22 『それがありえるかも、ですねぇ』
「母親…この女が、あの女の?」
仮面の男はアンさんとセシリアさんを交互に眺め、困惑を声に出していた。
小刻みに手足を揺らし、落ち着きのない挙動で狼狽を隠し切れていなかった。
そして、野太い声で叫んだ。恥も外聞も、この男にはもはやない。
「ありえねえだろ!」
「それがありえるかも、ですねぇ」
リリスちゃんは、またも仮面の男の神経を逆撫でするように笑った。この子に任せているとまた話が脱線するので、ワタシが引き継いだ。
「その子の言う通りですよ。それありえるから、開かないはずの祠が開いていたんです。そして、あなたたちよりも先に『秘石』を確保することができました」
もちろん、『秘石』は既に別の場所に移送してある。
「そんな馬鹿な話が、あってたまるか…俺たちは何度もあのセシリアとかいう女の身辺を調べていた。あの女が独りだと、調べはついていたんだ!」
「それなら、アンさんという人がセシリアさんの傍にいたことも、調べがついていたはずです」
「当たり前だ。だが、あのアンとかいう女は、ただの召し使いだったはずだ…娘なんかじゃあ、なかったはずだ」
仮面の男は、上擦る声で呟く。
わなわなと口元を震わせながら。
忙しなく、眼球をセシリアさんとアンさんの間で行ったり来たりさせながら。
「それはあなたの目が節穴だったからですよ。だから、あなたにはあの二人の本当の姿が見えていなかった」
…この先をワタシの口から語るのは、野暮でしかないのだが。
「なら、答えろ小娘…なぜ、あの女どもはそんなふざけたマネをしていたのか」
「それ…は」
言い淀むワタシの横で、アンさんが言葉を発した。
「…私が親不孝者だったからだよ」
アンさんは、まっすぐに仮面の悪党を見据えていた。『秘石』の強盗たちを相手にしても、これっぽっちも物怖じはしていなかった。それでも、アンさんが握った拳は震えていた。仮面の男は恐れないが、次の言葉を口にすることを、アンさんは躊躇っていた。
それでも、彼女は堰を切った。
「私はあの人の…セシリア・トットの一人娘だ。私たちの家系は、そこの祠を開くお役目を背負っていた。ずっとずっと昔から、それは変わらない決まり事だった。確かに、そのお役目は必要なのかもしれない。祠を開くことで、呪いやら毒やらを祠は浄化してくれていたのかもしれない。ダレカが、それをやらなければならなかったのかも、しれない」
アンさんは、滔々と語る。
その透き通る声は、誰よりもこの夜との親和性が高かった。
「けど、私にはそれこそが呪いのようにしか、感じられなかった。私やお母さんたちをこの場所に縛り付けるための楔にしか、感じられなかった」
アンさんの透き通る声に、ブレが生じ始めた。
「何度も何度も思った。なぜ、私たちだけがそんな重荷を背負わなければならないのか、と。誰のためにそんな重荷を背負わされているのか、と。いや、そんなことも、言い訳だったのかもしれない…若い頃の私は、役者という存在に憧れてしまっていたんだ」
滔々と語っていたアンさんの声に、濁りが混ざる。
「眩しい脚光と喝采を浴びて生きる彼ら、彼女らの世界で、私も生きていきたいと願ってしまった…そのためには、祠のお役目を、捨てなければならなかった」
アンさんの声に濁りは混じり始めても、この静かな夜との親和性は失われない。
むしろ、夜の方がアンさんに歩み寄っているようにも、感じられた。
「そして、役者を目指した私は生まれ育った家とお母さんを見捨てて、この王都を出たんだ」
そこで、アンさんは、口を閉じた。
この夜もここで閉じてしまうかもしれないと思うほど、世界から一切の音が消えた。
その静謐に石を投げる、無粋な声が上がった。
「…役者になりたかった、か」
口を開き、仮面の男は下卑た笑みを浮かべていた。
その嘲笑に不快感を抱いたワタシは、口を挟む。
「何がおかしいんですか」
「おかしいに決まってるだろ…お前、本気で自分が役者になんかなれると思っていたのか?」
仮面の男は、アンさんを指差した。
不躾な瞳を、隠そうともせずに。
「あんなモノは、一部の人間しかなれないぞ…いや、ほんのごく一部か。才能のある人間たちの坩堝の中で、さらにはそこから一握り人間しか、役者になんてなれやしない。いや、選ばれやしない。最初から選ばれる側の人間じゃなければ、どれだけ足掻いたところで、誰からも選ばれやしないんだよ」
その証拠に、お前は役者には、なれなかったんだろう?
