3 『最高にハイってヤツでござるよッ!』
「そそるぜ…これはぁ」
本来なら、この手の台詞が出てくるはずだった。
月ヶ瀬雪花さんの口からは。
何しろ、ワタシたちの前には美少年がいた。
しかも、繭ちゃんのお洋服を着た美少年だ。
つまりは、女の子の格好を召した美少年だ。
いや、この子、本当に女の子にしか見えないのだが。
…先ほど性別を確認していなければ、ワタシはまた繭ちゃんの時のように騙され続けていたかもしれない。
そして、そんな美少女兼美少年と繭ちゃんが並んで一緒にいるのだ。脳がバグらないはずはない。
『あの、僕、白雪っていいます』
真っ白な犬耳をピコピコと動かしながら、美少年は名乗った。犬耳の美少年は、声も美少女だった。繭ちゃん並みの美少女に犬耳は、もはや反則ではないだろうか。ただ突っ立っているだけで投げ銭とか貰えそうだ。少なくとも、何人かは投げそうな心当たりがある。
そして、いつもなら雪花さんはここで卒倒する。
もしくは、小躍りするか奇声を上げるかスキンシップというセクハラを企むか脳内で次の同人誌の構成を練るか…とりあえず、犯罪に抵触するかしないかというスレスレの奇行に走るはずだった。
けれど、雪花さんは無言アンド無表情だ。
…本当にどうしたんだ、この人。
さっきの犬耳美少年の裸体に魂を抜かれた、というわけでもなさそうだが。
「白雪くんだから…白ちゃんって呼んでもいい?」
まだ混乱していたワタシたちとは違い、繭ちゃんは白雪くんとの距離をさらっと縮める。さすがのコミュ力である。陽キャ最強は伊達ではない。
「うん…いいよ、繭ちゃん」
白雪くんは、繭ちゃんにそう返答していた。どうやら、繭ちゃんは白雪くんが着替えている時にでも自分の名前を教えていたようだ。
「ねえ、花ちゃん。白ちゃんね、行くところがないんだって…だからね、ここに置いてあげてもいいよね?」
繭ちゃんは、上目遣いでワタシにお願いしてきた。繭ちゃんのキラキラお目目は老若男女、誰彼かまわず篭絡する。
「う、ん…そうだ、ね」
ワタシとしては了承してあげたい。行く場所がないというのなら、このまま放り出すのはさすがに寝覚めが悪い。
…けど。
ティアちゃんは、ワタシの袖を引っ張って無言で拒否の意を示していた。どうやら、犬耳だけでもティアちゃん的にはアウトのようだ。これ、本気で困ったな。
『白雪はどこから来たんだ?』
問いかけたのは、シャルカさんだ。さっきまでは酔いつぶれる寸前だったが、今は活舌もしっかりとしている。そして、その眼光は、鋭利だった。
「どこから…って」
そう言いかけ、ワタシは思い出していた。
シャルカさんは、先ほど口にしていた。
この世界に、人の姿に化けられる犬はいない、と。
『それは…僕にも分からないんです』
少し俯き加減で、白雪くんは返答した。
分からない、と。
白い犬耳を、少しペタンとさせながら。
『それは…地名が分からないということか?こことは違う国から来た、ということか?』
シャルカさんは、やや詰問するような硬質な口調だった。
『そして、なぜ、白雪は人の姿になれるんだ?』
シャルカさんは、完全に、詰問をする声音だった。
…それだけ、白雪くんの存在がこの異世界においても異端だということだろうか。
『僕…は』
白雪くんは、言葉に詰まっていた。自分が手放しで歓迎されているわけではない、ということを、この子は察していた。そんな白雪くんの手を、そっと繭ちゃんが握る。白雪くんは、それに気付いて繭ちゃんを見る。
『繭…ちゃん?』
「大丈夫だよ。白ちゃんがいい子だっていうのは、ボクもう知ってるから。それにね、ここにいるのはみんないい人ばっかりだからさ、白ちゃんがちゃんと話してくれたら、きっと分かってくれるよ」
繭ちゃんは白雪くんの手を握りながら、やわらかい言葉とやわらかい微笑みで語りかける。天使よりもよっぽど天使なんだよな、この子。さすがはうちの子(予定)である。
『あの…僕』
白雪くんは、ゆっくりと…ゆっくりと口を開き、話し始める。
『僕たちは、犬の姿に変化することができますが…基本的には人の姿で生活しています』
『こっちがベースだったわけか…しかし、それでも聞いたことがない。というか、この世界にはいないんだ。犬の特質を持つ人の種族というのは』
シャルカさんは断言をした。
そんなシャルカさんに、ワタシは問いかける。
「いないんです…か?」
『花子だって見たことないだろ?』
「そう…ですね」
シャルカさんに言われ、思い返す。獣人と呼ばれる亜人種ならば、犬に似た特性を持ったコボルトという種族がいるという話は聞いている。
けれど、人の姿をした種族にはいない。サリーちゃんのように猫の特徴を持った猫人種ならばいるが、犬の特性を持った種族は見たことがなくて、聞いたこともない。
しかも、この子は犬の姿に化けていた。
そんなことは、猫人種にも獣人種にもできることではない。
…それなら、この子はどこの子だ?
