6 『ひょっとして女神さまはアホでいらっしゃいますか?』
「失礼ですが、ひょっとして女神さまはアホでいらっしゃいますか?」
『クビですクビクビクビクビクビー!』
女神さまは、半泣きの涙目でものっそい叫んでいた。
けど、泣きたいのはそもそもこっちだったし、この程度の暴言なら許されてもいいはずなのだ。
今日も今日とて、いつものように魔法の鏡を通じて冒険者ギルドの事務室から女神さまとの定期連絡をしていた。正直、被害報告といった方が正鵠を射ているのだけれど。
『で、また何か問題でも起こったのですか?』
女神さまはもうケロッとしていた。さっきのやりとりはただの予定調和だったのだ。慣れてきたな、この人(?)も。
「もろちん…いえ、勿論、あの新しい転生者ちゃんのことですよ」
他に該当者なんていな…いや、いるわ。問題児しかいなかったわ、ワタシの異世界ライフには。
『繭ちゃんさんですね』
「…なんか楽しそうですね、アルテナさま」
『そんなことはありませんよ。最近は花子さんからの報告でご飯が美味しいとか、そんなことはこれっぽっちもありませんよぅ』
…あるな、これ。
この女神さま、ワタシの不幸を酒の肴とかにしてやがるな。
「そのうち、ワタシの報告を聞きながらワイン片手に愉悦に浸りだしそうだ…」
愉悦によって酒の味も化けるとかなんとか、うろ覚えの講釈を垂れながら。
『何かおっしゃいましたか?』
「いえ、なんでもありません…」
…そろそろ心労で胃薬の接種とか考えなければならなくなるぞ、ワタシ。
『ですが、ギルドの資金繰りはうまくいっていると聞きましたよ?』
「そうですね。遺憾ながら、繭ちゃんのお陰でなんとか雪花さんの保釈金の穴埋めはできました…」
投獄されていた雪花さんの保釈金をギルドが立て替えてくれていたが、その所為でギルドは資金難に陥っていた。一時は晩酌用のお酒すら買えず、ギルドマスターであるシャルカさんに禁断症状が出ていたほどだ。
…ワタシの職場環境、ちょっと劣悪過ぎない?
『繭ちゃんさんが『歌姫』として大活躍をされたのですよね』
「…そうですね」
三人目の転生者である甲田繭も、当然のように冒険者にはならなかった。もはや、ワタシとしては冒険者志望の転生者が来た方が驚くまである。
…ただ、その繭ちゃんが選んだ『歌姫』という選択肢が問題だった。
いや、今まで問題が起きなかった例がないのだけれど。
「最初に繭ちゃんが歌姫…アイドルになりたいとか言い出した時は、どうなることかと思いましたよ」
『ワタクシが勧めたのですよぅ、『ユー、アイドルになっちゃいなよ!』って』
「元凶はあなたですか…」
まあ、あの子もワタシたち同様に、若くして命を落としてしまった運命の被害者だ。なら、棚ぼたでもらった第二の人生を好きに生きたとしても罰は当たらないし、第三者に文句を言われる筋合いもないはずだ。
「…そう思っていた時期が、ワタシにもありましたよ」
あの子がアイドルになったことで、この世界は根底から揺らいだ。いや、そこそこマジで。
何を言っているのか分からないと思うけれど、ワタシも、何が起こっていたのか分からなかった。
風が吹けば桶屋が儲かるとか、バタフライエフェクトだとか、そんなチャチなものじゃあ、断じてなかった。もっと恐ろしいモノの片鱗を味わわされた。
神さまは乗り越えられる人にしか試練を与えないというが、ワタシの細腕でこの試練が乗り越えられると、神さまは本気で考えているのか?
