5 『そのオッパイで女学生は無理があるでしょ…』
『結局は、配られたトランプで勝負をするしかないんだよ」
世界で最も有名な犬がこんなことを言っていた…気がする。かなりうろ覚えだが。
要するに、人生というのは与えられた手札でやりくりをしながらなんやかんやで乗り切るしかない、ということだ。どれだけ高望みをしようが、この絶対の前提は崩れない。どれだけ渇望しようが、ワタシの胸が育たなかったように。
…悲しいけど、これ、現実なのよね。
しかも、この異世界ソプラノに転生してからのワタシの手札には、トランプだと言っているのに花札とかカルタなどの飛び道具しか配られて来ない。
「ディーラーは誰なんだよ…」
…あ、そのディーラーは女神さまだったわ。
『あの、花子…さん?』
一人でぶつぶつと呟くワタシに、女神アルテナさまが心配そうに問いかけてくる。基本的にいい人(?)なんだよなぁ、この人。
「大丈夫です。落ち込んだりもするけれど、ワタシは元気ですよ」
『死んだ魚のような目で言われても不安しかないのですが…』
確かに、今のワタシなら素で芥川龍之介の幽霊のモノマネだってできそうだ。
「まあ、疲れてますよ…雪花さんが来てからは、さらに」
ワタシは、雪花さんとのファーストコンタクトを思い出していた。
「あの人がこの世界に転生してきた時の第一声が…『問おう、アナタが私のマスターでござるか』でしたからね」
地雷の臭いしか、しなかった。
しかも、地雷のくせに無鉄砲に自走するのだから性質が悪い。
「で、雪花さんは…この世界に来て、すぐに漫画を描き始めたんですよね」
冒険者という職種には、まったく食指を動かさなかった。ワタシの話にも耳を貸さなかった。
『漫画はいいですねえ。リリンが生み出した文化の極みですよ』
「女神さまも漫画とか読むんですか…?」
すでに答えは提示されているが。
『『鳥獣戯画』の頃から漫画のファンです』
「…確かに漫画のご先祖さまとも言われてますけど」
『勿論、手塚治虫先生や石森章太郎先生の作品も大好きですよ』
「ペンネームがアップデートされてませんね…」
そこで、ふと気になった。
「ていうか、女神さまの年っていくつなんで…」
ワタシは、そこで口を閉ざした。
アルテナさまの周囲が、熱なのか何なのかよく分からないエネルギーで歪んでいた。
「…けど、雪花さんが描いた漫画は、ちょっと特殊だったんですよ」
そこで、ワタシは会話の帆先を雪花さんに戻した。周囲から『おいおいおい』とか、『死ぬわアイツ』とか言われたくないからだ。
『特殊な漫画というと…パラパラ漫画とかですか?それなら、ワタクシも授業中に隠れて描いた経験がありますよ』
「…アルテナさまが通学していたという事実の方が驚愕なんですが」
『あの頃は、ワタクシもセーラー服の似合う女学生でした』
「そのオッパイで女学生は無理があるでしょ…というか、年齢の話がタブーならワタシの好奇心を刺激するような話題を振らないでくださいよ」
気になるに決まってるだろ、セーラー服を着た女神さまとか。好奇心は猫ちゃんだって殺すんだぞ。
「雪花さんの描いた漫画がパラパラ漫画とか、そんなかわいらしいモノだったらよかったんですけどね…」
ため息とともに、ワタシは言った。
方向転換も一苦労だ。
「雪花さんが描いていたのは、所謂、BLというジャンルの漫画なんですよ」
『その本をよこせワタクシは神になるんだ!』
「もう女神ですよね!?」
なんか今日の女神さますっごい絡みづらいのだが…。
『…すみません、取り乱してしまいました』
「いえ、もう忘れることにしましたから…」
これ以上、ワタシを困惑させるのは止めて欲しいのだが…。
「兎に角、雪花さんが漫画なんか描き始めた所為で、この王都は大混乱なんですよ。この世界にも絵画はありましたけど、肖像画とか風景画とかでしたからね。そこにいきなり漫画ですから…しかも、ゴリゴリのBLの」
絵画と漫画、どちらも同じく絵だと言われても、この両者は全くの別物だ。ワタシが元いたあの世界で、漫画が生まれてくるまでに何世紀かかったことか。
しかも、のっけからBLだ。
…加減してよバカ!
