4 『またワタクシ、何かやっちゃいました?』
『またワタクシ、何かやっちゃいました?』
女神さまは、茶目っ気たっぷりにぶりっ子ポーズなどを交え、そんな粗忽な台詞を口にしていた。かなり年甲斐もなく…。
『…………』
けど、それはワタシが無言だったからだ。
しかも、ただの無言ではなく、看板娘にあるまじき仏頂面をしていた。空腹時のハシビロコウでさえ、今のワタシよりはまだ愛嬌があったのではないだろうか。
そんなワタシを見かねたアルテナさまが、場を和ませようと明るく振舞ってくれた。それでも、ワタシは何のリアクションもツッコミも返せなかったけれど。
ここは冒険者ギルドの事務室で、いつものように魔法の鏡を通して天界にいる女神さまと通信を行っている最中だった。ワタシは、まだ一言も言葉を発していなかったが。
『あの、花子…さん?』
「…この世界でのワタシは、アリア・アプリコットです」
『あ、はい…』
さすがの女神さまも、気後れしていた。
…無理もない。
ワタシの顔は幽鬼のように蒼白だった。眉間にも深い皺が寄っていたし、目だって血走っている。討ち入り前の赤穂浪士の隊列に今のワタシが加わっていても、誰も違和感を抱かない。
そんなワタシに、女神さまが問いかける。
『そういえば、あの新しい転生者さん…雪花さんは元気にしていますでしょうか?』
「おそらく元気ですよ。『投獄』されていることを除けば」
『そっちの方が何かやっちゃってますねぇ!?』
さしもの女神さまも、投獄というワードには驚愕していた。おそらくは、インド人だってビックリする。
ワタシも、その話を聞いたときには頭を抱えた。
…どうしてこうなった、と。
「そうですね…」
そこで、少し大きく息を吸った。今日のワタシは聊か冷静さを欠いている。なら、普段は冷静なのかと言われれば、そうでもないとしか言えないのが悲しいが。
「雪花さんがこの世界に来たのは二カ月くらい前でしたよね…」
雪花さん…新しい転生者は『月ヶ瀬雪花』と名乗った。
ワタシや慎吾と同じく、若くして命を落としてしまった彼女を、女神さまはこの異世界ソプラノに転生させた。
そして、ワタシや慎吾と同様に、雪花さんにも強い心残りがあった。叶えたかった夢があった。そんな彼女にとっても、サドンデスからのリスタートは渡りに船だったはずだ。
ただし、夢というモノの全てが純粋ではなく、透明だというわけでもない。
そのことを、カノジョは教えてくれた。
…別に知りたくもなかったのだが。
『はい、花子さんにも転生者さんを送って欲しいと頼まれていましたしね』
「そうですね…」
確かに、頼んだのはワタシだ。
新しい転生者が来れば、ギルドの冒険者不足も解消されると考えたワタシは、ビ○リーチ感覚で女神さまに新しい転生者を要請した。
「…異世界転生にクーリングオフは適用されないというのに」
誰ともなしに、小声でぼやいた。
転生者が異世界転生を果たせば、やることは冒険者しかないだろうと、ワタシは妄信してした。昨今の漫画やアニメなどに限らず、異世界に迷い込んだ主人公がその世界で大冒険をする物語など、古今東西いくらでも例がある。なんだかんだで、みんな異世界が大好きなのだ。
けど、あの野球バカの慎吾が送られてきた時点で、ワタシは気付くべきだった。女神さまたちが行う異世界転生と、この世界の冒険者の相性の悪さに。
「雪花さんも、冒険者にはなりませんでした…」
ワタシは、そのことをアルテナさまに伝えた。
ワタシとしては、完全に当てが外れた形だ。
新しい転生者が新しい冒険者としてブイブイ言わせてくれれば、人手不足というギルドの窮状も解消されると想定していた。その目論見は、木阿弥となる前に瓦解してしまったが。
いや、彼女が冒険者にならなかっただけなら、大した問題ではなかった。引き続き人手不足に悩むことにはなるが、そんな問題が霞むほどのことを、カノジョはしでかしやがったのだ。
…今からでもできないかな、クーリングオフ。
「この世界に転生してくる人たちは、あまり、冒険者にはならないんじゃないですか」
ワタシは、女神さまに問いかけた。
慎吾、雪花さん、そしてワタシ…誰もが、冒険者という魅惑的な選択肢を選ばなかった。そのためのスキルなども、用意されていたというのに。
『そうですね。実は少ないのですよ』
「やっぱり…」
その根拠は、最初から提示されていた。
ワタシの目の前にいる、この女神さまから。
「この世界に来る転生者は、現世に強い未練を残した人たちばかりなんですよね」
そんな人間たちに対する救済措置が、この異世界ソプラノへの転生だ。
「だからこそ、転生者は冒険者という選択をしないんですね」
ワタシは、そこで呼気を整えてから続ける。
「慎吾の時もそうでしたけど…雪花さんも、この世界での冒険とかに憧れがないわけじゃないんです。それよりも、元の世界で叶えられなかった夢や願望を優先しているから、冒険に割くためのリソースがないんですよ」
『…………』
女神さまは、ワタシの話を黙って聞いていた。薄い微笑みを浮かべながら。
「それに…慎吾も雪花さんも口には出さないけど、分かっているんです」
勿論、ワタシも分かっている。
口には出さないけれど。
「自分たちが、またいつ命を落とすか分からない、って…」
人は、いつか、死ぬ。
死ぬ時は、けんもほろろに、死ぬ。
ただ、その確率は低い。
今は、という注釈はつくけれど。
この異世界に転生させてもらう際に、女神さまはワタシの病気を治してくれた。