『あの、僕…三日前に、山の中で遊んでたんです』
白雪くんは、ぽつりぽつりと話し始めた。
時折り、繭ちゃんの瞳を眺めながら。
『そしたら、急に空が暗くなって、凄い風が吹き始めて…空に、穴が開いたんです』
「空に…穴?」
繭ちゃんが、かわいらしいオウム返しで問いかける。白雪くんは、小さく首肯してから続けた。
『信じてもらえないかもしれないけど、僕、その穴に吸い込まれたんです…そして、気が付いたらこの世界にいました。僕のいた世界と似ているけど、決定的に違う、この世界に』
白雪くんは、そこで語り終えた。
彼が、この世界に来た、というその経緯を。
話を聞いていたワタシは、シャルカさんに問いかける。
「シャルカさん…もしかして白雪くん、元の世界からこの世界に転生してきたんじゃないですか」
話を聞く限り、その可能性はあると思えた。
『私にも断言はできないが…多分、転生じゃあないな』
「そうなんですか?」
『転生ってのは、元の世界で死んだ人間が別の世界で生まれ変わることだ。話を聞く限り、白雪は死んではいない』
「そう…ですね」
ワタシ、小さく相槌を打った。
『それに、転生なんて裏技が使えるのはうちの女神さまや花子のじいさんたちのような、一部の例外だけだ』
その女神さまが、元の世界で命を失ったワタシや慎吾たちをこの世界で生まれ変わらせてくれた。
だから、ワタシたちは、こうして異世界で新しい生活を手に入れることができた。
『天界に確認をとらないとはっきりしたことは分からないが、転生者が現れたのなら、その反応が出ているはずだ』
「そんなこと…分かるんですか?」
それは初耳だった。
『まあ、前の事件の後でな…転生が行われた際の反応を、天界が察知できるような仕組みを作ったそうだ』
「そう…ですか」
以前の事件で、このソプラノからワタシたちが元いた世界に転生者が送られていたことが発覚した。
そして、そこで転生者たちは悪事を働いていた。
その件があったから、か。
『それに、白雪の話を聞く限りでは…どうも、『漂流』っぽいな』
「…『漂流』?」
それは、聞いたことのない言葉だった。いや、その言葉の意味は知っている。
けど、ここでシャルカさんが言ったのは、おそらくそのままの意味ではない。
『たまに…というか極めて稀にだが、世界から世界を越えて『漂流』する人間がいるそうだ』
「じゃあ、白雪くんは…『漂流者』ってことですか?」
『結果だけみれば、転生したようなものだけどな』
ワタシは思い出していた。
この世界に来た、最初の頃を。
その頃は、慎吾もいなくて雪花さんもいなくて繭ちゃんもいなかった。
…その頃のワタシは、たった一人だった。
新しい世界で新しい命を与えられたワタシが浮かれていられたのは、最初だけだった。
この世界には、お母さんもお父さんも、おばあちゃんもいなかった。
…どれだけ帰りたいと願っても、あの世界には帰れなかった。
この子も、白雪くんも同じだ。
あの日の、ワタシと。
いや、ワタシのように、死んだ後で新しい世界に来られたのではない。
この子は、ただ、いきなり奪われただけだ。
それまでこの子がいた世界と、おそらくは、家族も。
「…ねえ、ティアちゃん」
ワタシは、まだワタシの袖を掴んでいたティアちゃんに声をかけた。
『あー…もう、分かっておるわ!好きにすればよいじゃろ!』
「「ありがと、ティアちゃん!」」
ワタシと繭ちゃんは、同時にハモって同時にティアちゃんに抱き着いた。
地母神さまだけあって、小さくても包容力はあるのだ、この子は。