『もしかして、その漫画が公序良俗に反するということで雪花さんは逮捕されてしまったのでしょうか…』
「確かに、公序にも良俗にも中指を立てる内容でしたけど…あの本を読んだ慎吾なんかは、錯乱して『ご禁制!これはご禁制だ!」とか叫んでましたけど」
あのオッパイ星人には、コロニーが落ちたのと同じくらいの衝撃があったようだ。
まあ、読ませたのはワタシなのだが。
「けど、雪花さんの本はこの王都でウケたんですよ。あ、いえ、一部の婦女子に…腐女子に、ですけれど」
言い直す必要があったかどうかは知らない。知りたくもない。ちなみに、この異世界ソプラノは、ワタシがいたあの世界のように印刷の技術が発達しているわけではない。
というか、生活の文化レベルでいえば近代の一歩手前…くらいだろうか。ただ、それでもこの異世界はそれなりに快適だった。
このソプラノでは、『魔石』と呼ばれるマジックアイテムが普及していたからだ。
それは、文字通り魔力を帯びた石で、誰でも不可思議な現象を起こすことができた。
光の魔石なら夜でも明かりを灯すことができたし、雨水などをキレイに濾過のできる浄化の魔石もあった。さらには、魔石を応用し、洗濯機の代用ができる商品も販売されていたし、炊飯器なんかも普通に売られていた。お陰で、ワタシは毎日、美味しいごはんにありつけている。
なにしろ、お祖母ちゃんも言っていた。『お米は大事と存じますよ』って。
「けど、あの洗濯機とかは絶対に転生者のアイデアだよなぁ…」
他にも、妙に治水のレベルが高かったり、下水や汚水の処理施設なんかもあって、転生者が関与してそうな設備はちらほらと見受けられた。
そして、雪花さんが使ったのは複写の魔石と呼ばれる石だ。
それは文字や記号、絵などを記録して別の紙にそのまま転写することができるという魔石だった。雪花さんはその魔石で自身が描いた漫画(BL)を大量にコピーし、売りさばいた。
…よく考えたらこれ、文化を破壊するテロみたいなものなんじゃないだろうか。
「耐性のないこの世界に、いきなりあんな劇薬を解き放つとか…アンブ◯ラでさえもう少し段階を踏むぞ」
『あの、花子…さん』
一人でトリップしかけていたワタシに、女神さまが声をかけてきた。
「すいません、話を戻しますと…雪花さんの漫画はちょっとだけ人気が出ました」
いや、最初は本当に少しだけだと思っていたのだが、それは氷山の一角でしかなかった。水面下には、相当数の腐女子がいたのだ、この王都には。
…どこの世界にもいるんだなぁ、腐女子って。
いや、雪花さんが開拓したのか?
「ただ、人気不人気はあまりどうでもいいと言いますか…いえ、まったく関係はないこともないと言いますか」
なんだかもう面倒くさくなってきた。狂言回しをやるのはかまわないが、それならもっと格好の付く話を語らせて欲しいのだ。
特に、ここから先がさらに酷い…。
「…そのうち、雪花さんは禁忌に手を出すようになってしまったんですよ」
『禁忌って…禁じられた魔石にでも手を出したのでしょうか』
そんな、異世界の狂気を体現したような禁忌ではない。
「いえ、あの雪花はナマモノに手を出したんです」
『そういえば、花子さんは先ほどもそのようなことをおっしゃっていましたね』
どうやら、女神さまはBLのことは知っていても『ナマモノ』という単語は知らなかったようだ。
…ワタシだって好きで覚えたわけじゃないんだけどね!
「ええと、平たく言うと…実在の人物を扱ったBL漫画などのことをナマモノと呼ぶそうなんですよ」
『慎吾さんでもモデルにしたのですか?』
「いえ、あの人はこの異世界の禁忌に触れたといいますか…」
エドワード・エル○ックでも、人体錬成という禁忌にはもう少し慎重だったぞ。
「あのバカは、この王都の第一王子と第二王子を題材にBL本を描いたんですよ…」
恐れ多いというか命知らずというか…。
二度目の人生RTAかな?
