10 『何人たりとも、ワタシの前は走らせません!』
「こっちです、クレアさん!」
ワタシは、シスターのクレアさんの手を取って走りだす。これでも、慎吾と体力作りの特訓をしたのだ。けっこうそれなりに走り込んだのだ。なぜか、アイツはワタシの走りを見て「花子の走り方どうなってるんだ?」って、首を傾げることが多かったけれど。
「あ、あの…花子さん」
「なんですか?」
気分的には、クレアさんの手を引いて風を切って走っている花子さんだった。少女漫画の王子さま役みたいで、ちょっと誇らしかった。
「そこ、左じゃなくて右です」
「おわっと、失礼しました」
ベタな失敗をしてしまった。しかも、笑いも起きない微妙な失敗のヤツだ。ワタシは、くるりと反転して軌道修正をする。
「この先…で、いいんですよね、クレアさん?」
「はい…先ほどちょび漏れしそうになりながら駆け込んだトイレの裏にありました」
「…その報告はいらないのですけれど」
ワタシにどうしろというのだ。
けれど、またスピードを上げて駆け出す。クレアさんが言った、そのトイレの裏を目指して。というか、トイレの場所ならさっきワタシがクレアさんに教えたのにね。でも、そんな凡ミスをするくらい、ワタシは昂っていた。
この『リアルかくれんぼ』のカギとなる、『お宝』の一つがそこにあるんだ。もしかすると、ワタシがお宝を獲得する第一号になるかもしれない。
そう思うと、駆け出す足を止められなかった。
「あそこ、ですね」
視界の先に、公衆トイレが見えた。
そこで、疑問は一つ浮かんでいた。
なぜ、クレアさんはその見つけたお宝をゲットしなかったのか、と。
先に見つけたのなら、先に手に入れてしまえばよかったのに、と。
「…………」
疑問は、すぐに解消された。
この人は、このゲームの勝者になるつもりはない。というか、教団の教義により賞金を受け取ることができない、と先ほど説明していた。だから、この人は見つけたお宝のことをワタシに教えてくれたんだ。けれど。
「…………」
もし、ワタシがそのお宝を先に見つけていたら、ワタシはどうしただろうか。
クレアさんには黙って、そのお宝を手に入れていたかもしれない。これは、そういうゲームだ。ズルではないし、誰かに後ろ指を差されるようなこともない。
だから、ワタシはそのままお宝を独り占めしていたかもしれない。
自分が、このゲームの勝者になるために。
「…………」
不意に、自分がひどく惨めな人間に思えた。
もしかすると、これから先の人生でも同じようなことをしてしまうかもしれない。自分だけを優先し、他人を蔑ろにしてしまうのかもしれない。なんだかんだと四の五の言い訳をし、ダレカを切り捨てる行為を平然と行ってしまうかもしれない。
…おばあちゃんがそんなワタシを見たら、多分、悲しい顔をする。
そう思うと、足が鈍ってしまった。
「どうしたんですか、花子さん」
足が止まったワタシに、クレアさんが問いかけてきた。
ワタシは、その問いに答えた。ひどくたどたどしく。
「あの、ワタシ…このままお宝を手に入れちゃって、いいのかなって」
「これは…そういうお遊びではないですか?」
「そう…なのですが」
適切な言葉が、出てこなかった。それでも、何とか言葉を紡ごうとした。
「ええと…ワタシだけが得をしちゃって、いいのかなっていうか。クレアさんを蹴落としてお宝を手に入れちゃっていいのかなって。ワタシ、そんな人間でいいのかなって」
そこまで言ったところで、脳裏に浮かんだ。
そもそも、こんなことをこの人に話してもいいのか、と。
いきなりこんな重たい話をされて、クレアさんだって困るのではないか、と。
クレアさんの名前は知っている。
クレアさんとは、何度か顔も合わせている。
ただし、それだけとも言える。
それだけの人に対し、ワタシは何を言おうとしているのだろうか。
「…………」
ワタシは、病弱だった。
そして、この世界に転生して来るまで、まともに友達もできなかった。
だから、時折り分からなくなる。
ヒトとの距離感、というものが。
親しい人とは、どう接すればいいのだろうか。
親しくない人とは、どう接すればいいのだろうか。
時々、それが分からなくなる。
そして、怖くもなる。
ワタシの所為で、ワタシから離れていく人がいるのではないか、と。
そんな人が、これからたくさん、出てくるのではないか、と。
もし、慎吾がワタシから離れたら?
もし、雪花さんがワタシから離れたら?
