最終話 『うわああああああああああああああああああああああああああん!』
「通りすがりの婚活女子だぁ!」
大音声で素っ頓狂なことを叫んでいたのは、深紅の鎧に身を包んだ、この王都の騎士団長…ナナさんだ。この緊迫した空気とはまるで噛み合わないが、そのズレっぷりがワタシの心を安定させてくれた。
ナナさんは、鎧を着こんでいるとは思えない俊敏な動きで復讐者とワタシたちの間に割って入る。
「お花ちゃん…」
ナナさんは、兜越しにワタシに視線を合わせた。そして、雪花さんや繭ちゃん、アンダルシアさんを順番に眺める。みんな、こっ酷く傷ついていた。体も、心も、ズタボロに。
「…お前たちだなあ!」
先ほどの大音声を超える大声で、ナナさんは復讐者たちに吼える。その咆哮は空気を振動させ、雷鳴すら想起させた。普段の、人見知りで街中すら一人でまともに歩けないナナさんなど、そこにはいない。そこにいたのは、一人の獅子だ。
「ナナさん…」
ワタシはそっとナナさんの深紅の鎧に手で触れた。
ほっと、した。だれも、しななくてすんだ。
「その鎧…『深紅のナナ』、か」
復讐者たちの頭首…ガガロが口を開いた。
「お初にお目にかからせてもらったが…残念だったな、五分もかからずお別れだ」
ガガロは、勝ち誇ったように笑った。それに同調した配下の男たちも、それぞれが笑う。騎士団長すら、コイツらは嘲笑う。
「確かに、勝てないかもな…けど、何人かは確実に道連れにしてやる」
苦々しげに、ナナさんは呟く。
邪神の暴走で数が減ったとはいえ、フードの男たちはまだ数を残している。
そして、連中は腐っても星の一族だ。
「ごめんね、お花ちゃん…私のこと、頼りにしてくれたのにね」
ナナさんは、申し訳なさそうに言った。巻き込んだのは、ワタシだというの。
「せっかくだから、あの高名な騎士団長殿に名乗っておこうか。我はガガロ、この世界を牛耳る者だ」
ガガロは、余裕たっぷりに嘲る。
「その名前、憶えておいてやるよ…末代まで祟るために、な」
覚悟を決めたナナさんの声だった。この人は、ここでワタシたちと共に命を落とす覚悟をしてくれていた。
そんなナナさんに、ワタシは言った。
「憶える必要なんてないですよ、ナナさん。どうせ、その名前も偽名でしょうから」
「え…?」
「…なに?」
ナナさんとガガロは、ほぼ同時に疑問符を浮かべていた。
そして、さらにナナさんが困惑する言葉を、ワタシは口にした。
「ナナさんの勝ちですよ…この中の誰一人として、ナナさんには勝てません」
「え…え?」
勝利を断言したワタシに、ナナさんは困惑の表情を浮かべた。
確かに、戦力差を考えれば、たとえナナさんと言えどこの数の星の一族を相手にはできない。
「…黙れよ、小娘」
ガガロは、苦々しい表情を浮かべていた。
少なくとも、先ほどまでの勝ち誇っていた顔つきとはまるで違う。
…気付いたか。
ワタシが、気付いていることに。
「ほら、嘘吐きの仮面が剝れましたよ」
ワタシは、復讐者を名乗る頭首の男を指差した。
「黙れと、言っている…」
さらに、男の顔が歪む。
…もっと歪めろよ。
「…本当に、私一人でこの数に勝てるの?」
ナナさんが不安そうに呟く。
「嘘だと思うなら使ってみてくださいよ。ナナさんのユニークスキル…『結束』を」
ワタシは、そこで『結束』の名を出した。
それは、騎士団長にして転生者『深紅のナナ』だけが持つユニークスキルだ。
このスキルを発動することで、ナナさんは周囲にいる王都の騎士たち全ての力を束ね、尋常ならざる力を発揮することが可能となる。
「でも、私、一人でここに来たから…『結束』を使っても」
意味はない、とナナさんは言いたいのだろうけれど。
ガガロの表情は、さらに歪んでいた。
「騙されたと思って、使ってみてくださいよ。その『結束』を」
騎士たちの力を集約するというナナさんの『結束』は強力だが、欠点もある。
というか、ナナさんは、『結束』使えば他の騎士たちに怒られると話していた。
ナナさんに力を集約させるという『結束』は、発動させれば、他の騎士たちの力を限界まで吸い取ることにもなるからだ。
