17 『ヤバいですねえ!』
「え、昨日ですよ…今日じゃないですよ?」
ワタシは、セシリアさんに問いかけた。
「今日もまだ開けてはいませんが、昨日も開けていないのです」
セシリアさんは、きっぱりとそう言った。
嘘を口しているとは、思えない口調だった。
そもそも、この人がそんな噓をつく理由がない。
メリットもデメリットも。そこにはないのだから。
「…………」
つまり、セシリアさんは本当に開いていない、ということだ。
あの、祠を。
けれど、それでは辻褄が合わなくなる。合わなくなってしまう。
昨日から、奪われた後から、『秘石』の呪いの反応が感知できなくなった。
それは、『秘石』がその祠の中に隠されたからだと、思っていた。
セシリアさんが祠の扉を開けていたから、犯人たちがそこに『秘石』を隠したのだと、ワタシは考えた。
祠の中ならば、祠が呪いを浄化してくれているから、呪いの反応も消えているのだ、と。
あの神社はそれほど人が訪れる場所ではないし、わざわざ祠の中を覗き込みでもしない限り、中にナニカが隠されていたとしても分からないはずだ。
つまり、呪いの『秘石』の隠し場所としては、うってつけだった。
…そのはず、だった。
あの祠は、セシリアさんしか開くことができない。
そのセシリアさんが、昨日は祠を開いていないと言い切った。
なら、昨日からずっと、祠は閉じていたことになる。
…犯人たちは、あの祠に『秘石』を隠すことが、できなかったことになる。
「それなら…『秘石』はどこに消えた?」
呪いの反応が消えたのは、なぜだ?
結界を越えて、どこか遠くへ持ち出されたのか?
そんなことをすれば、犯人たちが呪われるぞ?
呪いが、垂れ流しのままなんだぞ?
「あの…大丈夫ですか、花子さん」
様子のおかしくなったワタシに、セシリアさんが心配そうに声をかけてくれた。
いきなり押しかけて来たワタシなのに。
いきなり、わけの分からない質問を投げかけたワタシなのに。
そんなワタシを、この人は気遣ってくれた。
「はい、大丈夫です…すいません」
「そうですか、それはよかったです…けれど、何かあったのですか?」
セシリアさんがこの質問をするのは当然だ。それだけみっともない狼狽を、ワタシはしていた。物静かな瞳で、セシリアさんはワタシを眺めていた。
だから、ワタシは話してしまった。
とある盗品があの祠に隠されているかもしれない、と。
けど、それを即座に否定した。
「いえ、でもその可能性は消えました…セシリアさんが祠を開いていなかったのなら、あの場所に盗品を隠すことはできません」
「そう…ですね」
セシリアさんは、微笑んだ。少しだけ、皺が刻まれた頬で。
微笑んだ、はずだった。そう見えたはずだったのに、その表情が笑顔だとは、感じられなかった。
だから、ワタシはセシリアさんに向けて言った。
「セシリアさんは、お優しい方ですよね」
「…そうでも、ないのですよ」
セシリアさんは、そこで顔を伏せた。ほんの少しだけ、悲しそうに。
貴婦人の前髪が、はらりと額にかかる。
「私は、ひどい母親なんです」
その声は、か弱くてか細かった。
これだけ穏やかな人が、ひどい人間であるはずがない。
だから、ワタシは言った。
「そんなこと…ありませんよ」
「そうなんですよ、花子さん…私は、娘の背中を押してあげることが、できませんでした」
「娘さん…ですか?」
いや、娘さんがいたとしても何ら不思議はな…そういえば、セシリアさんのヘルパーさんであるアンさんが語っていた。
セシリアさんには、娘がいた、と。
…けど、こうも言っていた。
その娘は、全てを捨てて王都から逃げた、と。
「…私の娘には、歌劇の役者になりたいという夢がありました」
セシリアさんは語る。
懺悔でもするような、軋む声音で。
「けれど、この王都では歌劇役者にはなれません。王都には歌劇の文化がありませんから舞台がないのです。いいえ、私が娘のその夢を、否定したのです…私の都合のために」
セシリアさんの声は、さらに軋む。
どこかでねじ切れてしまうかと、思われた。
「私たちは、あの社を守ってきました。そういう家系だったのです。ずっとずっと長い間、あの社を守るために、あの祠を開いてきたのです…毎日毎日、私はあの祠を開いてきました。それだけが、私の人生でした。そして、私は、娘にもそのお役目を無理強いしたのです」
セシリアさんは、両手を組む。
その手に、力を込めていた。
ナニカを、許せないように。
「娘は言いました。「私は歌劇役者になりたい」と。私はそれを否定しました。「貴女ではなれない」と。毎日毎日、娘の夢を、想いを、踏み躙り続けました」
苦しみを交えた声で、セシリアさんは続ける。
懺悔そのものだった。
「そして、娘は、王都を出て行ってしまいました。私は、娘の背中を押してあげることが、できなかったのです…普通の母親なら、きっと葛藤したはずなのです。娘の夢を肯定するにしても、否定するにしても」
一人の女性が、今、自身の人生を悔いていた。
…ワタシに、何かができたのだろうか。
「けれど、私はお役目を建前に、娘の夢をただただ事務的に否定したのです。それは、娘と本気で向き合うことを否定したことと、同じです…娘を、一人の人として扱っては、いなかったのです」
セシリアさんは、刻む。
