最終話 『その妄想を抱いて溺死してください』
「あなたの妹を信じてください。この世にはね、不思議なことなんて何一つないらしいですよ!」
ワタシは、雪花さんに向けて叫ぶ。不格好でサマにならないポーズで見得を切りながら。帳の下りた宵闇の中、それは滑稽以外の何物でもなかった。けど、それでいい。この胸糞の悪い出来事の幕を引くためには、これぐらい奇矯で、これぐらい愛嬌のあるピエロでなければ帳尻を合わせられない。
「花子ちゃん…そこは伝聞じゃなくて断言して欲しいところなんだけど」
「いいじゃないですか、ワタシたちらしくて」
この適当さが、ワタシや雪花さんのペースだ。心の踊る大冒険も血沸き肉躍るバトルも、現代知識を流用した社会変革も、追放されてからの「ざまぁ」という復讐展開も、ワタシたちは何一つしていない。これこそが、ワタシたちのようなゆるゆる転生者のリズムだ。
だが、それをお気に召さない人間もいた。
「俺の正体に気付いている…だと?」
仮面の男が、仮面の下の瞳でワタシたちを睥睨していた。純度の高い敵意を、濁った視線と声に乗せて。
けど、今さらそんなものに気後れするワタシたちではないのだ。
「当然ですよ。あなたの正体はとっくに分かっていたんです。だから、とっくに騎士団の人たちにお願いをして、手を打ってもらっていたんですよ。今頃、あなたたちのお仲間もお縄についているはずです」
「馬鹿な…なら、言ってみろ、俺が何者なのか」
煽るような声で、仮面の男は言った。ポーカーフェイスはまだ崩れていない。ワタシの言葉がブラフとでも思っているのだろうか。だから、ワタシは突き付けた。その仮面の下の素顔が、何者なのか。
「あなたはただの小悪党ですよ。そして、ただの編集長です」
瞬間、周囲から音が消えた。
場違いな言葉が発せられたからだ。
「へんしゅう…ちょう?」
雪花さんの声は平仮名だった。ワタシが口にした言葉を、すぐには理解できなかったようだ。他の面々も、雪花さんほどではないが似たり寄ったりの不思議そうな顔を浮かべていた。あの仮面の男だけは、違ったけれど。
「ああ、編集長という言葉はまだ浸透していませんか。なら、社長とお呼びましょうか?新しく漫画専門の出版社を立ち上げようとしていた会社の…そこの社長ですよ。あなたは」
ワタシは右手を掲げ、振り下ろして仮面の男を指差した。無作法ではあったけれど、無法な相手に作法を守る道理も義理もない。
「あの仮面の男が…あの出版社の、社長?」
驚きの声を上げ、目を見開いていたのは、雪花さんだ。無理もない。その人物は、雪花さんも見知った人物だった。
「本当に本当ですよ」
簡潔にそう言った。ワタシの言葉は、ゆっくりと時間をかけて周囲に染み込む。染み込み、変化を促す。その変化に背中を押されるように、雪花さんがワタシに問いかけた。
「けど、どうして…そんなことが、分かったの?」
「あの仮面の人が…出版社の社長が、雪花さんの描いた漫画を採用しなかったと聞いていたからですよ」
この王都で、新しく、漫画専門の出版社が設立される予定だった。
これまでのように、個人ではなく、会社がきちんとバックアップをして漫画が刊行されるという話だった。
ただ、初めて出版されるという漫画のラインナップ中に、雪花さんの漫画はなかった。
出版社の社長という人物が、「これは出版できない」と雪花さんの漫画を却下したからだ。
そして、誰の目にも触れないように、文字通りのお蔵入りにした。
「だけど、雪花さんが描いた漫画は…時間とか精神とか人間性とか乙女の尊厳とかの諸々を削って描いた漫画は、軽く流し読みした程度でボツにされるようなものでは、ありませんでした」
沸々と、怒りが自然に沸いていた。
…あ、自分が思ってた以上に怒ってたんだ、ワタシ。
「確かに、雪花さんの漫画は世紀の傑作とか不朽の名作ではなかったのかもしれません…それでも、他の人の目に触れないように扱われていいものでは、なかったはずなんですよ」
