11 『大胆な告白は女の子の特権でござるな』
「ワタシの記憶が確かならば…月ヶ瀬雪花は、いつまでもめそめそ立ち止まってる人じゃないよ!」
我が家のラウンジには、ワタシと雪花さんの二人しかいなかった。
そこで、ワタシは先ほどの台詞を雪花さんに叩き付けた。
「…そうでござるか?」
雪花さんは、覇気のない声だった。明らかに、ワタシのことを面倒くさそうな瞳で見ていた。
…こんな目をした雪花さんは、初めてだった。
「今日ね、雪花さんのファンの人と会ったよ…その人、雪花さんが漫画をやめるかもって聞いたら、すごく残念そうにしてたよ」
「…そうで、ござるか」
雪花さんは、小さく反応しただけだった。ワタシの話に、まるで興味を示さなかった。
「ねえ、やっぱり雪花さんおかしいよ?今までだったら、ファンの人がいたって聞いたらそれだけでうざいくらい喜んでたじゃない!」
「…なら、うざくないからそれでいいでしょ」
捨て鉢な雪花さんの態度に、ワタシも頭に血が昇ってしまった。勢いよく立ち上がり、雪花さんに詰め寄る。
「ちょっと出版社の人に「本にできない」って言われたくらいで、いつまでも落ち込まないでよ!この異世界に漫画を持ち込んだのは雪花さんでしょ!?」
「そうだよ…ソプラノに漫画を持ち込んだのは私だよ」
雪花さんは、そこで唇を噛んだ。
そして、次の言葉を叫ぶ。その瞳には、涙が浮かんでいた。
「それなのに…私の漫画は選ばれなかった!けど、ついこの間まで漫画なんて知らなかった子たちは選ばれたんだよ!?私は、あの子たちにあっさり追い抜かれたんだよ!それがどれくらい悔しいことか、花子ちゃんには分からないでしょ!?」
「頑張ったっていっても少しの間だけでしょ!?また頑張ればいいじゃない!」
売り言葉に買い言葉だった。
先に口火を切ってしまったのはワタシだったけれど。
当然、雪花さんは反発する。
「少しなわけないでしょ!今まで積み上げてきたものが一瞬で崩れるんだよ!?本当は、少しくらい自信だってあったんだよ!?だから、それを努力もしてない人間に言われたくないんだよ!知らないでしょ?ずっとずっとずっと頑張ってきたことが、歯を食いしばりながら見ていた夢が、無価値だったって言われる痛みが!」
「ワタシにも分かるよ!」
「分からないでしょ!」
雪花さんが叫んだ瞬間、ワタシの世界が反転した。
雪花さんに投げられた…いや、実際には体制を崩された転ばされただけだった。
痛みはなかった。雪花さんがちゃんと気遣ってくれていたからだ。
それでも、十分な恐怖は感じた。
そして、それ以上に悲しかった。
雪花さんに拒絶をされた、からだ。
無理もないことだけれど。
「ワタシは…病気で死んで、この異世界に来たんだ」
だけど、引き下がれない。
仰向けのまま、ワタシは雪花さんを掴んだ。
正確には、雪花さんのスカートを、掴んだ。
そして、叫ぶ。
泣き叫ぶ。
構図としては、完全に駄々っ子だった。
「だから分かるもん!ワタシだって、ずっと頑張ってたもん…でも、ワタシの病気は治らなかった!何をどう頑張っても、痛いのも苦しいのもずっと続いてた!ずっとずっと、苦しいのが終わらなかった!ワタシだって夢を見てたんだ!元気になって、お母さんやお父さん、それに、おばあちゃんと一緒に旅行に行きたかったんだ!」
「…………」
雪花さんは、黙って聞いていた。
聞いて、くれていた。
「…だから、雪花さんが痛いのも苦しいのも、分かるもん」
ワタシは、雪花さんのスカートを掴む手に力を入れる。
自然と、涙がこぼれていた。
「だから、嫌なんだ…雪花さんが痛いのも苦しいのも、ワタシは嫌なんだぁ!」
ワタシは、雪花さんのスカートをさらに引っ張る。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で。
「だから、いつもの雪花さんに戻ってよ…いつもみたいに、バカなお話しようよお」