自身の言葉で、自身の心を切り刻む。
「あの子の父親も早くにこの世を去っていたので、私に残ったのは、あの祠を開くというお役目だけでした。それって、家族を犠牲にしてまで守らなけれならないモノだったのでしょうか…ただの言い訳ですね。自分の不徳が招いたことだというのに」
セシリアさんは、自嘲するように笑っていた。
ワタシには、その問い答えられる言葉がなかった。
「だからでしょうか。頑張っている月ヶ瀬先生を見ていると、応援したくなってしまうのです。壁があろうが何が邪魔をしようが、自分の信じている道を進もうとする月ヶ瀬先生が…いえ、結局、私は月ヶ瀬先生と娘を重ねていただけなのでしょうね。応援してあげることのできなかった娘の代わりに、罪滅ぼしの代わりに、私は月ヶ瀬先生を応援していただけだったのです」
深く、深く息を、セシリアさんは吸い込んだ。
「ですが、そんな月ヶ瀬先生も本を書くのをやめてしまうかもしれないと…聞きました」
セシリアさんは、深く吸い込んだ息をすべて吐き出した。
雪花さんが漫画をやめるかもしれない…この人にそう告げたのは、ワタシだ。
…言わない方が、よかったのだろうか。
ワタシは、どうすれば、よかったのだろうか。
「だからでしょうか、少し疲れました。なので、昨日はお役目を休んでしまいました…お役目に就いてから初めてのことだったんですよ」
セシリアさんは、そこで薄く微笑んだ。
少しも、嬉しそうではなかった。
なので、ワタシは口を開いた。
それらは、何の気休めにもならない安い言の葉だったけれど。
「でも、たまには休むことも大事なんじゃないですか…ほら、足を怪我したと言っていましたし、セシリアさんは目も悪くなってるんですよね?右目は昔、怪我をしたとかで殆んど見えないって聞きましたけど」
早口で語るワタシに、セシリアさんはキョトンとした表情を浮かべていた。
…また何か、余計なことを言ってしまったのだろうか。
そう思ったけれど、少し違ったようだった。
「私の右目の怪我を知っている人は、もういないはずですけれど…誰にも話していませんから」
「え…?」
「昔…娘が小さい頃に負った傷ですので」
「…そうなんですか?」
私にそのことを教えてくれたのは、アンさんだ。
そこで、しばし沈黙の時間が流れた。
その沈黙を破ったのは、セシリアさんだった。
「ああ、そうですね、すいませんでした…お客さまがいらしていたのに、私は何のお構いもしませんで」
「あ、いえ…お構いなく」
本当にお構いなく、だ。
ワタシはここに、何をしに来たのだろうか。
ただ、この人を傷つけるためだけに来てしまったのではないだろうか。
ただただ調子に乗って。
浅い考えをひけらかすためだけに。
そんなワタシにも、セシリアさんはやさしく声をかけてくれた。
「まあまあ、そうおっしゃらずに、とりあえずお茶を淹れますので」
「あ、その…すみません。でも、お邪魔でしょうから」
「いえ、邪魔なんてそんなことはありませんよ。私、けっこう暇なんです。おばあちゃんの話し相手だと思って諦めてください」
「でも…」
「ほら、まだ朝の十時ではないですか。少しぐらいのんびりいたしましょう。私、今日もお役目をさぼっちゃいますから」
「え…あ、本当ですね」
ワタシは背後を振り返った。その先には壁掛け時計があり、時計の針が十時をさしていた。
いや、その前にセシリアさんに言わなければ。
「でも、セシリアさんはおばあちゃんなんて年じゃないですよ」
「嬉しいことを言ってくれるのですね、花子さんは。もしかして、おばあちゃんっ子ですか?」
「確かにそうなんですけれど…やっぱり、セシリアさんはまだおばあちゃんではないですよ」
「まあ、街でたまにナンパされたりすることはありますけれど」
「…………!?」
…ウッソでしょ!?
という言葉はぎりっぎりで呑み込んだ。
「二日前にもされました、ナンパ」
「…………」
「あやうく、お持ち帰りをされそうになってしまいました」
「ヤバいですねえ!」
それしか言葉が出なかった。
いや、確かに、セシリアさんはそこまで高齢というほどではないですけれど…。
…マジですか?
ただ、この強引さはうちのおばあちゃんにも通じるところがあった。
そういえば、おばあちゃんが言っていた。「年寄りのおねだりを無下にするな」と。
…いや、これおばあちゃんに都合がいいだけの台詞だったわ。
まあ、いいけど。おばあちゃん大好きだから。
そんなワタシに、セシリアさんが言った。
「ああ、そうですね。月ヶ瀬先生の新刊でも読んで待っていてください」
「それは本当にけっこうですので!」
散々、手伝いの時に見せられているのだ。
なので、これ以上は見たくないのだ。
いや、手伝いの時はそれっぽいページはワタシも見ないようにしてたけど…。
あの本、普通に18禁だからね!
未成年のお茶請けに出していいモノじゃないからね!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今年も、うちにはサンタさんが来てくれませんでした…。
それどころか、クリスマスすらない勢いです…。
なので、やさしいサンタさんにお願いがあります!
プレゼント(評価、ブックマーク)をください!
それでは、次回もがんばりますのでよろしくお願いします。