…いや、その神さまワタシの目の前にいたわ。
「最初は本当に大変だったんですよ…この世界には歌姫もアイドルも前例がなかったから、繭ちゃんが先駆者になるしかなかったんです」
アイドルソングどころか、この世界の歌といえば神さまを称える歌しか存在していなかった。
…讃美歌とか必要ないだろ、この女神さまに。
『まずは、皆さんにアイドルという存在を知っていただかないといけませんね』
「そうですね…この異世界にはアイドルの養成所も芸能事務所もありませんでしたし、バックアップをするワタシたちにもその手のノウハウはありませんでした。だから、全部が手探りだったんですよ」
それでも、この頃はまだ、ワタシも前向きに支援も応援もできていた。
『それは、中々の覚悟が必要だったのではないですか?』
「そうですね…けど、おばあちゃんも言っていました。『覚悟とは、暗闇の荒野に進むべき道を切り開くことなんだよ』って」
『随分と黄金な精神をお持ちなのですね…花子さんのお祖母さま』
「手始めに、繭ちゃんには広場で歌ってもらいました」
歌姫だろうがアイドルだろうが、先ずは、あの子の歌をこの王都に根付かせる必要があった。そして、恥ずかしがり屋ながらも、繭ちゃんは意外と堂々と歌っていた。
「他にも、繭ちゃんの名刺を配ったりしましたね…」
歌の次は、甲田繭というキャラクターを認知してもらおうという話になった。
ちなみに、その名刺には繭ちゃんをデフォルメしたイラストが描かれていた。描いたのは雪花さんだ。当然、これは罪滅ぼしの一環なのだからギャランティなど一切、払っていない。これから先どれだけ彼女をこき使ったとしても、何の問題もお咎めもないはずだ。
「あとは握手会…の真似事みたいな草の根活動をしてこの町の人たちと交流を深めていきました。少しずつですが、この王都で繭ちゃんのことを知ってもらえるようになったんです」
タレント活動などには疎いワタシだったけれど、無い知恵を絞って考えた。
繭ちゃんも、ひらひらのスカートをはいて頑張っていた。小柄な繭ちゃんの健気なその姿に、町の男性陣たちも、次第にメロメロになっていた。まあ、その目は節穴だったわけだけれども。
「ただ…」
ここでまた、異世界特有(?)の意味不明イベントが発生した。
配った名刺に描かれていた繭ちゃんイラストが、夜中に動き出したり(毎日ポーズが変わるのでお得だとなぜか話題になった)。
繭ちゃんと握手をした右手に謎の超パワーが宿り、腰痛や頻尿が治ったり(これはお年寄りにはありがたがられていた)。
繭ちゃんが歌っていると、畑から収穫前の野菜が脱走したりした(農家でもある慎吾にめっちゃ怒られた)。
…まあ、この辺りは省くことにするか。
「そして、なんだかんだで、繭ちゃんのライブを開催できるようになったんです」
『そういえば…楽曲などはどうされていたのですか?』
そこで、女神さまが問いかけてきた。
『まさか、異世界なら元の世界の著作権は治外法権だと思って…』
「そ、そこはちゃんとオリジナルですよ!」
『それを聞いて安心しました』
変なところでだけ常識があるんだよなあ、この女神さま。
ダレカにパラメーターでもいじられたのか?