「…花子ちゃん」
「いつもの雪花さんじゃないと寂しいんだよ…ワタシ、すっごい寂しがり屋なんだからね!」
「…しょうがない子だね」
雪花さんは屈み込み、ワタシの頭を撫でてくれた。
その手は、ワタシの『お姉ちゃん』の手だった。
「色々ごめんね、雪花さん…でも、ワタシ、いつもの雪花さんのこと大好きなんだよ!」
「…はいはい、大胆な告白は女の子の特権でござるな」
雪花さんは、まだワタシの頭を撫でてくれていた。
それだけで、ワタシの胸の中まで暖かくなる。
「雪花さん…雪花さん雪花さん雪花さん!」
「ちょ…と、花子ちゃん!?」
ワタシは雪花さんに縋りつき、そのまま立ち上がろうとしたが、二人して転んでしまった。ワタシが掴んでいた雪花さんのスカートがずり落ち、雪花さんがバランスを崩してしまったからだ。形としては、ワタシが雪花さんを押し倒したようになっている。ついでに、そのまま雪花さんを抱きしめた。
「大好き…大好きだよ雪花さん!」
「はいはい、拙者も大好きでござるよ」
泣きながら雪花さんの上に圧しかかったワタシの頭を、雪花さんは撫でてくれる。そうしてもらっているうちに、ワタシの涙も止まっていた。
だから、ワタシは言った。
「よし、雪花さん…ちゅーしよう!」
「…なんで?」
雪花さんの素の声だった。
だから、ワタシも素の声で言った。
「仲直りのちゅーだよ。言わば友ちゅーだね」
「…そんな友チョコみたいな感覚で言われても」
「じゃあ、いいってことだよね」
「OKしてないよね!?私OKなんてしてないよね!?」
「よいではないか、よいではないかー」
なんだか楽しくなってきた。
本当はフリだけのつもりだったけれど。
「いや、ちょっと本気で待って!花子ちゃんさっき晩御飯の時に山盛りのにんにく食べてたよね!?」
「雪花さんだって白菜の浅漬け食べてたからイーブンだよね?」
「それで五分の判定にするのおかしくない!?」
「えー、シャルカさんとはちゅーしてたじゃないですかー」
「あれも無理やりだったのですが!というか、拙者の唇そんなに安くないのですがぁ!?」
と、無駄な攻防を繰り返していたところに、繭ちゃんと白ちゃんが二階から降りてきた。
そして、そんな繭ちゃんの第一声がこれだった。
「…パンツ丸出しで何を騒いでるの、雪花お姉ちゃん」
「拙者の方が被害者なのですがぁ!?」
さっき起き上がろうとしていた時、ワタシは雪花さんのスカートを完全に脱がしてしまっていた。
そして、繭ちゃんの前で正座をさせられたワタシと雪花さんだった。「白ちゃんの前で恥ずかしいかっこうしないでよね」とか、「白ちゃんに悪い影響があったらどうするの?」というお兄ちゃん?お姉ちゃん?ムーブで正論を言われた。
そして、一通りのお説教の後、ワタシたちは一連の流れを説明した。
「分かったよ…そういうことだったんだね」
ワタシたちの弁解を聞いた繭ちゃんは、納得してくれた。とりあえずお説教は終わったので、ワタシは雪花さんに言った。
「ねえ、雪花さん…やっぱりこれからも漫画は描こうよ。ワタシ、雪花さんの漫画を読んだ編集さんにも会ったけど、雪花さんのことすっごい褒めてたよ」
「え、そう…で、ござるか」
「今回はダメだったかもしれないけどさ…雪花さんならきっとチャンスが掴めるよ。ワタシもお手伝いするからさ!」
「それは…嬉しい、のでござるが」
少しだけ雪花さんの声に喜色が混じっていた。けれど、すぐにその喜色は消えた。
「でも、やっぱり…拙者にはもう、漫画を描く資格がないのでござるよ」
そこまで言ってから、雪花さんは口籠もる。
だから、ワタシが代わりに口を開いた。
「雪花さんの漫画が、現実になっているから、ですか?」
ワタシの言葉に目を丸くしていたのは、雪花さんだけではなかった。
繭ちゃんも驚き、その驚きを言葉にした。
「花ちゃん、それ…どういうこと?」
