8 『オンドゥルルラギッタンディスカァー!』
「さあ、あんたの罪を数えろ」
ワタシは、桟原慎吾の鼻先に人差し指を突き付ける。あまりお行儀のいい行為ではないが、今ならば許されるのだ。
「オレは罪に問われるようなこと何もしてないんだが…」
「ワタシにセクハラしただろうが!」
今!ここで!
「セクハラなんてしてないぞ。そんな大きい襟の服とか着てたら、せっかくのつるんとした胸が目立たないからもったいないって言っただけじゃないか」
「目立たないようにこの服を着てるんだろうがぁ!」
こっちはこの慎ましい胸元から相手の視線を逸らすことに腐心してるんだよ!手品師でも幻のシックスメンでもないのになぁ!
「まあまあ、今日はみんなで楽しくお食事会ですし、じゃれ合いはそのくらいにいたしましょうぞ」
珍妙な言葉遣いでワタシと慎吾の仲裁に入ったのは、月ヶ瀬雪花さんだ。
「さっきのアレがじゃれ合いで済むなら、コンプライアンスなんて概念は生まれないんですよ…」
「まあまあ、せっかくの『転生会』ですし、花子殿、先ずは乾杯といきましょうぞ」
最年長である雪花さんが音頭を取り、ワタシ、慎吾、雪花さん、そして甲田繭ちゃんが「乾杯!」とグラスを合わせる。
そして、本格的に食事会が始まった。
この『転生会』と名付けたのは雪花さんだ。理由は当然、ワタシたち全員が日本からの転生者だからだ。
そんなワタシたちは、今日、四人でこの王都のレストランに訪れていた。
ワタシが転生してからそれなりに月日も経っているので、異世界での食事にもかなり慣れた。というか、異世界のごはん普通に美味しい。
ただ、慎吾が案内してくれたこの店…メニューの名前が『ラム肉のグリル、香草と月のしずくを添えて』とか、『穀物と豆類のサラダ、精霊の息吹と共に』とか『フィレステーキ、ふわふわ雲の幸せソース掛け』といった具合で馴染めない。どうしてこんなインスタ女子が食い付きそうなネーミングなんだ。
…いないよね?インスタ女子。
「うむぅ…異世界の果実酒もいけるでござるなぁ。五臓六腑に染み渡りますぞ」
雪花さんは、グラスのお酒を八割ほど一気に飲み干していた。飲み方が完全におじさんのそれだった。ややがに股だし。
黒髪の艶やかな長髪といい肌理の細かい肌といい、この人、外見だけならアルテナさまにも引けを取らないというのに、なぜこうも残念な美人さんなのだろうか。あ、胸はワタシと同じくらいの大きさなんだよね、雪花さん。そこは花丸だね。
「雪花お姉ちゃん、そんなペースで飲んで大丈夫なの?」
最年少の繭ちゃんが、雪花さんを心配して声をかける。女装少年ではあるが、この子がこのメンバーの中では一番まともかもしれない(ワタシを除いて)。ただ、ちょっと魔性すぎるのが問題ではあるが。というか、繭ちゃんはここに来るまでに何回かナンパされてるんだよなぁ…ワタシも隣りにいたのにね!眼中にも入っていませんでしたよね、ワタシのことは!