仮面の男は、知った風な口を利く。
さらに、知った顔で言葉を発する。
「だから、のこのこと、この王都に戻って来たんだろう?身の程を思い知らされて、尻尾を巻いて、おめおめと逃げ帰って来たんだろう?」
その声は、アンさんの古傷を抉る。
いや、アンさんにとっては、生傷か。その傷は、おそらく癒えない。何の痛みもないからこそ、今も、これからも癒えない。
…そして、雪花さんにも、その流れ弾が届いている。
誰にも選ばれないことの痛みを、雪花さんも嫌というほど知っている。
「その通り…だよ」
アンさんの声には、色がなかった。
怒気も元気もなく、覇気も躍起も、何もない。
ただただ、空疎な声。
「どれだけ努力を積み上げても、どれだけ犠牲を払っても、私では舞台の上には立てなかった。演技以前の問題だった。私の凡庸な容姿では舞台映えはしないと、親切心で言われたよ。元々のスタートラインからして、私はずっと後ろにいたんだ。そこは、ほとんど観客席と変わらない位置だった。そこからでは、舞台に上がる本物の役者たちの背中しか、見えなかったよ」
空疎でも、アンさんは語る。
何もないけど、空っぽでは、なかった。
少なくとも、ワタシは引き込まれていた。一人の観客として。
「それでも、自分を研磨することだけは怠らなかった。それどころか、人の倍以上の研鑽は積んだよ。学べるものは、軒並み学んだ…それでも、誰にも追い付けないんだ。後から来た子たちは、鼻歌交じりで私を追い越していった。その後ろ姿に追い縋ることすら、できなかったよ」
アンさんは、続ける。
吐露をする。自分が、誰にも選ばれなかった日々を。
「そして、私を追い抜いていった子たちは、誰も、私を振り返らなかった。意図して私のことを無視したわけでもない。私のことを馬鹿にしていたわけでも、蔑ろにしたわけでもない。ただ、私という存在が、あの子たちの視界に入らなかっただけだ。私は、舞台という世界に存在する影にすら、なれなかった」
私は、勝者どころか、敗者にすら選ばれなかった。
アンさんは、そう付け加えた。
そして、続ける。それはきっと、自傷だったのに。
「自分の命を絶とうと思ったことすら、何度もあった…打ちひしがれることしか、なかったからね」
笑いながら、彼女は笑っていなかった。
「もはや、誰を恨めばいいのか、分からなかった。憎しみの矛先すら、見失っていたよ」
誰も、口を挟めなかった。
そんなアンさんに、この夜だけが、そっと寄り添う。
「ただ、どうせ死ぬのなら、生まれた場所で死のうかと思ったよ。腹癒せ…いや、八つ当たりで、この祠の前で命を絶とうかと思っていた。ここで死ねば、私の呪いも祠が吸ってくれるだろうからね」
そこで、アンさんの声が、ほんの少しだけ変わった。
何がどう変わったのかは、ワタシなどには分からなかったけれど。
「そんな矢先に、あの人と…お母さんと、この場所で再会したんだ」
神さまの思し召しってヤツだったのかな。
アンさんは、寂しそうで悲しそうで、そうではなさそうな声で綴る。
カーテンコールのない、物語を。




