18 『ケイデンスをもう30回転上げるよ!』
「遅いよ、花ちゃん!」
繭ちゃんがワタシに檄を飛ばす。
当然、ワタシとしてはその激に応えなければならない。ワタシはこの子の姉であり母だからだ。けれど…。
「そんなこと…言われても」
悲しいことに、ワタシは繭ちゃんについて行くので精一杯だった。息も絶え絶えで、手足が縺れてつんのめりそうになる。それに対して、前を走る繭ちゃんはカモシカのように軽快に走っていた。さすがはトップアイドルだ。ダンスも体力作りも欠かしてないしね。そんな繭ちゃんが、またワタシに声をかける。
「のんびりしてたら捕まっちゃうよ!」
「分かって…るけどさぁ」
ワタシ、やっぱり運動音痴なのだ。慎吾と特訓はしたけど、所詮は付け焼き刃だった。そして、捕まるというのは、当然、この『リアルかくれんぼ』の鬼たちに、だ。現在、ワタシと繭ちゃんは鬼に追いかけられていた。しかも、その鬼は三人もいる。
「…っていうか、なんで三人ともこっちに来るんだよぉ!」
泣き言を口にしながら、ワタシはひた走る。けど、この泣き言は割りと妥当ではあったのだ。
先ほど、ワタシと繭ちゃんはとあるアフロの人と一緒にいた。一緒に『課題』をこなし、一緒に『お宝』を手に入れた。その後、少しだけ三人でいたのだけど、そこを、三人の鬼に襲われて今は散り散りに逃げている、という状況だった。
「鬼に追いかけられるのは…そりゃ仕方ないけどさぁ」
かくれんぼといいつつ、ほぼ鬼ごっこなのだ、このゲームは。なら、鬼に追いかけられるのも当然だ。
「けど、なんで鬼がみんなこっちに来るんだよぉ!」
ワタシたちが出くわした三人の鬼は、みんなこっちに来ていた。
「あっちのアフロの方が目立つはずだろ!?」
少しは分担しろよ!
なので、ワタシがボヤくのも無理からぬことなのだ。
「そんな弱音を言ってる暇があったらもっと走ってよ!」
「繭ちゃん…」
繭ちゃんは、その気になれば鬼を振り切ることすらできそうだった。それなのに、ワタシを見捨てないで一緒にいてくれている。本当にいい子なのだ、繭ちゃんは。だから、ワタシは気合を入れ直した。
「よし…ケイデンスをもう30回転上げるよ!」
繭ちゃんの負担になりたくないワタシは、さらに速度を上げた。息切れはさらに激しくなり、視野が狭くなっていく。それでも、鬼との距離は縮まっていた。それに…。
「ゼッケンの…色が」
赤く、染まっていく。
元々は白色のゼッケンだったけれど、鬼に見られていると、その色が少しずつ赤色に変化する。完全に赤色になると、鬼に捕まっていなくてもゲームオーバーになる。
「本当に…無駄に凝ったルールにしてくれたもんだよ」
異世界の『何でもあり』も考えものだよ。
鬼は、さらに追い付いてくる。
このままでは、ワタシと繭ちゃんはここで仲良く脱落だ。
「こうなったら…繭ちゃんだけでも逃げて!」
先行する繭ちゃんに、ワタシは声をかけた。このままでは共倒れだ。しかも、ほぼワタシの所為でそうなる。
「繭ちゃんだけなら逃げ切れるでしょ!?」
繭ちゃんの足枷には、なりたくない。
ワタシは、この子のお姉ちゃんなのだ。
「花ちゃん…しょうがない、なぁ」
小さく呟いた繭ちゃんは、そこで足を止めてしまった。
「繭ちゃん!?」
立ち止まった繭ちゃんに面食らったワタシは叫ぶ。けど、繭ちゃんはケロッとしたものだ。
「花ちゃんはそのまま行って」
「でも…繭ちゃん!」
「ボク一人の方が逃げやすいからさ」
繭ちゃんは、ワタシを逃がすためにここで囮になるつもりだ。
「ワタシ、繭ちゃんを犠牲にしてまで助かりたくないよ!?」
先ほどは、慎吾だった。
慎吾を生け贄にして、ワタシは鬼から逃れられた。
けど、やっぱり、それってちょっと、楽しくないんだよ?
ワタシはね、みんなと一緒に遊びたかったんだよ?
今まで、こんな風に誰かと遊んだことなかったから…その願いは、今、叶ってるんだよ?
だから、繭ちゃんまで犠牲にしたくないんだよ?
