6 『それを言ったら戦争でしょうがぁ!?』
『…繭ちゃんが生きていてることが、私へのファンサなんだよ』
テーブルの上にちょこんと乗った妖精のフェリちゃんが、小さく呟いた。
…けど、いつの間にこの異世界に浸透したんだろうか、ファンサという言葉が。
『繭ちゃんはね…妖精の私なんかよりも、よっぽど妖精なんだよ』
フェリちゃんは、繭ちゃんのことを褒める。実はこの子、繭ちゃんがアイドル活動を始めた頃からの古株のファンだったんだよね。この子は魔法で姿を隠していたから、ワタシたちがフェリちゃんの存在を知ったのは最近なんだけど。
『繭ちゃんはね、ただのアイドルじゃないんだよ。ずっとずっと、みんなを笑顔にするために頑張ってるんだよ。できることもできないことも、なんだってやってきたんだよ…最初は誰からも見向きもされなかったし、トップアイドルになった今でも、男のくせに気持ち悪いってバカにされたりすることもあるけど、繭ちゃんはそれでもアイドルをやめないんだ』
滔々と、フェリちゃんは繭ちゃんについて語る。
…そうなんだよね。
繭ちゃんだって、順風満帆じゃなかった。始めた頃は、心ない罵声だって浴びせられたんだ。
けど、繭ちゃんはずっとファンの人たちのことを考えてた。少しでも楽しんでもらえるようにって、ずっと工夫をしてきた。そうやって、繭ちゃんはたくさんの人たちに受け入れてもらったんだ。
…ただ、そのことを語るフェリちゃんの表情は、それほど明るくはなかった。
現在、ワタシたちの家であるこの三刻館には、ワタシとフェリちゃんしかいない。
「もしかして…繭ちゃんに何かあったの?」
フェリちゃんの様子は、普段と違っていた。
まさか、ワタシが知らないうちに繭ちゃんが炎上していたとか?
いや、繭ちゃんは失言とかやらかしたりしないはずだ。
アルテナさまみたいに『バカとブスこそ異世界に行け!』とか言わないはずだ。
…それ言って炎上しないのはあの俳優さんだけなんだよなぁ。
だとすれば、何だろうか。
『ううん、繭ちゃんには何もないよ…あるとすれば、私なんだ』
「フェリちゃんに?」
驚いたワタシに、小さな妖精のフェリちゃんは小さく頷いた。
『繭ちゃんは男の子なのに、根性で『かわいい』を手に入れたんだ。どれだけ高いハードルがあっても、諦めなかったんだ。そして、繭ちゃんは歌や踊りでこの世界を一つ一つ変えてきた。私はずっと、それを最前列で見てきたんだ…それなのに』
「…それなのに?」
フェリちゃんは、懺悔をするように俯く。
『それなのに…私は、あの『白ちゃん』って子に目を奪われちゃったんだ』
「…あー」
推し以外に目移りしちゃった、ということか。
最近、白ちゃんは繭ちゃんと一緒にいることが多いからね。
『勿論、繭ちゃんが一番だよ。ずっと私の推しだったし、今までもこれからも、繭ちゃんが私のナンバーワンだよ…でも、私は、あの白ちゃんのこともかわいいって思っちゃったんだ』
懺悔のように、ではなかった。
これ、フェリちゃんなりの懺悔だわ。
今までは繭ちゃんが不動で一番の推しだったのに、不意に現れた白ちゃんにも、フェリちゃんはときめいてしまった。フェリちゃんは、そんな自分が許せないんだ。
『私は、これからも繭ちゃん一筋で推していくはずだったのに…こんなんじゃ、繭ちゃんに顔向けできないよ』
フェリちゃんはけっこう本気で懊悩していた。
そんなフェリちゃんに、ワタシは言った。
「あー、大丈夫だよ、フェリちゃん…繭ちゃんはそんなことでフェリちゃんを嫌いになったりしないから」
『そう…かな?』
「当たり前だよ。うちの子(予定)をなめてもらっちゃあ困るなあ」
