1 『覚悟はよいか!?わらわ様はできておるからな!?』
夕日が暮れなずむ街中をゆっくりと、噛みしめるようにゆっくりと歩いて帰るのが、ワタシの日課であり密かな楽しみだった。
昼が夜に衣替えをするこの瞬間は、あらゆるものが動く。足早に。または緩慢に。
人が動き、街の景色が動き、時間が動き、匂いが動く。
その『動き』を眺めながら家路につくのが、ワタシは好きだ。
その動きの流れに乗っていると、ワタシもこの異世界の住人なのだと、実感することができたから。
ワタシは、俗にいう転生者だ。
こことは別の世界で命を落とし、女神さまに新たな命を与えられてこの異世界…ソプラノへとやってきた。
新たな命を与えられ、新たな世界に降り立ったワタシは最初こそ喜んでいたが、すぐに不安に圧し潰されそうになっていた。自分が、この世界における部外者だと気付いたからだ。いや、気付かされたから、か。
この世界の成り立ちなど何も知らず、この国の興隆すら知らなかった。
そして、この世界の人たちがどんなことに喜び、どんなことに怒るのか、何一つ知らなかった。
それらは、ワタシに疎外感をもたらした。
自分が異邦人なのだと、思い知らされた。
もう帰れないはずのあの世界に、ホームシックを感じた夜は数え切れないほどだ。
ただ、ワタシもずっと一人だったというわけではない。
ワタシと同じように、あちらの世界で夭逝した仲間たちが、転生してきたからだ。
だから、ワタシは一人で疎外感を感じることもなくなった。
…恥ずかしいから、そんなことは誰にも言っていないが。
そろそろ、職場と家との中間地点といったところに差し掛かった。このソプラノに来てから、ワタシは冒険者ギルドで看板娘として働いている。
街道の左右には商店が点在していた。お惣菜を売っている店、飲み物を売っている店、クリーニング店などもある。このソプラノは、ワタシが元いた世界のように機械による文明が発展した世界というわけではないが、魔石と呼ばれる、魔力を宿した不思議な力を持った鉱石を生活に利用することで、それなりに利便性のある世界として発展していた。今現在、こうして街を照らしているのもこの魔石だ。
まあ、ワタシたちのような転生者が、その発展に若干の貢献をしている節はあったけれど。
そして、幾人かの人たちがそれらの店から出入りをしていた。家に帰る前に、一日の最後の用事を済ませるために。これも、普段と変わらない夕刻の光景だ。
そんな折り、声が聞こえてきた。
『覚悟はよいか!?わらわ様はできておるからな!?』
…聞き覚えのある声が、脈絡もなく聞こえてきた。
弱々しくも虚勢を張った、聞き覚えのあるあの声が。
『だから…だから近づかぬ方がよいぞ!わらわ様は地母神さまじゃからな!強いんじゃからな!?』
声の方に視線を向けると、そこには見知った顔がいた。
「…なにしてるの、ティアちゃん」
ワタシは、そこにいた地母神さまことティアちゃんに声をかける。
『お、おお、花子…か』
ティアちゃんはワタシの姿を見つけると、縋り付いてきた。地母神さまを名乗っているが、いや、実際にこの世界の地母神さまらしいのだが、この子の外見は十歳程度の小さな女の子だ。
「…また小型犬に負けてるの?」
『負けてなどおらぬわ!わらわ様が子犬ごときに負けるわけないであろうが!』
と、ティアちゃんは負け犬の遠吠えそのままの声で叫ぶ。そんなティアちゃんを取り囲むように、三匹の小型犬が陣取っていた。みんなで仲良く尻尾を振りながら。
「この子たち、ティアちゃんと遊びたいだけだよ?」
ワタシは、そのうちの一匹の頭を撫でた。その子は白い毛に黒丸の模様が浮かんでいた。犬には詳しくないので、犬種などは分からない。元の世界の犬と同じようで、少し違う小さな犬。こういうところでも、元の世界とこの世界の差異を感じて、小さな寂しさのようなものがワタシの中に浮かんだ。
『遊び…じゃと?』
ティアちゃんは、ワタシに縋り付く腕に力を込める。
『こ奴らはな…か弱そうなフリをして、愛らしい演技をして、そうやって獲物ののど笛を狙っておるんじゃぞ!』
「…それ、ワタシの知ってる小型犬じゃないなぁ」
というか、この世界にそんな小型犬いるの?