「止めろ…くそ、お前ら、アイツらを殺せ!」
ガガロたちの表情が、一変した。
事態を察した他の復讐者たちにも焦りが生じる。
けど、もう遅い。
「いくよ…『結束』!」
ナナさんが、『結束』を発動させた。
ナナさんの足元から、小さく白色に光る円が発生する。
その円は、瞬く間に広がった。
ワタシたちを、そして、復讐者を名乗るフードの男たちを、呑み込む。
「これが…『結束』」
そう呟いたが、ワタシには何の変化も影響もない。
雪花さんや繭ちゃん、ゴーレムの彼女やアンダルシアさんにも、微塵も影響はない。
この白色の光に呑み込まれても。
ただ、そうでない者たちも、いた。
「…ぐぅ」
フードを被った男たちは、全員がその場に倒れ込んでいた。
仰向け、うつ伏せ、各々の倒れ方で、その場に伏していた。
「…どういう、こと?」
先ほど『結束』を発動させたナナさんが、この状況に一番、驚いていた。
「騎士団の騎士だからですよ…あの人たちも」
「え…え?」
ナナさんは、ワタシと復讐者たちの間で困惑した視線を往復させる。
「騎士団…この連中が?私、一回も見たことないんだけど?」
そう問いかけるナナさんに、ワタシは首肯してから続けた。
「この人たちは、ずっと正体不明でした」
ワタシは倒れた復讐者たちを指差した。
「雪花さんが一度、この人たちに誘拐されたんです。けど、雪花さんは隙を見て逃げ出すことに成功しました」
ワタシは、あの誘拐事件のあらましを語った。
「そして、無事に帰ってきた雪花さんはその誘拐犯たちの人相書きを描いたんです。かなり丁寧に描かれたその人相書きは、王都の隅々にまで行き渡りました」
その手配をしてくれたのは、ギルドマスターであるシャルカさんだ。
「けど、その人相書きが出回っても、誰一人として、誘拐犯たちは捕まりませんでした…パン屋さんもお肉屋さんも、本屋さんも酒屋さんも、憲兵さんたちも学校の先生たちも、この王都にいる誰もが、その誘拐犯たちの顔を知らなかったからです」
ワタシの言葉を、ナナさんたちは静かに聞いていた。
「けど、そんなことありえないんですよ。あの人たちが、どれだけ巧みにこの王都に潜伏していたとしても」
ワタシの声だけが、周囲に響く。
「この王都で生きていくのなら、絶対にダレカと接しなければなりません。食事をするためには食料を手に入れないといけませんし、衣服だって必要です。他の日用品だって買いに行かないといけません。しかも、この大人数ですからね、そう簡単にどこかに隠れ住むこともできません。この王都で生きている限り、必ずどこかで、ダレカに素顔を見られるはずなんですよ」
静かだった。世界からワタシ以外の音が消えたようだった。
「にもかかわらず、この人たちはずっと正体を隠し通してきた。誰にも、その素顔を知られていなかった…だから、誰も捕まらなかったんです」
ワタシは、そこで呼気を整えた。新鮮な酸素が、火照った体を少しだけ冷やしてくれた。
「でも…そんな人たちいるの?」
ナナさんが問いかけてきた。
ワタシは、顔を上げながら答える。
「本来なら、いないはずなんですよ。人は、ダレカと関わらないと生きていけません…でも、この王都にはいました。誰にも素顔を知られず、それが不自然ではない人たちが。しかも、騎士団の中に」
「騎士団の中に、素顔を知られていない、存在…それが、不自然ではない、存在」
そこで、ナナさんの声色が変わる。
「お花ちゃん…まさか」
「そのまさかですよ。ここで倒れているのが、『無望の騎士団』です」
ワタシは、連中の素性を明かした。
これが、『無望の騎士団』の中身だ、と。
「え、でも…本当に?」
ナナさんは、息を呑む。
本当にこの連中が『無望の騎士団』なのか、とその瞳が物語っている。
自らの名を捨て、ずっと顔を隠してこの王都を陰から守護してきた騎士たちが、その『無望の騎士団』だ。
表には出せない汚れ仕事なども行う騎士たちではあるが、それでも、ナナさんは彼らもこの王都を守る同士だと、信じていたはずだ。
だからこそ、ナナさんはここまで驚いている。