実際、繭ちゃんはファンにそっぽを向かれたとしても、ファンを責めたりはしない。もっと頑張ってまた振り向かせてやるって意気込むはずだ。逆境になると燃えるんだよね、あの子。それぐらいの気骨がないと、トップアイドルに登りつめることなんてできやしない。
「でも、フェリちゃんは白ちゃんのこともかわいいって思ってくれてたんだね」
繭ちゃんを見慣れているフェリちゃんですらときめくとなると、それは相当のかわいさだ。犬耳アンド犬尻尾のアドバンテージはかなり大きいということか。
けど、かわいいと言ってもらえることは、白ちゃんにとっても救いとなるはずだ。
あの子はたった一人で、しかも大した前触れもないまま、心の準備なんてないまま、この異世界に『漂流』してきた。
ワタシや繭ちゃんたちは、女神さま…アルテナさまから、事前にこの世界についての説明を受けていた。ユニークスキルという、転生者にしか扱えないスキルももらった。にもかかわらず、ワタシはこの世界に来て間もない頃は寂しくて泣いていた。会えないはずの家族の姿を、夢の中で何度も探した。
何の説明もなく異世界に連れてこられた白ちゃんの心境は、言わずもがな、だ。
そして、人の姿のままでは犯罪などに巻き込まれてしまうかもしれないと、白ちゃんはあの犬の姿になって身を隠していた。子犬の姿のまま何日も街をさまよい、お腹を空かしてどうにもならなくなっていた時、白ちゃんは繭ちゃんと出会った。
…そこで繭ちゃんと出会わなければ、白ちゃんはどうなっていたことか。
繭ちゃんから聞いた話だが、やはり、白ちゃんもこっそり夜中に泣いているそうだ。
家族のところに帰りたい、と。
勿論、ワタシたちもその手伝いをしてあげたい。天使であるシャルカさんも、天界の資料などで色々と『漂流者』について調べてくれている。
…それでも、白ちゃんが元の世界に帰れる保証はない。
シャルカさんも、いまのところ『漂流者』についての手がかりは何も得られていない。
それほど稀な存在なのだそうだ、『漂流者』というのは。
「白ちゃんをかわいいって言ってくれてありがとうね、フェリちゃん」
その『かわいい』は、白ちゃんの寂しさをほんの少しくらいは紛らわせてくれるのではないだろうか。
『でも、いいのかな…推し以外の子をかわいいって思っちゃっても』
「大丈夫だよ。三カ月ごとに嫁が増える人たちだっているんだから」
『何があったら三カ月でお嫁さんが増えるの!?』
妖精であるフェリちゃんにはオタクの生態はまだ理解できないようだ。
と、そこで呼び鈴が鳴った。
正確には、魔石を利用したインターホンだけれど。
ワタシが玄関に向かうと、そこには一人の若い女性がいた。若いといっても雪花さんより少し上くらいだったようだけれど。そして、女性は緊張した面持ちで口にした。
「あの…『ぬるぬるイワシ兵士長』先生はご在宅でしょうか?」
「…もしかして、また雪花さんが何かやっちゃいました?」
これは、ネタではなく素で出た言葉だ。
出歩くたびに何かしらやらかしたりするからな、あの人。
ワタシの謝罪も板についてくるというものだ。
「え、いえ…別に先生が何か問題を起こした、ということはないのですが」
その女性は、そこで名刺を取り出した。まだ根付いている途中のようだが、この王都でも名刺が文化として定着しつつあった。
ワタシも作ろうかな、『看板娘』って書かれた名刺を。
「申し遅れました、私はスイといいます。『オレンジ』という会社で…」
「ああ、ガサイさんがいる会社ですね」
話を遮るような形で、ワタシは言ってしまった。
「あ、ガサイをご存じでしたか…もしかして、ガサイが」
そこで、スイさんはワタシを…主にワタシの胸元を見た。そして続ける。
「もしかしてガサイが言っていた、ペチャパ…ええと、ベタ塗りの上手い花子さんでしょうか?」
…おい、何を言いかけた?
それを言ったら戦争でしょうがぁ!?