「犠牲?花ちゃんがいたら足手纏いだって、ボクは言ってるんだよ?だから、さっさとどっかに行ってよ」
「そんな悪態をついたって信じるわけないでしょ!どれだけ一緒にいたと思ってるの!?」
「じゃあ、ボクがカッコつけようとしてるってことも、分かるよね?」
「…繭ちゃん」
「ボクだって、花ちゃんの前でカッコつけたいんだよ?」
繭ちゃんは、真っ直ぐな目でワタシを見ていた。その瞳には、静かな熱があった。繭ちゃんが本気になった時にだけ見せる、静かな熱だ。だから、ワタシは。
「…ごめん、繭ちゃん、借りにしとくね!」
だから、ワタシは駆け出した。
繭ちゃんの覚悟を無下にはできない。それは女が廃るのだ。
「簡単に捕まったりしないでよ、花ちゃん」
繭ちゃんの声に返事はできなかったけれど、ワタシはさっきよりも懸命に走る。
それを見た鬼たちが、走りながら相談を始めていた。
「どうやら二手に分かれたみたいだな…」
「じゃあ、お前があっちの女の子を追いかけろよ」
「いや、お前があっちにいけよ」
「やだよ、俺は繭ちゃんの方がいい」
「俺だって繭ちゃんがいいに決まってるだろ!」
「俺は『繭ちゃん親衛隊』だぞ!」
「俺なんか親衛隊のシングルナンバーだぞ!」
「お前たちが、あっちのお尻の大き…安産型の女の子の方を捕まえろよ!」
おいぃ!?お前たちの顔は覚えたからなぁ!?
「月のない夜は気をつけろよぉ!」
逃げながら、ワタシは辻斬りのような捨て台詞を残した。
「というか…あの鬼たち『繭ちゃん親衛隊』かよ!?」
その『繭ちゃん親衛隊』というのは、平たく言うまでもなく繭ちゃんのファンクラブだ。結構な数がいることは知っていたが、まさかこんなところで出くわすとは思わなかった。
「ほらほら、喧嘩しないでさー。みんなでボクのこと追いかけてくれたらいいんじゃないかなー?かな?」
繭ちゃんは繭ちゃんで、アイドル的ファンサービスを三人の鬼に仕掛けている。というか、びっくりするくらい簡単に鬼たちは釣れていた。
「「「はーい」」」
とか。
「「「待て待てー」」」
などと、鼻の下を伸ばしながら鬼たちは繭ちゃんのお尻を追いかけていく。
「…なんか、女子としての立つ瀬がないのですが!?」
繭ちゃん、今日はいつものアイドル衣装じゃなかったんだよ!?短パン姿だったんだよ!?それなのにワタシの方が惨敗なのおかしくない!?
「本当に…繭ちゃんには傾国の才能があるのではないだろうか?」
姉としてやや本気で心配になりながらも、ワタシはいくつかの路地裏を通り抜ける。時折り、背後を確認しながら。しかし、そこに鬼の姿はない。
「完全に…まいたみたいだね」
数珠の振動は、完全に消えていた。鬼とは一定の距離がとれた、ということだ。
けど…繭ちゃんは。
そこで、鐘の音とアナウンスが聞こえてくる。
誰かが捕まるたびに、参加者全員に聞こえるように伝えるのだ。
「…ちょっと悪趣味な気もするけどね」
最初の脱落者は慎吾だった。
次は繭ちゃんか。
…身内ばかりじゃないか。
「けど、繭ちゃんが身代わりになってくれたお陰で、ワタシは生き残れた」
そして、『お宝』は既にリーチだ。このゲームでは、三種類の『お宝』を手に入れてゴールすることが勝利条件となっている。
「慎吾と繭ちゃんは捕まっちゃったけど…こっちには、切り札の雪花さんがいるんだ」
そう、ワタシたちのチームのエースは、雪花さんだ。
「あの人には、『隠形』があるからね」
それは、この異世界ソプラノでも雪花さんだけが持つユニークスキルだった。その『隠形』を使用すれば、雪花さんの姿は誰の目にも映らなくなる。
「それだけじゃなくて…壁のすり抜けなんかもできちゃうんだよね」
何人たりとも、物理的に雪花さんに触れることができなくなるからだ。
「つまり、雪花さんはこのゲームでは誰にも負けないんだよね」
…さすがにちょっとズルが過ぎるのではないか、と罪悪感を覚えてしまう。
こんな勝ち方でクレアさんたちに顔向けができるのか、と。
そこで、アナウンスが告げた。
「お次の脱落者は『ぬるぬるイワシ兵士長』先生…あ、いえ、月ヶ瀬雪花さんです」
…はい?
え…はい?ぱーどぅん?