「…ナナさんの『結束』で動けなくなっているのが、その証拠ですよ」
ナナさんのユニークスキルである『結束』は、ナナさん一人の強化と引き換えに、周囲の『騎士』たちから一時的にだが、その力を奪う。
「そして、この王都で一切、素顔を晒していなかったからこそ、人相書きが出回っても誰も捕まらなかったんです」
ワタシは、限界まで息を吸って、続けた。
「けど、素顔を隠していたからこそ、連中の素顔がこうして浮き彫りになったんですよ」
ワタシは、言い切った。全ての息を、吐き切って。
「そんな…ことが」
ナナさんはそう呟いた。後の言葉は、出てこなかった。
そこで、沈黙の帳が、降りた。
誰も、口を開かなかった。
次に言葉を発したのは、意外な人物だった。
「…まさか、お前のような何の能力もない女に気付かれるとは、な」
復讐者の頭首…ガガロは、口惜しそうに呟く。仰向けに横たわった姿勢で。
「そうだね、ワタシには何の能力もない…『念話』のユニークスキルも、もう失った」
だけど、スキルだけがワタシの全てではない。
「それでも、ワタシにはまだ、家族がいる…ワタシが持っていないモノは、ワタシの家族が持っているんだ」
だから、ワタシはこうして、ここで立っている。
「家族…か」
…ガガロは、そこで、鼻で笑いやがった。
「あなたには、家族がいてくれることの意味が、分からないんでしょうね」
「ああ、家族など足枷に過ぎんからな」
悪びれることもなく、ガガロはそう口にした。
「家族が…足枷?」
確かに、家族が鬱陶しいと思うことも、あるかもしれない。
どれだけ仲がよくても、喧嘩くらいするはずだ。
…それでも、離れたくないのが家族じゃないのか。
ワタシはそうだったぞ!
「ああ、俺は自分のガキを向こうの世界に転生させたが、この世界から消えてくれて…清々したぞ」
…コイツは。
なぜ、こんな口さがない言葉が口にできる?
「前々から鬱陶しかったんだ…俺と、似た顔をしていたからな」
「おまえええええええええええええぇ!」
ワタシは、殴った。
倒れ伏していたガガロの顔を。
人を殴ったのは、初めてだった。
随分と、不格好なポーズだった。
…そして、痛かった。
ワタシが殴る直前、ガガロは、『硬化』のスキルで顔を守っていた。
それぐらいの力は残っていたようで、ワタシの拳は、コイツには届かなかった。
それでも、また殴った。
「なんでだよ…家族といたら楽しいだろ!?」
ガガロは、まだ『硬化』で守っている。
痛かったけど、また殴った。
「こんな風に人を殴っても、ワタシはちっとも楽しくなんてない…家族と一緒にいる方がずっと楽しい!」
痛くても、ワタシは、殴る。
不格好でも。へっぴり腰でも。
「ワタシは…雪花さんとバカな話をしながらゲームがしたい!あんなに楽しい時間はないんだぞ!」
腰が引けたまま、ワタシは殴る。
握力なんて、とっくになくなっていた。
「ティアちゃんと一緒にお風呂に入って、「今日も頑張ったね」って言いながら背中の流しっこがしたい!」
まだ、殴り続ける。
殴るほどの力は、殆んどなくなっていたけれど。
「繭ちゃんと一緒に、次のライブの構成とか考えたい!未来の話をするんだ!こんなにワクワクすることはないんだよ!」
もはや、殴る力は完全になくなっていた。
ただ、小さく叩いていただけだ。
「慎吾の作った野菜たっぷりの晩御飯をみんなで食べたい!慎吾の作った野菜はなぁ、なにを食べても美味しいんだよ!どうだ、すげーだろぉ!?」
小さく小さく、叩き続ける。
最強を自負する、星の一族を。
「ワタシの家族はみんな…みんな、すげーんだよ!スキルなんかなくってもなぁ!」
ワタシは殴り続けていた。
…ガガロは、いつの間にか、『硬化』を解いていた。
「だから、出てけよぉ…ワタシたちの世界から、出て行けよぉ」
いつの間にか、慎吾が傍にいて、慎吾に抱きしめられていた。
いつの間にか、繭ちゃんも雪花さんも抱きしめてくれていた。
「出てい…うわぁ、うわああああああああああああああああああああああああああん!」
こえのかぎり、ないていた。
かぞくのぬくもりを、かんじながら。