「繭ちゃんも知ってるでしょ?『願い箱』のうわさを」
「うん…ボクも、知ってるけど」
「あの『願い箱』の中に、雪花さんは、雪花さんが描いた漫画を入れていたんだよ」
「…そっか、知ってたんだね」
小さく、雪花さんが呟いた。
そこで、しばしの沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのも、雪花さんだった。
「だったら、分かるよね…私が漫画で描いた通りのことが、この王都で起こってるって」
「え、それ…本当なの?」
またも驚く繭ちゃんに、ワタシは雪花さんが描いた漫画のあらすじを説明した。
命を狙われている貴族の少年と、その少年を助けて一緒に逃避行を繰り広げる家庭教師の青年の話を。
二人は敵対する貴族に命を狙われ続けていたが、命からがらそれらの危機を乗り越えていく。
二人が渡ろうとしていた橋を破壊され、谷底に落とされたりした。
そんな二人が、一度は火事で焼け死にそうになった廃屋に身を隠したりした。
そうして困難を乗り越えながら、二人は絆を深めていく。
「もしかして、その橋が落ちたり…火事が起こったりっていうのが」
繭ちゃんは、最近、王都で起こっている異変を口にした。
「そうだよ…私の漫画の中には、そんなシーンが出てくるんだ」
「でも、雪花お姉ちゃん…そんなの偶然じゃないの?」
繭ちゃんはそう言ったが、雪花さんは首を横に振った。
「だけど、私は『願い箱』に投函しちゃったんだ…あの箱は、悪魔が願いを叶えてくれるんだよ」
「だから、それが偶然なんじゃないの?」
「それが、偶然じゃなかったら!?」
雪花さんは、そこで声を荒げた。
「私が『願い箱』に入れた漫画だと…最後は、貴族の少年を庇って青年が死んじゃうんだ」
雪花さんの声に、そこで苦渋が混じる。
「もし、そこまで現実になっちゃったりしたら…この王都で、ダレカが死ぬことになっちゃうんだよ」
「…雪花お姉ちゃん」
繭ちゃんは雪花さんに呼びかけるが、その声は、おそらく雪花さんには届いていない。
「私の描いたしょうもない漫画の所為で…私が、私の漫画を本にしたいなんて願っちゃった所為で、人が死ぬんだ」
雪花さんの言葉は、彼女自身を縛る。
縛り、苦しめる。
「もしかしたら…それで死ぬのが繭ちゃんだったら?」
雪花さんは、苦悶の表情を浮かべる。
「…それが、慎吾くんだったら?」
雪花さんは、ずっと苦しんでいたんだ。
「私が…私の所為だ。私が、自分の力だけで勝負しようとしなかったからだ!」
叫ぶ雪花さんに、ワタシは言った。
「雪花さんが『願い箱』に願ったのは、自分の本が出版されることでしょ?」
「そうだけど…でも、それが」
「だったらおかしいよ。『願い箱』が雪花さんの願いを叶えるなら、雪花さんのプロデビューのはずでしょ?」
「え、いや…でも、実際に、私の漫画が」
困惑の表情を浮かべる雪花さんに、ワタシは言った。
「確かに、橋の崩落や火災は起こってる…だから、ワタシが調べるよ」
ワタシは、胸を張る。
大好きなお姉ちゃんに向かって。
「花子…ちゃんが?」
「街の異変を調べるのも冒険者ギルドの仕事だからね」
「…でも」
「大丈夫、ワタシ、探偵だから!」
ワタシは右手を高く掲げて宣言した。
…多分、あんまりカッコいいポーズではなかったけれど。
「だから、雪花さんは安心してワタシたちのお姉ちゃんをやっててよ」
そこで、ワタシは雪花さんのほっぺたにキスをした。
雪花さんは何度か目を瞬かせて驚いていた。
…その後、雪花さんは繭ちゃんに「雪花お姉ちゃんのほっぺ…にんにく臭いよ」とか言われていたけれど。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
花子と同じ量のにんにくを摂取すると常人の方は健康を害する可能性がありますので、決して真似をしないでください。