ちなみに、このメンツの中では、雪花さんが二十歳、ワタシと慎吾が十七歳、繭ちゃんが十五歳となっていた。
「下宿先だとお酒は飲めないでござるからなぁ。けど、もう少しペースは落としますか」
雪花さんは、そこからはちびちびと控えめに飲み始める。
ちなみに、ワタシたち四人の転生者は一つ屋根の下で共同生活を送っていた。その物件は、女神アルテナさまの部下である天使のシャルカさんが経営していた。というか、ワタシたち転生者たちを住まわせるためにそのアパートが用意されていた、というべきか。
「あれ、三刻館って飲酒禁止だっけ?シャルカさんは毎晩、飲んでるだろ」
慎吾が、雪花さんの発言を不思議がっていた。
余談ではあるが、ワタシたちが住まわせてもらっているそのアパートの名は『三刻館』といった。絶対これ、あの適当な女神が適当につけただろ。
「飲酒自体は禁止されてないでござるよ。寧ろ推奨されているというか…ただ、あそこで飲む場合は、シャルカさんと一緒に飲まないといけないという不文律があるのですぞ」
そこで、雪花さんは伏し目がちになる。
というか、目が曇る。
「そうなると、シャルカさんはかなりの高確率でキス魔と化すので…これまでに何度、拙者のファーストチューが奪われたことか」
ファーストなチューは一回だけだと思ったが口にはしなかった。アレをキスだとカウントする必要はないだろうし、さすがに気の毒だ。普通に舌とか入れられてたし。
「拙者がシャルカさんの毒牙にかかっている場面に何度か出くわしているはずの花子殿は、助け舟なんて出してくれないですし」
「お祖母ちゃんが言っていたんですよ。ユリの間に挟まったら処されるから気をつけなさいって」
「拙者とシャルカ殿のキスシーンなんて、ユリ豚から唾とか吐きかけられるグロ画像でござるから!」
「そこまで卑下しなくても…」
雪花さんは普通にしていれば普通に美人さんなのに。
けど、結局、あの女神さまだけではなく、シャルカさんも面倒くさい女の人だった。
…どうなってるんだよ、天界。
そんな、箸にも棒にもかからない話を続けるワタシと雪花さんをよそに、慎吾と繭ちゃんは談笑をしながら平和的に食事を楽しんでいた。
「ほら、繭ちゃんはもう少し肉も食べた方がいいって」
慎吾は繭ちゃんの皿にお肉を取り分けていた。傍目には、仲のいい兄妹のように見えなくもない。
…いや、妹じゃなくて弟だったわ。
たまに本気で忘れてる時あるけど。
「でも、慎吾お兄ちゃん、ボク、あんまりお肉は…太っちゃったら困るし」
繭ちゃんは申し訳なさそうにそう言っていた。
ワタシは、そこで自分と雪花さんの取り皿、そして繭ちゃんのお皿を見比べる。繭ちゃんのお皿にはサラダしかのっていなくて、ワタシと雪花さんの皿には脂っこい肉類ばかりがのっていた。
…もしかして、ワタシの女子力この子より低いの?
いや、あの子は現役のアイドルだけれども。
「繭ちゃんくらい運動してたら、そんな簡単には太らないよ。というか、成長期に食事制限なんてしない方がいい。それに、これはむね肉だからカロリーも低いよ」
「ありがとう、慎吾お兄ちゃん」
そんな二人を見ていて、そこでふと気付く。
「…慎吾、繭ちゃんにはセクハラしないよね」
ワタシには、これまで数々の許されざる発言をしてきたというのに。
「当たり前だろ、繭ちゃん男の子なんだから」
「それが分かったのって最近でしょ」
その驚愕の事実が判明したのは、エルフたちとの異文化交流会でのことだ。
「花子は何を言ってんだよ、最初から分かってたじゃないか」
「…え?」
「最初に会った時から分かってたぞ。繭ちゃんは男の子だって」
鶏肉をナイフとフォークで切り分けながら、慎吾は真顔で言っていた。
「え…?」
「一応、拙者も気付いておりましたぞ」
雪花さんが追い打ちの言葉を口にした。
気付いていなかったのは、ワタシだけ?
「うそ…ワタシの目、節穴すぎ?」
なんだか、すっごい負けた気になった。
「じゃあじゃあ…どうして慎吾は雪花さんにもセクハラしないんだよ!」
負けた気になったワタシは、そんなことを口走っていた。けど、慎吾が雪花さんに対しては…というか、ワタシに対してしかセクハラ発言をしないのは前から気になっていた。
「ワタシと同じくらいの慎ましいボリュームしかないじゃないか、雪花さんだって!」
「いや、だって雪花さんは…」
珍しく、慎吾は言い淀んでいた。
そこで、ワタシの脳裏にある仮説が浮かぶ。
…もしかすると、慎吾はワタシにだけ意地悪をするのではないか、と。
それは、ワタシに対する好意の裏返しではないか、と。
つまりは、小学生の男の子が好きな子の気を引くためにイジワルをする…という例のアレだ。
「…………」
まあ、それなら?
