プロローグ 『月ヶ瀬、漫画やめるってよ』
人が充足を感じられるのは、どのような時だろうか。
ただただ愚直に目標に向かい、それを成し遂げた時かもしれない。
そこに至るまでに払った代償の分だけ、得られる充足も一入のはずだ。
あるいは、最愛の人と一緒に過ごす何気ない時間こそが充足にあたる人物もいる。
最愛の人が家族という複数人の場合は、その人数に比例して充足感を得られるかもしれない。
または、誰かの笑顔こそが自分の充足だと感じる人もいる。
たとえ、それで自分の笑顔が失われてしまったとしても。
おそらく、充足と一括りにすることが間違っているのだろう。
人の数だけ各々の充足があり、その充足を得るための手段も異なる。
この街の明かりが、まったく同じようで実はほんの少しずつ違っているように。
ワタシこと田島花子は、街灯の灯り始めた街を歩いていた。
昼と夜の境目、夕日が影を伸ばす黄昏時の街中を。
昼と夜が分刻みで入れ替わり、街が夜を纏うこの時間帯は、静かなようでいて、そうではない。寧ろその逆で、一日の内で最も忙しないのが、この時刻だ。灯火の魔石が街を照らし、昼とは違う明るさで街を彩っていた。
ワタシは、この景色が好きだった。
昼と夜が綯い交ぜになった、この雑多な景色が。
夜の明かりと昼の名残が交差して、この刹那だけの世界を彩る。
そして、昼と夜が混濁したこの世界の中を、家路につくためにワタシは歩く。
アイツがいて。あの人がいて。あの子がいる。大好きなあの家に。
ワタシと同様に、帰路につくために足早に歩く人たちがいた。
反対に、これから繁華街に繰り出そうと洋々と歩く人たちもいた。
比率としては八対二といったところだろうか。
これも、この時間特有の光景だ。
そんな雑踏の中から、不意に聞こえてきた。
『月ヶ瀬、漫画やめるってよ』
この景色にそぐわない、意味不明ともいえる言葉が。
雪花さんが、漫画をやめる?
「…………」
そんな台詞、締め切りのたんびに聞いとるわ!