あの男は、雪花さんの漫画に、真摯に向き合わなかった。いや、雪花さんだけじゃない。他の作家さんたちの誰とも、きちんと向き合わなかった。最初から、徹頭徹尾、向き合っていなかった。
あの男にとって、漫画専門の出版社など、ただの隠れ蓑でしかなかったからだ。
おそらく、漫画の出版など、する意思はなかった。
ここで『秘石』を手に入れた後、この男は王都から雲隠れをするつもりだったはずだ。
「だけど、あの人は雪花さんの漫画を頭ごなしに否定しました…その理由が、『自分たちにとって不都合だったから』です」
「不都合…だったから?」
雪花さんは、どういう感情を浮かべていいのか分からない、といった表情をしていた。ころころと変わる状況が、雪花さんの心をピンボールのように弾き続けている。
「ええ、そして、それこそが、雪花さんの描いた漫画が現実になっていたわけじゃないという証明にもなります」
呼気を整え、次の言葉を口にした。
雪花さんの漫画が負けたわけではない、と証明する言葉を。
「あの人が雪花さんの漫画を選ばなかったのは、その内容が、自分たちの計画と酷似していたからです」
だから、雪花さんの漫画は負けてなんて、いない。
「雪花さんが描いたあの漫画の中では、橋が崩落するシーンが出てきます。火事で建物が焼け落ちるシーンもありました。そして、この王都でも、同じ事件が同じ順番で起きています」
これでは、雪花さんが気に病むのも無理からぬことだ。
「けど、違ったですよ…これは、漫画が最初じゃなかったんです。事件の方が先だったんですよ」
「え、でも…私が漫画を描いた方が先だったよ」
「確かに、雪花さんの漫画の方が先だと考えてしまいそうになりますけど、あの二つの事件はきちんと計画されたものでした。雪花さんがあの漫画を描く、それ以前から。でなければ、あんな大規模な事件は起こせません」
そのための下準備や下調べの時間も、かなり必要だったはずだ。
「そして、だからこそ、あの人…出版社の社長であり、仮面の強盗団だったあの人は、雪花さんの漫画が誰の目にも触れないようにしなければならなかったんです」
ワタシは、そこで仮面の男を睨む。
…たぶん、怖くなんてなかっただろうけれど。まあいいや。
「もし、雪花さんのあの漫画がたくさんの人たちの目に触れるようなことがあれば、漫画と事件の符号に気付く人が出てくるかもしれません」
傑作ではなくても、名作ではなくても、漫画という異文化がこの異世界で受け入れられることがなかったとしても。
それでも、雪花さんが全てをかけて描いたあの漫画は、ダレカの心に届く。
「何者かによって橋が落とされたのも、放火で火事が起こったのも、もしかすると同じ犯人の仕業じゃないか、と勘繰る人が出てくるかもしれません。そこから、足取りを掴まれるかもしれません。それを避けたかったんです」
それを、この仮面の男は避けたかったんです。
ワタシはそう付け加え、続ける。
「そして、橋を落としたのも放火をしたのも、全部、あの『秘石』を強奪するための布石でした」
「…布石?」
雪花さんに頷いてから、ワタシは言った。
「この人たちが石橋を落としたのは、自動車…いえ、魔動車を『秘石』の移送に使わせないためでした。魔動車は装甲も厚く、賊に襲われたとしても返り討ちにできるくらいの装備を積んでいたそうです。移送の途中で『秘石』を奪うためには、この魔動車の存在は邪魔でした。けど、それなら魔動車に運ばせなければよかったんです」
大きく息を吸い、脳に酸素を送った。少しだけ、視界がクリアになった気がした。
「魔動車は装甲も分厚い分だけ、質量も重量もありました。なので、その移送経路も限られていたんです。『秘石』を目的の場所にまで運搬するためには、あの丈夫な石橋を通らなければなりませんでした。けれど、あの石橋が落ちてしまったことで、魔動車での運搬はできなくなってしまいました。これが、布石の一つ目です」