『た、だ、し…あまりわらわ様にはあまり近づくなよ!絶対に近づくなよ!これ、前フリとかじゃなくてマジのヤツじゃからな!?』
「ごめんね、白雪くん。この子、まだ躾ができてないけど根はいい子だからね。仲良くしてあげてね」
『だから地母神さまをペット扱いするでないわ!』
ワタシのフォローに、ティアちゃんはキャンキャン吠えていた。
どっちが子犬だか分からない光景だった。
「あとは…シャルカさん」
ワタシは、そこでシャルカさんに声をかけた。ここに白雪くんを住まわせるとなると、この人の許可をとらなければならない。
『ん、ああ。いいんじゃないか。白雪が漂流してきたのかどうかは、まだはっきりしないし…アルテナさまたちに調べてもらうにも、ここにいる方が便利だろ』
「さすがシャルカさん…って言いたいところなんですけど、なんでまたお酒を飲んでるんですか」
シャルカさんは、またお酒を呷っていた。せっかく素面に戻ってたのに。
『なんでって、もう一回酔えるじゃん』
「もう一回あそべるドン、みたいなこと言い出さないでください」
完全に深酒が確定した瞬間だった。何回、同じ轍を踏めば気が済むんですか?
そんなに地獄を見るのが好きなんですか?
「あのね、白ちゃん、こっちは慎吾お兄ちゃんだよ。慎吾お兄ちゃんはね、とっても美味しいお野菜を作ってるんだよ」
『あの、白雪です…よろしくお願いいたします』
「ああ、よろしく、オレも白ちゃんって呼んでいいかな?」
『はい、その方が僕も嬉しいです』
白雪くんは、慎吾と握手を交わしていた。どうやら、白雪くんの世界でも握手という挨拶の文化はあるようだ。
そんな白雪くんは、真っ白な尻尾を小さく振っていた。
…こういう仕草も犬と同じと思っていいのかな?
「それから、こっちは雪花お姉ちゃん…時々、臭いがキツイ時があるから気を付けてね。あと、雪花お姉ちゃんにセクハラされたらすぐボクに言ってね」
繭ちゃんは次に雪花さんを紹介していたが…割りと容赦のない説明をしていた。低いなぁ、雪花さんに対する信用度が。
『あの、よろしくお願いします…白雪です』
白雪くんは、恐る恐る雪花さんに挨拶をしていた。
「私は、月ヶ瀬雪花っていうんだ…よろしくね、白雪くん」
普通だった。
雪花さんは、普通に白雪くんと普通に自己紹介をしていた。あまりに普通すぎて、ワタシが肩透かしを喰らってしまった。
いつもなら、犬耳女装美少年とかに出会えば、「最高にハイってヤツでござるよッ!」とか叫ぶはずなのに。
…マジでどうしたの、雪花さん。
「で、こっちが花ちゃん。冒険者ギルドってところで働いてるんだよ」
「ただの職員じゃないよ…ギルドの看板娘なんだよ」
ちょっとドヤ顔でワタシは言った。
「ワタシも白ちゃんって呼んでいいかな」
ワタシは、あくまでも気さくな態度だった。
…はずなのに、白雪くんの様子は、少しおかしかった。
それに気づいた繭ちゃんも白雪くん問いかける。
「…どうしたの、白ちゃん?」
『あの…ちょっと、臭いがキツくて』
「それはありえないでしょ!?」
思わず、ワタシが叫んだ。
『僕たち、普通の人よりも鼻が利くから…それで」
「ああ、この人、「それは致死量にあたるんじゃないかな!?」ってくらい、にんにくを食べるから」
「致死量はね、死に至る量ってことなんだよ!?」
繭ちゃんにそう言われ、ワタシとしても反論する。
「え、ちょっと待って…ちょっと待って!?」
ワタシ、ホントにクサいの!?
あの雪花さんよりも!?
…いや、それはシャレにならんて!?