慎吾や雪花さんも、健康優良児のままこの世界に転生させてもらっているはずだ。
だが、健康体だからといって、確率が低いからといって、理不尽に命を落とさない保障などないし、悲劇が譲歩をしてくれることもない。死ぬときがくれば、人は死ぬ。
その生き証人となるのが、ワタシたちだ。
「だから、慎吾も雪花さんも冒険者にはならなかったんです…冒険者になってしまえば、どこで命を落とすか知れたものではないですから」
死して屍を拾う者なし、を地で行くのが冒険者だ。
冒険者用のギルドがあり、その育成のためのシステムが確立されていたとしても、それらが絶対の命綱になることはない。
「哺乳類はみんな…痛がり屋なんですよ」
死こそが、その痛みの極致だ。
だからこそ、死からは遠ざかりたい。
ほんの少しも、死とは仲良くなんてしたくない。
「だから、この世界に転生を果たしたとしても、冒険者になる人が少ないんですね」
『そこに気付くとは…やはり天才ですか?』
「遠回しにバカにするのはやめてください…」
こっちはそれなりに真剣なんだぞ。
『いえ、本当に感心しているのですよ』
アルテナさまは微笑んでいた。
『そして、嬉しいのです。アナタたちが命を粗末にしていない、ということが』
「お祖母ちゃんが言っていました…命と食べ物は粗末にするなって」
そこで、ふと気付く。
気になって、問いかけた。女神さまに。
「…もしかして、強い未練がなければ、転生させたりはしないのですか?」
なぜ、そんなことが気になったのだろうか。
今の、この微妙な空気のせいだろうか。
『そうですよ』
女神さまは、あっさりと答えた。
『あ、でも依怙贔屓とかではないのですよ。そもそも、誰でも彼でも転生をさせるわけにはいかないのです。摂理とかバランスの問題がありますから』
そして、女神さまは続ける。
『ええとですね。強い心残りがある方たちは、死後、どこにも行けなくなってしまうのですよ』
「どこにも行けなくなる?」
『天国にも。地獄にも』
その声には、慈愛も悲哀もなかった。
ただの声で。ただの音で。
『どこにも行けず、その場にずっと留まり続けるのです。勿論、誰の目にも映りませんけれど』
事務的に、女神さまは続ける。
『最初は生前の記憶がありますが、少しずつ、それも薄れていきます』
そして、事務的に続ける。
『記憶を失っていくとともに、肉体…と言っても見えませんが、それも保てなくなっていきます。皮膚が爛れたようになったり、肉が融解して骨が飛び出てくるんですよ。勿論、脳や臓器も腐り落ちます』
さらに、事務的に続ける。
『けれど、死ねません。もう死んでいますからね。どこまでも、死に続けるだけです』
どこまでも、事務的に続ける。
『そして、生きている人たちを妬みます。呪います』
女神さまは、あくまでも事務的に続ける。
「…悪霊、みたいですね」
ようやく、ワタシは口を挟んだ。
『そうかも、しれませんね』
女神さまは、そこで少し長く息を吐いた。
けれど、すぐに続ける。
『そして、その呪いの被害者となるのは、身近にいる人たちです』
「ワタシの場合だと…お父さんやお母さんですか」
そして、お祖母ちゃん。
『生命力の弱い人などは、その呪いで命を落とすこともあります』
「ワタシの所為で、お祖母ちゃんが…」
お祖母ちゃんはまだ矍鑠としているが、それでも、呪いに抗えるほどの生命力があるかどうかは分からない。
…ワタシがお祖母ちゃんを呪い殺していた。かもしれなかったのか。
『だから、強い未練のある人たちには、転生をしてもらっているのですよ』
「そういう事情だったんですね…」
この転生は、かわいそうなワタシたちに対する救済措置なのだと、臆面もなく思っていた。そういう側面もあるのだろうが、それ以前に、ワタシたちを元の世界から隔離するためのものだった。
そこで、また疑問が浮かんだ。
「ワタシたちは、転生させてもらえましたけど…このソプラノの世界で未練を残したまま死んだ人たちは、どうなるんですか?」
ワタシのこの問いかけには、意外な答えが、返ってきた。
『数はきわめて少ないですけれど…花子さんたちがいた元の世界、日本などに転生させてもらっていますよ』
「あっちに行くんですか…」
なら、この世界とあの世界は根底ではつながっている…ということになるのだろうか?
いや、待てよ…。
もし、この世界で、ワタシが死ねば…。
『あ、だからって、また死んだりしないでくださいね。転生は一度しかできませんから、花子さんが死んだとしても元に世界には戻れませんよ』
「あ、はい…」
釘を刺された。
けど、さすがに自死を選ぶ勇気はない。
それに、お祖母ちゃんにも言われているからね。
…でも、ほんのちょびっとだけ、期待をしてしまった。
もしかしたら…と。
『それで、雪花さんはどうして投獄などされたのでしょうか』
そのことを思い出したように、女神さまが尋ねてきた。
ワタシとしては、うやむやなままでもよかったのだが…。
「描いたんですよ…漫画を」
観念したワタシは、重い口を開いた。
『漫画…?』
女神さまは、二度三度と瞬きをしていた。余程、想定外の台詞だったようだ。
無理もないけど。
『何を描いたら投獄なんてされるんですか…ダヴィンチなコードでも描いたのですか?』
腑に落ちない、という面持ちの女神さまに、ワタシは告げた。
「ナマモノですよ」
『…なまものぉ?』
女神さまは、これまでで一番、混乱していた。
もしかすると、ワタシは世界で一番、女神さまを混乱させた女として歴史に名を残すかもしれない。