一区切りついたところで、周囲を見渡した。
宵闇の中、いくつもの視線がワタシを見つめていた。
「そして、次に放火です。この事件が起こったことで、『秘石』の運搬計画自体に遅れが生じてしまいました。本来なら、もっと早くに『秘石』の運搬は行われるはずでしたが、放火のごたごたで延期されてしまったのです」
その延期の影響は、大きかった。
「それにより『秘石』の移送任務に当たるはずだった騎士団長が、別の任務と重なってしまい、移送任務には携われなくなってしまいました。つまり、騎士団長が不在の期間に『秘石』の移送を行わせることが、あの放火事件が引き起こされた理由だったんです。騎士団長が『秘石』の移送任務に当たっていれば、あなたたちには『秘石』を奪うことなんてできませんでしたからね。これが、布石の二つ目です」
そう、騎士団長であるナナさんが不在となる状況を作るために、この男たちは放火を行った。
「そして、ここで語ったように、二つの事件は人為的に引き起こされたものです。だからこそ、雪花さんの漫画は現実化なんてされていないことになるんですよ」
「でも、花子ちゃん…実際に、二つの事件は起こったんだよ?」
それが、私の漫画のせいじゃないの?
雪花さんは、視線でそう語っていた。
「雪花さんの漫画では、大きく分けて三つの事件が起こります。橋の崩落、火事、そして、最後に主人公の死です」
崩落は起こった。火事も起こった。
だから、次はダレカが命を落とすのでは、と雪花さんは危惧していた。
「けど、それは改稿前の原稿でのお話でした。改稿された後の漫画では、人死には起きていません」
雪花さんがあの『願い箱』に入れた原稿は、その改稿前のものだった。
「そして、この仮面の人たちが引き起こしていた事件は、改稿された後の、雪花さんの漫画と同じ展開なんですよ」
「改稿…された後と同じ?」
「改稿された後の漫画では、最後に呪いの解除という奇跡が起こり、死ぬはずだった主人公は死ななくなりました…そして、その呪いの解除は、既に現実でも行われています」
大きく息を吸った。
ここからがラストスパートだ。
「この祠の力で、呪われた『秘石』の呪いが解かれていたんですから」
ワタシは、あの祠を指差した。
「つまり、あの『願い箱』に入れた漫画と、実際に起こっていた事件は全くの別物だったということです。雪花さんの漫画の通りに事件が起こっていたわけではなかったんですよ。あくまでも、一連の事件は仮面の強盗団が『秘石』を奪うために行っていただけのことなんです。たまたまあの人たちの計画とバッティングしてしまっただけで、無関係だったんですよ、雪花さんの漫画は。だから、人死にも起きてはいませんし、雪花さんが漫画を描こうが描くまいが、事件は起こっていたんです」
ワタシは、一気にまくし立てた。これまでの鬱憤を、そこで一気に吐き出すように。
「何か、申し開きはありますか?」
ワタシは、全員の視線を誘導するように仮面の男に視線を向けた。仮面の男は、そんなワタシに言った。
「…それで勝ったつもりか?」
「まだそんな減らず口が叩けるんですね」
いや、負け惜しみだろうか。
「当たり前だ。俺は、盗賊団『躯の葬列』の頭…クルド・ハルガだぞ」
「そんな名前だったんですか。意外と普通ですね」
普通と言ってやることが、この男の逆鱗に触れる気がした。案の定、仮面の男…クルド・ハルガは表情を歪める。そして苦々しげに、呟く。
「これから先、もっともっとどでかいことをしでかすんだよ…俺は、こんなところで終わったりしねえんだよ」
「なら、その妄想を抱いて溺死してください」
二度と、浮上なんてできないように。
「できないと思っているな?逃げ切れないと思っているな?」
仮面の男…クルド・ハルガはそこで、小さく笑った。
…笑った?