もし、繭ちゃん…が。
…それは、いやだ。
…ごめんなさい、一人は、いやなんです。
ワタシは、動けなくなっていた。
「なに…を?」
そこで、ワタシは温もりと柔らかさを同時に感じていた。
抱きしめ、られていた。クレアさんの、胸に。
「花子さんが何を言おうとしているのかは分かりませんが、花子さんが何かに苦しんでいることは分かりましたから」
「あの、ワタシ、ズルをして、一人でお宝を手に入れようとしたんです…いえ、まだしていませんけれど、ワタシが先にお宝を見つけていたら、きっと、ズルをして独り占めしていました。だから、卑しい人間なんです、ワタシは」
クレアさんに抱きしめられたまま、ワタシは言った。言ってしまった。
そんなワタシにクレアさんは笑った。ワタシは、酷いことを言っていたというのに。
「花子さんは、全ての人間が高潔だと思っているのですか?」
「高潔って…いえ、そこまでは、思ってないですけど」
「でも、人間という生き物は、みんながみんな、譲り合いの心を持っている、とお考えではないですか?」
「え、ええと…それは」
みんながみんな、ではなくとも大半はそうではないのだろうか?
だから、世界は回っているのではないだろうか?
だって、ワタシの周りにいるのは、みんないい人ばかりだ。
そんなワタシに、クレアさんは、教えてくれた。
「人というのは卑しい生き物ですよ。いえ、人だけではありません。全ての生き物がそうです。率先して自分を優先しているのです。そうでなければ、自分が死んでしまいますから」
「でも、動物は仕方ないかもしれませんが…」
「人だってそうですよ。自分を優先しなければ、死んでしまいます。それが体か心かの違いはあるでしょうけれど」
クレアさんは、ワタシを抱きしめたまま頭をポンポンと軽く、やさしく撫でた。
「だから、それほど気にしなくてもいいのですよ。ただ、余裕があるときは、少しでいいので周りの人たちを見てあげてください。花子さんなら、それができる人だと思いますよ」
「できる…でしょうか」
ワタシなんかに、それが。
「はい、請け負いますよ。私の中の『ユリを見守るおじさん』がそう囁いていますから」
「…初めて、『ユリを見守るおじさん』に感謝をしてしまいました」
いや、感謝かな?これ。
ちょっと落ち着いてから考えないといけないかもしれないが、それでも、少しだけ気が楽になった。
「それでは、行きましょうか」
クレアさんに促され、ワタシたちはまた動き出そうとしたのだけれど。
「…!」
ワタシとクレアさんは、同時に足を止めた。
…数珠が、振動している。
この数珠は、このゲームが始まる前に支給されたものだ。そして、その時に教えられていた。鬼が近づくと、この数珠が震える、と。
ワタシは、近くにあったゴミ箱の陰に隠れた。勿論、クレアさんの手を引いたまま。ただ、そんな状態でこの人を引っ張ってしまったので、ワタシとクレアさんは縺れるように倒れてしまった。
「…すいません、大丈夫ですか?」
失敗した…どんくさいくせに、出しゃばるようなことをしたからだ。もしかすると、これでクレアさんを怒らせてしまったかもしれない。
…いやだな、人に嫌われるのはいやだ。
けれど、クレアさんは笑っていた。笑って、ワタシのことを許していた。
「はい、大丈夫です。ちょっと花子さんの顔が近いので、このままチューしてもいいのかなって思っているくらいです」
「…ワタシが大丈夫じゃないんですが、それは」
というかあなた、『ユリを見守るおじさん』に心を侵食されかかってませんか?
「近くにいるみたいですね、鬼が」
数珠の振動は感じられる。ただ、それほど強くはない。鬼との距離が近くなれば、それだけ振動が早くなると言っていたから、まだ距離はあるはずだ。
ただ、この場所はまずい。
この通りは両側を大きな工場に挟まれていて、身を隠したり逃げ込んだりできる脇道がない。こんな見通しの効く場所では、すぐに見つかってしまう。
「…前方には、いないみたいですね」
ゴミ箱から顔だけ出して確認したが、鬼の姿はない。
「では、後ろということでしょうか…でも、こちらも見当たりませんね」
クレアさんが背後を確認してそう言った。
「前にもいない、後ろにもいない…見える範囲には、ですけれど」
独り言のように、ワタシは呟く。
「では、鬼は…どこにいるのでしょうね?」
クレアさんは、不思議そうな表情を浮かべて数珠を見ていた。数珠は、確かに振動している。その振動を確認してから、ワタシは言った。
「…多分、後ろです。角を曲がった先、右か左のどちらかですよ」
「ええと、じゃあ…私たちはどうするべきでしょうか」
「とりあえず、前に進みましょう…身を隠せる場所がないから、できるだけ駆け足で」
そしてまた、ワタシはクレアさんの手を取って走りだした。さっきよりも、気分は昂っていた。ここでクレアさんを差し置いてお宝を手に入れることが、正しいかどうかは分からない。それでも、この感情だけは本物だ。ワタシは、クレアさんとつないだ手に力を入れた。
「クレアさんは、ワタシが守ります…だから、何人たりとも、ワタシの前は走らせません!」
いつも最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
今回は苦労しました…。
サブタイトルをどうしようか?で(笑)
それで、最後の最後に浮かんだのがあのセリフでした。
毎回毎回、需要があるかどうか分からないお話ですが、せめてもう少しは続けたいと思っておりますので、お付き合いいただけましたら幸いです。
それでは、次回もよろしくお願いいたします。