今までのセクハラ発言も許して?やらなくもないけど?
まあ、まあ、まずは告白とか?するべきだとは思いますけど?
「だって、雪花さんせっかくの巨乳をさらしで潰してるし」
「なん…だと…?」
慎吾は今、何と言った?
ワタシは今、何を聞いた?
「形が崩れるからさらしは止めた方がいいって何度も言ってるのに、聞いてくれないんだよ、雪花さん」
「つまり…どういう、ことなんだってばよ?」
そこで、ワタシが雪花さんに視線を向けると、雪花さんは人差し指を立てて「しー!」というアクションを慎吾に取っていた。
…あ、これマジのヤツだ。
この人、本当にさらしで乳つぶしてるんだ。
なら、ワタシは。
「オンドゥルルラギッタンディスカァー!」
「ここではソプラノの言葉で話すべきですぞ、花子殿!」
ワタシたちがこっちに来てからも言語で苦労をしていないのはアルテナさまにソプラノの言葉が理解できるように魔法をかけてもらっていたからだが今はそんなことはどうでもいい。
「なんでさらしなんかしてるんですか!」
こっちは必要のないブラだってちゃんとしてるんだぞ!
時々、悲しくなりながらなぁ!
「なんというか、その、漫画を描く時に原稿が見辛い時があるのでござるよ…胸が邪魔で」
「イヤミか貴様ー!」
こっちは邪魔になったことなんて一度もないわ!
胸が重くて夜が寝苦しいとかも一回もないわ!
「仲間だと思ってたのに…雪花さんも仲間だと思っていたのにー!」
「ほら、あの…繭殿だって花子殿と同じくらいのサイズではないですか」
「あの子に負けたらオッパイカーストの最底辺になるだろうがぁ!」
何のフォローにもなっていない。
「あ、でもボク、最近ちょっとオッパイ大きくなってきたかも」
「嘘だと言ってよ…繭ちゃーん!」
…ちょっと待て、いやマジで。
それはシャレにならんて。
「花ちゃんが教えてくれたバストアップ体操が効いてるみたいなんだよね」
「返せ!それはワタシのオッパイだぞ!」
「ボクのだよぉ」
「殺してでも奪い取るぉ!」
繭ちゃんの胸部を鷲掴みにいこうとしたワタシから、繭ちゃんはまいっちんぐみたいなポーズをとってガードしていた。
…ワタシがやるより、かなり色っぽかった。
その後、喧々諤々やら一触即発などがあったが、ワタシも辛うじて落ち着いた。けれど、決して、慎吾の「花子のオッパイが一番かわいいだろ」という言葉に絆されたわけではない。断じてない。
あと、店の中で随分と騒いでいたが、追い出されたりすることはなかった。ワタシたちが食事をしていたのは個室で、この店の個室には『消音』の結界が張られていたから、音が部屋の外に漏れることがなかったのだ。ギルドの応接室にもこの結界はあるんだけど、この辺は本気で便利だなぁ、異世界。
その後は、普通にお互いの近況報告などをしながら食事を続けた。
「そういえば…皆さんはどのように死んだのでござるか?」
雪花さんがなんだか妙なことを言い出した。そこそこ酔いが回っている様子だ。
「だって、拙者たちくらいですぞ?自分の死に様を語れるのは」
「確かにそうですけど…」
それを酒の肴にするのはどうなのだろうか。
そして、ワタシの横で、繭ちゃんが俯き加減で口にした。
「…ボク、自分がどんな風に死んだのか、知らないんだ」
それは、今まで見たどの繭ちゃんの表情とも、違っていた。
アイドルとしての甲田繭とも。
転生者としての甲田繭とも。