この状況下で?
「奥の手がないと、思っているな?」
「はったりですか?芸がないですよ」
そうとしか思えなかったが、クルド・ハルガはまた笑った。笑ってから、言った。
「俺の魂なら、とっくの昔に悪魔に売った…さあ、力を貸せ、悪魔ぁ」
「…え?」
このオトコは、ナニをイッテいる?
そこで、夜に異変が起きた。これまでは凪いだ海のような静けさだったのに、不意に風が起こる。
いや、クルド・ハルガから、風が起こっている?
そう錯覚するほど、仮面の男は異様な気配を放っていた。
「俺は…俺は、大盗賊だぁ!」
クルド・ハルガの気配は、さらに膨れ上がる。瞳が異様に血走り、肩の筋肉などが隆起した。それまで素顔を隠していた仮面を、地面に投げ捨てた。
仮面を捨てた仮面の男は、変容していた。人の姿とは、思えないシルエットだった。
…本当に、悪魔に魂を売った?
そんなことが、あるのか?
今、この場にナナさんはいない。王都最強の戦力は、まだ不在のままだ。
こめかみと背筋に、同時に冷汗が滴った。
けれど。
「ぐぅ…あ?が?がぁぁぁぁああ!?」
突如として、仮面の男は…クルド・ハルガは苦しみ始めた。右腕を抑え、声にならない声で悶絶していた。
そして、倒れた。膝から崩れ落ちて。
「何が…起こったんでしょうか?」
あまりの急展開に、私もついていけなかった。いや、ワタシだけではなく、この場にいたほとんどの人たちが言葉を失っていた。そんな中、あの人が…セシリアさんが、口を開いた。
「呪いですね」
「呪…い?」
さっきまでその言葉を口にしていたのに、ワタシはぎくしゃくとした口調でしか言えなかった。そんなワタシに、セシリアさんが丁寧に話してくれた。
「私はやめなさいと言いました。夜の祠さまを開いてはいけない、と。ましてや、その中に手を入れるなど…ですが、この人は夜の祠さまの中に手を入れたのです。祠さまの祟りですよ」
そういえば、この仮面の男は、祠の中に手を入れていた。隠しておいた『秘石』を取り出すために。実際には魔石とすり替えておいたけれど、そのでも、この男は祠の中に手を入れたんだ。そして、祟られた。
「…………」
ワタシは、うつ伏せに倒れた仮面の男…クルド・ハルガを眺めていた。その右腕は、この夜の中でもはっきりと分かるほど、どす黒く変色していた。一目で、尋常ではない事態だと分かる。
…いや、待てよ?
この人、このまま死んだりしないよね?
人死にだけは、絶対に駄目だ。
雪花さんの漫画の通りに、なってしまう。
「大丈夫だ…死んじゃいないよ」
焦り、硬直していたワタシにそう言ったのは、慎吾だ。慎吾は仮面の男の脇に屈み込み、脈を図っていた。
「…よかった」
ようやく、一息つけた。
「お疲れ、よくがんばったな」
そんなワタシの頭を、慎吾がポンと撫でた。
「うん、頑張ったよ…慎吾が、これからは畑ににんにくしか植えないって言ってくれたから」
「…そんな約束してないんだが?」
こうして、今回の件は幕を下ろした。
結局のところ、触らぬ神に祟りなし、ということだったのだろうか。
異世界の不条理さ、ある意味での理不尽さを垣間見た出来事だった。
そして、どれだけ純粋な想いであろうと、それが届かないこともあるという現実も、同時に思い知らされた。
アンさん…サザンカさんがどれだけ歯を食いしばっても、その夢に手が届かなかったように。
きっと、世界の仕組みというのは、ワタシたちが想像しているよりも、残酷なんだ。
けど、きっと、世界はそれだけでもない。
今を生きるワタシたちには、それだけではないはずなんだ。
そのことを証明してくれたのも、サザンカさんであり、うちの雪花お姉ちゃんだった。




