21 『遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!』
「この石が、『秘石』じゃない…だと?」
仮面の男は足元で割れている石に視線を落とし、苦々しい口調で呟く。
そんな仮面の男に、ワタシは言った。
「そうですよ。だから、その石を割っても爆発なんて起きなかったんです」
聞いた話では、『秘石』というのは、無理に壊してしまえば大災害を引き起こすのだそうだ。
けど、爆発オチなんてサイテーですからね。当然、回避させてもらうよね。
「じゃあ、この石はなんだっていうんだ!」
「魔石ですよ」
ワタシの簡素な言葉は、夜に溶けた。
この夜に馴染む声音で語っているからだ。
「魔石…だぁ?」
仮面の男は、上擦った声を発していた。
その声は無作法で、静謐を善とするこの夜とは釣り合わない。
…ただ、無作法な声を発したのはこの男だけではなかったけれど。
「そうだぞ!しかも、その魔石は花子先生がドジをしてすでに割っていたものなんだぞ。何の効果もないんだぞ。どうだ、驚いたか!まいったかぁ!」
「…リリスちゃんはちょっと黙っててね」
横合いから出てきたリリスちゃんを、ワタシは窘めた。
確かに、これ、既に割れてる魔石なんだけど、冒険者ギルドでワタシが割ったそこそこ貴重な魔石だったけど、それを接着剤でくっつけてたんだけど。そこは言わなくていいよね?
しかし、仮面の男の表情は強張る。野犬のように牙を剝く。
「そんなはずは、ない…昨日、俺たちは、確かにこの場所に『秘石』を隠したぞ!」
仮面の男は、そこで祠を指差した。
そして、なおも叫ぶ。野卑な声で。
「しかも、この祠はあの女にしか開けられないはずだ!」
「…………」
仮面の男は、次にセシリアさんを指差していたが、ワタシは、何も言わなかった。
「…昨日、俺たちは移送中の『秘石』を奪い、この祠に隠した」
「呪われた『秘石』の呪いを解除するために、ですか」
この祠には、毒素や呪詛を浄化してくれる神秘がある。
いつまでも呪われた『秘石』なんてものを身近に置いておけば、自分が呪われることになる。
「そうだ…さすがの俺たちでも、呪われるのは勘弁願いたいからな」
仮面の男とワタシの問答を、セシリアさんは腑に落ちない表情で眺めていた。
無理もない。
昨日、セシリアさんはこの祠を開いていない。
それなのに、この男は口にした。
祠に『秘石』を隠した、と。
それは、昨日、この祠が開いていたことを示唆している。
セシリアさんからすれば、それは齟齬以外の何物でもない。
…けど、そこでセシリアさんの視線の帆先が変わった。
これまではワタシと仮面の男を交互に眺めていたが、そこで、セシリアさんはワタシの傍らにいたあの人に…アンさんに視点を合わせた。
そんな機微には気付かない仮面の男は、自慢気に語り続ける。
「本来の計画では、昨日ここで呪いを浄化した『秘石』を、今日、王都の外に持ち出す手筈になっていたんだよ…呪いが解除された『秘石』なら、結界にも引っかからないはずだった。それなのに、今日に限ってこの祠は開いていなかった」
仮面の男は、そこで声を荒げた。
筋違いの怒りをぶつけるために。
「この女が、今日に限って祠を開かなかったからだ」
「今日に限った話じゃないんですけどね」
「…なんだと?」
仮面の男は、仮面の下の瞳で口を挟んだワタシを睨みつける。
そんな視線は無視し、次の言葉を口にした。
「今日はずっと、セシリアさんを見張っていたんですね」
「ああ、そうだ。なのに、この女は動かなかった…この女がさっさと祠を開けていれば、『秘石』もさっさと持ち出せていた。こんな手荒なマネもしなくて済んだんだよ!」
仮面の男は喚き散らす。
静かな無音が支配する夜の中、その声は不協和音でしかなかった。
「あなたたちが失敗したのは、あなたたちが杜撰だった所為ですよ」
成功するはずないでしょ。
そこまで人任せの計画なんて。
「うるせえ、俺の計画は完璧だったんだよ…大体、てめえはナニモンだぁ!小便臭い小娘がいきなりしゃしゃり出てきやがってよぉ!」
「ふん、知らないなら教えてあげましょう!」
そこでまた、リリスちゃんが出てきた。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!」
リリスちゃんが時代錯誤の向上を述べ始める。ワタシとしては、あんまり目立つことして欲しくないんだけど。
「こちらにおわすのは、天下の名探偵…田島花子さんであらせられますよ!」
「リリスちゃん…ほら、にんにくキャンディあげるからちょっと向こうで黙っててくれるかな」
「…それ臭いからいらないです」
「ウソ…でしょ?」
このアメがいらない子とかいるの?