「曲はシャルカさんが作っていたんですよ」
『あの子、そんなことしていたのですか…』
「ストレス解消にいいそうなんですよ、曲作りって」
『なるほど』
アルテナさまはそこで得心していたが、シャルカさんのストレスの源泉は大部分がこの人(?)なのだ。
『それでは、繭ちゃんさんのライブは無事に開催されたのですね』
「ええ…売れました」
『花子…さん?』
「この世界でのワタシは、アリア・アプリコットです」
ちなみに、繭ちゃんにも『マルル・マキアート』というこの世界向けのポップでキュートな名前を用意してあげたのだが、『売れなくなるから却下』とシャルカさんに一蹴された。天界の人には分からないと思うんだけどなぁ、ワタシのネーミングセンスは。
…繭ちゃんも微妙な表情をしてたけど。
「ええと、最初はそれほどでもありませんでしたけど、すぐに伸びたんですよ、売り上げは」
他に競合相手がいなかったとはいえ、どうやら、ワタシのプロデューサーとしての才能が開花してしまったようだった。
これからはアリアPと名乗ろうかな。
まさか、看板娘とプロデューサーという二足の草鞋を履く日が来ようとは。
『売り上げというと…ライブのチケットとかですか』
「そうですね。先ずは、ライブのチケットが捌けなければお話になりません。チケットが売れないということは、人が集まらない、ということですからね。でも、チケットが売れただけでもダメなんです。そこで満足しているようでは、プロデューサー失格ですね」
『…花子さん?』
「ライブというのは、ただ歌を聞いてもらうための空間…というものではありません。お客さんにユメを見てもらうための場所でもあるんです。そして、ユメと同時にモノを売る戦場でもあるんですよ。そう、物販は戦争なんです。お客さんが欲しいと思うモノを用意するのは当然で、潜在的にお客さんが欲しがっているモノを、最高のタイミングでお出ししなければなりませんワタシも繭ちゃんのライブでは多種多様なグッズを多角的に用意しましたTシャツはもちろんハッピに鉢巻にタオルにサイリウムにアクセサリーにクリアファイルにアクリルキーホルダーにブロマイドにうちわ缶バッジリストバンドタペストリーぬいぐるみ」
『花子さんにボケられると収集がつかなくなるのですが!?』
「え、ワタシはボケたりしませんよ」
『進行形でボケ続けられたのですが…』
女神さまは、一息ついてから言葉を発した。
『兎に角、運営もうまくいってギルドの経営難は脱した…ということですね』
「そうですね、脱税で捕まりかけましたけど」
『だからボケないでくださいっっってばぁ!』
今日の女神さまは声を張ってるなぁ。
「いえ、法整備が間に合っていなかっただけなので、今は大丈夫ですよ」
何しろ、この世界には芸能関係の仕事すら殆どない。アイドルなどからは、どうやって徴収すればいいのか決まっていなかったのだ。
「まあ、バタバタはしましたけど、大した問題はなかったんですよ…ここまでは」
『ここまででもうお腹いっぱいなのですが…』
女神さまもお疲れだったようなので、さらっといくことにした。
「この後…エルフ族との外交問題に発展しました」
『がいこおもんだい?』
女神さまは、目を見開いて驚いていた。
「ええと、ですね…世界が傾きました」
『せかいがかたむいた?』
女神さまは、オッパイをこぼしそうになりながら驚いていた。
『何があればそんなことになるんですか…』
「それは…」
言いかけたワタシを、女神さまは遮った。
『お待ちください…緊急事態です』
「緊急…事態?」
今度は、ワタシが驚かされた。
…オッパイはこぼれないけどね!
『少し、中座させていただいてもよろしいですか』
女神さまの表情は険しく、有無を言わせない。
「もしかして…天界に何かあったのですか?」
『いえ、月の物が始まりました』
「ツキのモノ…?」
何か、聞き覚えがあるような?
聞こえなかったことにしたいような?
『生理ですね。こんな時に始まってしまいました』
「あ、それは仕方ないですよね…」
その辛さはワタシにも分かる。
特に、急に来られたりしたら。
『では、ちょっと中座させていただきますね。ああ、すぐに戻りますので少し待っていください』
アルテナさまは、やや前屈みで部屋から出て行った。
ワタシは、そんな女神さまの背中を見送る。
そして、誰もいなくなった部屋の中、ワタシは呼吸を整え、叫ぶ。
「ワタシは、ワタシの責務を全うする!」と。
よし、もう一丁!
せーの…。
「女神さまなのに生理とかあるのかよ!?」
そんな女神さまとか前代未聞だよ!
ワタシのツッコミは、虚しく響いた。