話だが、毎年、あの人は派手な変装をして参加していたそうだ。そりゃ、騎士団の人たちも逆に気付くよね。
…気付かないのは、騎士団長であるナナさんくらいのものだ。
「それに、『勇者』さんとも対等に話してたし…まあ、決定的だったのは雪花さんがアイギスさんから隠れてたことかな」
「…雪花さんが?」
不意に雪花さんの名が出たことで、慎吾はまたも驚いていた。
「慎吾は忘れちゃったかな?前に、雪花さんが同人誌を描いたんだよ…この王都の第一王子さまと第二王子さまのカップリングで」
「…………」
それは、繭ちゃんがまだこっちに来る前の話だった。
慎吾はあの同人誌のことを思い出して青褪めていた。そりゃ、慎吾からすればとんでもないカルチャーショックだったからね。異世界の洗礼よりもきつかったみたいだよ。
そして、だからワタシもあの人の顔に見覚えがあったんだ。まさか、雪花さんの漫画で読んでいたとは思わず、思い出すのに時間がかかってしまった。
「けど…ホント、ありえないナマモノを描いてくれたよ、雪花さん」
漫画やアニメなどの既存のキャラではなく、実在の人物を題材に描いた同人誌を、腐女子さんたちはナマモノと呼んだりするのだそうだが…腐っているのにナマモノとはこれ如何に、だよね。
…うん、あんまり上手くないね。
ワタシは、本題に戻った。
「でも…ワタシが勝たなくてよかったよ、あのゲーム」
結局というか妥当というか、『リアルかくれんぼ』で勝ったのはアイギスさんだった。
白ちゃんが拾ってきてくれた『復活アイテム』を使用して、ワタシではなくアイギスに戦線復帰をしてもらった。
アイギスさんはその選択に渋い顔をしていたが、優勝したら子供たちにプレゼントを上げてくださいと言って説得した。
そして、最後はシスターのクレアさんとアイギスさんのデッドヒートになった。賞金はゲームをクリアした人数で山分けだったけれど、クレアさんは賞金を辞退した。
「花子が復活して、それであの子たちにプレゼントをしてもよかったんじゃないか?」
「ワタシに、あの賞金の全額で贈り物をしろと?無理だよ、ワタシの煩悩をなめないでよ?」
「いや…そんなことを誇らしく言われても困るんだが」
「善行をするにも資格が必要なんだよ」
冗談めかして言ったけれど、あながち冗談でもないのだ。
「まあ、今回のことで思い知ったよ。やっぱり、ワタシには何もない…空白だって」
「…空白?」
ワタシの呟きに、慎吾が反応した。
「あのゲームで、ワタシは大したことはできなかったよ」
「花子はちゃんと『課題』をクリアしていたじゃないか」
「あれだって、みんなの協力があったからだし…そもそも、慎吾や繭ちゃんが助けてくれなかったら、途中で捕まってリタイアだったしね」
そう、ワタシ一人では、中途半端な結果しか残せなかった。
「ワタシが一人で勝ち取ったモノなんて、何もないよ。それどころか、ワタシは自分の我がままのためにしか、走らなかった。アイギスさんみたいに、誰かの笑顔のために走っていたわけじゃなかった…結局、ワタシは空っぽで、ワタシには空白しかないんだ」
きっと、アイギスさんはたくさんのモノを持っている。そして、それを惜し気もなく誰かと分け合える人なんだ。
きっと、そういう人じゃないと…。
「…あいた!?」
唐突な痛みが、ワタシを襲った。
慎吾が、ワタシにデコピンをしたからだ。
「なにするの!?」
「調子に乗るなよ、花子」
慎吾に怒られた。
けど、それは理不尽だ。
だから、ワタシも言い返す。
「ワタシ、調子になんて乗ってないよね!?」
「乗ってるよ…元々、人間なんて一人じゃ大したことはできないんだよ。空白なんて、みんな抱えてるもんだろ」
「そんなことないじゃん…慎吾だってすごいよ!」
少しだけ、心の中がささくれ立ってきた。
だから、声のボリュームをさらに上げてしまう。
「ワタシたちはこの世界で生まれ変われたけど…この世界には、ワタシたちの家族はいないんだよ!?どこを探したって、見つけることはできないんだよ!?」
時折り、そのことが小波のように揺り返し、ワタシには、もう家族がいないという現実を突きつける。そして、ワタシの中の空白を、広げる。
「でも、そんな世界でも慎吾はちゃんと農家さんとして1人立ちしてるじゃない!それって大したことだよね!?誰にでもできることじゃないよね!?」
そう、慎吾はこの世界に適応している。実直に仕事をこなし、この異世界の人たちから信頼も得ている。
…不器用なワタシとは、違って。
「オレがこの世界でもちゃんとやれているとしたら、それは花子がいてくれたからだ」
「…え?」
慎吾の言葉が、一瞬、理解できなかった。
…ワタシが、いたから?
「オレだって、たった一人でこの世界に来ていたら、どうなってたか分からなかったよ…オレだって、心に空白を抱えたままこの異世界に来たんだ。けど、花子がいてくれたから、オレにだって、家族のいないこの世界でもなんとかやれてるんだよ」
「そう…なの?」
「そうじゃなかったら…オレだって、とっくに空白に圧し潰されてたよ」
慎吾は、少し俯きつつ、呟いた。
その呟きは、慎吾が抱えていた『怖さ』だったのかも、しれない。
ワタシは、初めて慎吾の口から『怖さ』を聞いた。
多分、ワタシが初めての人間だ。慎吾の『怖さ』を聞いた、初めての。
そして、慎吾は言葉をつなげる。
慎吾とワタシをつなげる、言葉を。
「あのアイギスさんだって、きっと空白は抱えてる。だから、あの子たちに贈り物をするんだ」
慎吾の言葉は、慎吾の世界の片鱗を、ワタシを見せてくれていた。
触れてはいなくても、ワタシは、慎吾の世界に触れていた。
「花子…人を助けるってことは、それと同時に、その相手に助けられてるってことでもあるはずだ。誰かを助けたその時、空白も埋まるんだよ」
「そう、なのかな…いや、きっとそうだね」
ワタシは今、慎吾に助けられている。
それは、慎吾の空白が少しでも埋まってくれている、ということだろうか。だったら、嬉しいな。
「よし、空白を埋めに行くか」
慎吾はベンチから立ち上がり、ワタシの手を取った。慎吾の体温が、ワタシの手に伝わる。二人の体温が、そこで平均される。ワタシの頬も、なぜか、熱を持った。
「オレたちも混ぜてくれよ!」
ワタシの手を取ったまま、慎吾は駆け出した。
繭ちゃんや白ちゃん、雪花さんたちが子供たちと一緒に遊んでいた、あの場所に。
みんなの温度が集まる、あの場所に。
「ちょっと待って、慎吾!?」
「早く行こうぜ、花子!」
「ワタシのお尻が…お尻が死ぬぅ!?」
筋肉痛が、ワタシのお尻を襲っていた。
けど、そこに空白は、なかった。
みんなが、埋めてくれていたからだ。ワタシにイジワルをする、その空白を。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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