「ごちゃごちゃうるせえんだよ…いつだ?」
「いつ、とは?」
仮面の男の言葉に反応したのは、リリスちゃんだった。その表情はクソガキそのものの笑みを浮かべていたけれど。
「いつ、あの『秘石』を魔石なんかと入れ替えたのかってことだよ!」
「ああ、それぐらいのことは理解できますかぁ。もっとお頭の足りてない人かと思ってましたねぇ」
リリスちゃんは、血走った視線を向ける仮面の男が相手だろうとほくそ笑んでいた。
…この子、メスガキムーブが板についてるな。
「それは…こちらの花子先生が語ってくれますねぇ」
煽るだけ煽っておいて、リリスちゃんはワタシにバトンを渡した。もう少し静かにしてくれないかな、この子…慎吾なんて、ずっとそこにいるのにずっと静かだよ?
「あの『秘石』と魔石を入れ替えたのは、今日ですよ」
「…今日だと?」
仮面の男はすごむが、これだけの騎士たちが取り囲んでいる状況では何の効果もない。
「さらに言うなら、あなたたちがセシリアさんを攫った後ですよ」
「…俺たちが?」
仮面の男は驚きの表情を浮かべていたが、それは一瞬だけだった。すぐにまた、顔を真っ赤にして怒鳴り散らし始める。
「適当なホラを吹くんじゃねえよ…この女を攫った後、こいつは祠には近づいていない!それで、どうやってお前たちが『秘石』を取り換えたっていうんだよ!」
「セシリアさん以外の人が開けたんですよ」
それ以外に答えはない。
しかし、激昂したこの男は聞く耳を持たない。
「ありえねえだろ…俺たちも何度か試したが、祠は開かなかった!あの女以外に祠を開けられる人間はいないはずだ!」
「確かに、ワタシたちには開けられませんよ…けど、祠を開けることができるのはセシリアさんだけではありません。セシリアさんの家系の人間なら、開くことはできます」
さらに言うのなら、セシリアさんの家系の女性だけに限定されるが、そこには触れなかった。
「だから、その家族がいねえんじゃねえか!そいつが独りなことぐらい、とっくに調べがついてるんだよ!」
仮面の男は、不躾な仕草でセシリアさんを指差した。
そして、野太い声でさらに叫ぶ。
「そいつは、自分の娘を追い出したんだよ、この王都からなぁ!」
「あなたたちにセシリアさんを悪く言う資格は…」
そう言いかけたワタシを遮ったのは、アンさんだった。
ワタシの前に出て、仮面の男を真っ直ぐに見据える。そして、口を開く。
「…黙りなさい」
「なんだと?」
「あなたたちに、あの人を悪しざまに責める資格などありません」
静かな夜の中、その声は静かだった。
けれど、その声は静かな怒気を感じさせていた。
「あの人は、ずっとずっと、自分を殺してきた。王都のために、自分を殺してきたんだよ…そうやって、この街のために尽くしてきた。この街の毒を取り除いてきた。そんなあの人のことを罵る資格が、あなたたちにあるはずがない」
アンさんは、一気にまくし立てた。
けれど、その声は透き通っていて、早口でも聞き取りやすい。
…さすがは、役者を志していただけはある。
「なにより…あなたたちのような下種が、私のお母さんに気安く触れるなあっ!」
アンさんは叫んだ。
静かな夜の中、その叫びは虚空へと吸い込まれていく。