「ところで慎吾は?」
ティアちゃんがここにいるということは、慎吾も近くにいるはずだ。
現在、この地母神さまは力の大半を失っている状態で、本来ならもう何十年…もしくは何百年と眠りについているはずだった。
けれど、失われているはずのそのティアちゃんの力を補っているのが、ワタシと同じ転生者である桟原慎吾だ。慎吾が女神さまから与えられたユニークスキル『地鎮』は、土地に力を与えることができる。本来なら眠っているはずの地母神さまがこうしてキャンキャン吠えていられるのも、そのスキルでティアちゃんの力を補ってもらっているからだ。
『ダーリンならそこの本屋じゃ…ぞぁ!?』
ワタシの問いかけに答えてくれたティアちゃんは、いつの間にか増えて四匹になった小型犬にまとわりつかれていた。というか、跳びつかれて地面に倒され、その上に乗りかかられていた。逆もふもふ状態といった感じだろうか。さらにはほっぺまでペロペロされるというオマケ付きだ。雪花さんがいたら、「薄い本が分厚くなるでござるな」などといった寝言をほざいていたはずだ。
『なんじゃお主ら…地母神さまに不敬じゃぞ!?きっと不敬なんじゃぞ!?』
犬好きの人が見たら垂涎となる光景も、地母神さまはお気に召さないようだ。仕方ないので助け舟を出した。一匹ずつ抱っこでティアちゃんから引き離す。小型犬たちはさみしそうな瞳でティアちゃんを眺めているので、ワタシは意味もなく罪悪感に苛まれてしまった。
そこに、飼い主さんたちが現れる。
「よかったね、チャッピー。今日も地母神さまに遊んでもらえたんだね」
「いつも助かります、地母神さま」
「地母神さまに遊んでいただくと、うちの子すっごく喜ぶんですよ」
そして、飼い主さんたちはそれぞれの子供たちを連れて帰っていった。
『ふ、ふん…今日はこのくらいにしておいてやろう!』
今どき、新喜劇でしか聞かないような負け惜しみを口にしながら、ティアちゃんはさっきの飼い主さんたちからもらったお菓子を食べていた。なんだかんだでウィンウィンのようだ。
『まったく…せっかくの彼シャツが汚れてしまったではないか』
ティアちゃんは、そう言って男物のシャツをパタパタと叩いて砂埃を払う。
というか、それ慎吾のシャツなんですけど?
この子は『彼シャツ』というものに異様に執着しているので、慎吾のシャツしか着ていない。お陰で、慎吾は以前の倍の上着を買わなければいけなくなった。
「お待たせ、ティアちゃん…というか、花子もいたのか」
本屋から出てきた慎吾が、ワタシの姿を確認してそう言った。
「うん、ティアちゃんの子守してた」
『だから子供扱いするでないわ!』
「あながち間違いでもないと思うんだけど…」
そして、いつものやり取りをしながらワタシたちは家路につく。
一人で歩く帰り道も好きだけれど。
ダレカと歩く帰り道は、もっと好きだった。
家に近づくたび、ワタシの胸の中で何かが膨らむ。
それは、ワタシをふわふわとした気持ちにさせてくれる。
絶対に手放したくない、ワタシだけのふわふわしたモノ。
そこで、ワタシはさっき聞こえてきたあの言葉を思い出して口にした。
「そういえば…さっき誰かが言ってるのが聞こえてきたんだけどさ」
雪花さんが漫画をやめるんだって。
ワタシは、そう言った。
どうでもいい言葉のはずだった。ただの世間話のはずだった。
「…ええぇ!?」
と、驚いたのは慎吾でもティアちゃんでもなかった。
ワタシたちは知っているからだ。
締め切り前になると、『某もう同人やめる!』と夜中にもかかわらず泣き叫ぶ雪花さんのみっともない姿を。
だから、ワタシたちは今さら驚いたりはしない。
驚いていたのは、ワタシたちではないダレカ、だ。
「それは、本当ですか…?月ヶ瀬先生が漫画をやめるというのは、本当なのですか?」
そこで驚いていたのは、ストールを襟に巻いた、上品そうなご年配の女性だった。
…いや、なんで?