『なるほど、雪花さんは不敬罪でお縄になった、というわけですか』
女神さまも納得した様子だったが、ここで想像を素通りするのがアノ人だ。
「お縄になったのはお縄になったんですけど…雪花さんは、この王都の官憲とかに捕まる前に町中の腐女子さんたちに捕まったんですよ」
『そうはならんやろ』
「なったんやろがい」
あの光景は、本気で意味不明だった。腐女子の大群が、鍬やら鋤やら箒やらを手に雪花さんを猟犬のように追い掛け回していたのだ。デビ○マン(漫画版)のトラウマシーンがフラッシュバックしたワタシなどは、軽くちびったほどだ。
『ですが、その婦女子さんたちは、どうして雪花さんを捕まえたのですか?自分たちの大切な王子さまをモデルにされて怒ったのですか?』
「普通はそう考えますよね…けど、腐女子が通れば道理が引っ込むんですよ」
それは、元の世界でもこの異世界でも変らなかった。
それはつまり、世界の真理だということだ。
「寧ろ、腐女子の人たちは喜ぶはずだったんですよね…雪花さんが描いた王子さまたちのBL漫画」
何しろ、カノジョたちは腐っている。
その常識やら良識やらも含めて。
「けど、カノジョたちは雪花さんを捕らえました…」
魔女狩りってあんな感じだったのかなー、という感じだった。捕らえた方も捕らえられた方も、どちらも腐った魔女だったが。
『いったい、何があってそのようなことになったのですか?』
当然、女神さまだって理解できない。
「…解釈違いだったんです」
『解釈…違い?』
鏡の向こうで、またも女神さまは首を傾げていた。
「簡単に言うと、雪花さんが描いた漫画は、第一王子が受け手で第二王子の方が攻め手だったんです」
…異世界に転生までして何を語っているのだろうか、ワタシは。
「けど、この王都中の大半の腐女子さんたちは、第一王子が攻め手で、第二王子が受け手という漫画を望んでいたんです…つまり、雪花さんと彼女たちの認識には齟齬があったんですよ」
それが、解釈違いというヤツだ。
…いや、詳しくは知らないし、知りたくもないが。
「で、腐女子たちさんに捕まった雪花さんには『リバを描け!』とか『これは解釈違いだろ!』とか『こんなかけ算はが認められるか!』『第一王子はそんなこと言わない』とか、わけのわからない雑言が投げかけられたんですよね。けど、雪花さんも、自分の解釈を譲る気はないから意味もなく啖呵を切ったりしたんですよね。『何が嫌いかよりも、何が好きかで自分を語れよ!』とか…その後、雪花さんは腐女子たちに断頭台にかけられました」
そして伝説へと…となるところだったが、さすがに、その段階になると憲兵さんたちも止めに入った。
…嫌だっただろうなあ、腐女子の間に入るの。
憲兵さんたちの声が聞こえてきたもん、『光魔法で浄化できるだけ腐った死体の相手をする方がマシだ』とか『なんで脳みそも腐ってないのに会話ができないんだ』とか言ってるのだが。
「その後、何とか助かった雪花さんでしたけど…この騒動の原因というわけで(おそらく、諸々のBL絡みの件も含めて)、投獄ということになりました」
『投獄で済んだのが奇跡みたいですねえ』
「この国の王子さまたちが異様に寛容だったんです。ある意味では謀反でしたよ、これ」
けど、当然これでハッピーエンドとは、いかない。
「そういうわけで…お金がなくなりました」
『お金って…何のお金ですか?』
不意に金銭の話を振られた女神さまは、二度三度と瞬きをしていた。
「ギルドのお金ですよ。底を尽きました」
『あの、どうしていきなりお金の話なんですか…?』
女神さまは急に話題が変わったと思っているようだが、残念、これはBL騒動と地続きだ。
「保釈金ですよ、雪花さんの」
『ああー…』
そう来ましたかぁ、という表情の女神さまだった。
「その保釈金はギルドが出してくれたんですけど、シャルカさんもブチ切れてましたよ…アルテナさまが転生者と一緒にトラブルの種を送ってくるって」
『え、ですがあの子、ワタクシのことは尊敬してるって言ってましたよ』
「多分ですけど…セフィ○スに対するク○ウドの信頼度より低いですよ、アルテナさまに対するシャルカさんの信頼度って」
『それまだ信頼度がある状態なんですか!?』
「『アルテナシスベシフォーウ!』って叫んでました、シャルカさん」
先ほどから名前の出ているシャルカさんというのは、天界からこの異世界ソプラノに派遣されている天使だ。そして、女神さま直属の部下でもあり、ワタシが所属する冒険者ギルドのマスターでもある。ただ、部下ではあるがアルテナさまのことは微塵も尊敬などしていない。けっこう苦労させられているそうだ、アルテナさまには。
「というわけで…ギルドの資金不足は深刻なんです」
シャルカさんなどは、天界から秘宝とかをかっぱらってきて売り飛ばそうかと本気で計画している。
『なるほど。ですが、心配は無用ですよぉ、花子さん』
「…本当にござるかぁ?」
いや、もはやネタとかではなく本気で。
『ええ、もうすぐ新しい転生者さんをそちらにお送りしますからねぇ』
「…………」
『きっと、その方がなんとかしてくれますよぉ』
「…………」
女神さまのアリガタイお言葉を聞きながら、ワタシは、なぜさおだけ屋は潰れないのか?というテーマに思いを馳せていた。