「ガサイが言っていました。『ぬるぬるイワシ兵士長』先生と同じアパートメントに住んでいるのでしたね、花子さんは」
「…そうですね」
あのガサイさんが何を言っていたのか、問いただす必要はあるかもしれない。
けれど、ワタシは別のことを口にした。
「来てもらっておいて悪いですけど、雪花さんならいませんよ」
「そうですか…少しでも先生とお話ができれば、と思ったのですが」
スイさんは、すごく残念そうに言った。
「でも、雪花さんの漫画って出版はされないんですよね。社長さんが出版できないって判断したって聞きましたけど」
それなのに、雪花さんに何の用事があってこの人はここに来たんだ?
「そうなのですが…私は、『ぬるぬるイワシ兵士長』先生の漫画を出版しないことに納得がいっていないのですよ」
「納得がいっていない?」
それはどういうことだろうか。
「実は…私こっそり読んでしまったのですよ、『ぬるぬるイワシ兵士長』先生の漫画原稿を」
スイさんはワタシに顔を近づけ、小声で言った。
「個人的にはすごく面白かったんです。それまでの先生の作品と違って、無意味に男性が裸になっているシーンがなくて、無意味に小さな少年がたくさん出てくる場面がなくて、山場があって落ちがあって意味がある…そんな漫画だったんです」
「…漫画ってそれが普通じゃないんですか?」
ワタシの知ってる漫画と雪花さんが描く漫画は別物だからなぁ。
「他の先生方もうちに漫画を送ってくださっていましたが、『ぬるぬるイワシ兵士長』先生は特に気合が入っているようでして…他の方たちよりも三倍もページ数が多い漫画を送ってくださったんです」
スイさんは、さらに熱を帯びて語り続ける。声のボリュームも上がり続ける。
玄関先でする話じゃないんだけどなぁ…またご近所で噂になっちゃうよ。
ちなみに、フェリちゃんはインターホンが鳴った時点で姿を隠している。
「今回は美青年と美少年の逃避行を描いた作品だったのですが、先生は背景も丁寧に描かれていまして」
「…いつもの雪花さんの漫画、背景がすっかすかなこと多いですしね」
背景に力を入れるくらいなら、美少年の裸に三倍の時間をかけるとか平気でのたまうのが雪花さんだ。それで背景が真っ白になることは間々あった。
「だからですね、壊れた橋から主役の二人が谷底に落下するシーンや深い森で熊に襲われるシーン、さらには美青年が美少年に「あーん」で食事を食べさせるシーン、火事の中から美少年を助け出すシーンに、その後、二人で入浴するシーン…それらのシーンに、大きな説得力を持たせることができたんです」
「美少年に「あーん」をさせるシーンは必要だったんですか?」
あと、美少年とお風呂に入るシーンとか。
割りと雪花さんの平常運転じゃないか。
一般漫画でチキンレースするのやめれ。
「というわけで…『ぬるぬるイワシ兵士長』先生に、私があの漫画から感じたモノをお伝えしたかったのです」
「でも、雪花さんの漫画は出版はされないんですよね」
だから、雪花さんの様子がおかしかった。
「確かに今回は出版できませんでしたけれど、あの漫画は、いつか必ず出版されます!というかされなければなりません!でなければコージィくんが…コージィくんがぁ」
「そう…ですか」
…おそらく、そのコージィくんが美少年の方なんだろうな。
ようするに、この人も雪花さんと同じ穴の狢ということなのだ。
その後、スイさんは雪花さんの漫画について語るだけ語った後、妙につやつやした表情で帰っていった。
…なんだろうなぁ。
雪花さんが絡むと、いつも無駄に疲れるんだよね。
「…………」
だから、ワタシはこの時、気付いていなかった。
スイさんの話を聞いていて、妙なしこりを感じていた、というのに。
いつも最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
フェリちゃんから「白ちゃんもかわいいと思ってしまった」という話を聞いた花子は、「繭ちゃんと白ちゃんでユニット組めばもっと売れるのでは?」と密かに目論んでいます。
ユニット名は…どうしましょう?




