41 『…カえるっテ、どコにダっけ?』
「雪花さん…」
月ヶ瀬雪花さんが、そこにいた。
震える手で棒切れを握り、肩で荒い息をして、そこに立っていた。
雪花さんの足元には、フードの男が一人、倒れている。
先ほどワタシたちに襲いかかってきた、あの男だ。
「私の妹たちだ…私の許可なく触るなぁ!」
雪花さんが、喉を嗄らして叫ぶ。
しかし…それは。
「雪花さん…『隠形』が」
…解除、されていた。
雪花さんは、その姿を晒してしまっている。
雪花さんのユニークスキルである『隠形』は、この世界から雪花さんを切り離し、雪花さんが望む全てのモノから雪花さんを遮断することが可能となる。誰も雪花さんの姿を視認できなくなるし、何者も雪花さんに触れることができなくなる。
けれど、万能ではない。
雪花さんが自身の意思で物体に接触した時、『隠形』はその機能を失う。
今の、雪花さんのように。
そして、誰かに見られているときに、『隠形』を発動することはできない。
ワタシと繭ちゃんを守るために、雪花さんは『隠形』を解除した。
無防備とも言えるその姿を、晒してしまった。
「久しぶりだな、『隠形』の娘」
頭首の男…ガガロが下卑た笑みを浮かべる。
獲物が増えたと、気色の悪い喜色を浮かべる。
「そういえばいたわね…私を攫った下種の中に、あなたに似た品性のない顔の持ち主が」
皮肉を込めて、雪花さんも返す。けど、体は、震えている。
…怖くないはずが、ないんだ。
「大丈夫…かい」
「アンダルシア…さん」
アンダルシアさんがワタシたちの元に戻って来てくれたが、その姿は痛ましいの一言だった。羽織っていたマントは砂まみれで、ズボンは膝が破れている。当然、体のあちこちが擦過傷だ。
対して、復讐者を名乗るあの連中は、それほどの傷を追っていない。
こちらは、たったの四人。
しかも、三人は足手まといで一人は負傷者だ。
ワタシの背中を、冷たい汗が滴った。
「…お願い、慎吾」
力を、貸して。
ワタシは、慎吾から借り受けた小さな人形…ゴーレムに祈る。
小さく明滅した後、その人形は少しずつ肥大していく。
「慎吾の話だと、この人形が土の巨人みたいになるはず…だけど」
その言葉通り、人形は巨人に…きょ、じん?
…には、ならなかった?
「思って…いたのと?」
違う?
そこにいたのは、メイド姿の敏腕秘書?だった?
メイド服風の…土のメイド服に。
銀縁眼鏡風の…土の銀縁眼鏡をかけた。
女性の姿を模した…?土のゴーレム?がそこにいた。
「…………」
場の全員が、口を閉ざして動きを止めていた。
メイド風?ゴーレムだけが、首を左右に振って周囲を見渡していた。
『大ピンチ、というところですね』
そして、喋った。
…喋った?
「ゴーレムって…喋るの?」
『ええ、私は慎吾様の寵愛を受けた特別な個体ですから』
ワタシの疑問に、ゴーレムの彼女(?)が答えた。
そういえば、ゴーレムは片言で喋ったと、慎吾は言っていた。
けど、こんな流暢に喋るのか?というか寵愛?
ワタシの混乱に拍車がかかる。
『慎吾様はゴーレムである私のために、本気で悲しんでくださいました。本気で苦しんでくださいました。その想いが、私という個体の進化を促がしたのです』
「…慎吾の『地鎮』スキルで強化されたってことだね」
平たく言えばそういうことなのだろう。
シャルカさんから渡されたゴーレムは、土のゴーレムだと言っていた。慎吾の『地鎮』は、土地を清めたりする効果がある。この子が進化できたのは、その辺に関係があるのだろう。
『いえ、寵愛です』
メイド風ゴーレムは、そこを譲る気はないようだった。
「なんでもいい、まとめて殺せ…今さらゴーレムの一匹や二匹、増えたところで意味はない!」
しびれを切らしたように、頭首のガガロが復讐者たちに命じた。
「危な…」
ワタシの声が届く前に、フードの男たちが襲いかかってきた。
アンダルシアさんも、もうあまり動けない。
『ありませんよ、二度目の負けは』
男たちを弾き返した。
いや、弾き飛ばした?
飛びかかってきた復讐者たちを、ゴーレムの彼女は素早い動きで躱し、隙ができたところに拳を叩き込む。
復讐者たちは、ゴムまりのように吹き飛ばされていた。
『私が傷つけば、慎吾様を悲しませてしまいますので』
慎吾から聞いた話では、前に襲われた時、ゴーレムは復讐者たちに壊されてしまったはずだった。だが、このメイド風ゴーレムの彼女は一切の傷を負わなかった。
相手は、複数で同時に殴りかかってきていたのに、だ。本当に慎吾の『地鎮』で強化されている。
ただ、復讐者たちに対して、この子は決定打を打てていなかった。
…彼女が、ワタシたちを守りながら戦っているからだ。
『慎吾様は、今こちらに向かっています』
不意に、そんなことをゴーレムの彼女が言った。
「分かる、の…?」
『慎吾様と私は魂で結びついておりますので』
「そう…なんだ」
慎吾とティアちゃんが…来てくれる。
それだけで、ワタシの中で希望が芽生えた。
「少しは頭を使え…囲んで『投擲』を使うんだよ!」
苛立ちを隠そうとせず、ガガロが叫んだ。
頭首の声に呼応し、フードの男たちがワタシたちを取り囲む。
そして、拳大の石を、投げつけてきた。
その速度は、ワタシの目で追えるモノでは、なかった。
『ふぅ!』
だが、ゴーレムの彼女は、その石すら素手で叩き落とした。
「すご、い…」
ワタシは感嘆の声を上げた。
…けれど、気付いた。
ゴーレムのあの子の手が…先ほどの投石を防いだその右手が、少し、欠けていた。
「あなた…その手、は」
『頭を下げて身を屈めなさい!』
ゴーレムの彼女が叫ぶのと次の石が飛んできたのは、ほぼ同時だった。
復讐者たちは、ただ石を投げているだけでは、ない。
これは、スキルで強化された投石だ。
筋力を上げ、石の硬度を高めた投石だ。
そんなモノ、砲弾と、何ら変わらない。
…そんなモノが、何度も撃ち込まれた。
『ふっ!』
ゴーレムの彼女が、ワタシたちを守ってくれている。
投石を防ぐたびに、彼女の体のどこかが欠ける。
じわじわと、彼女の体が削られる。
…慎吾が悲しむから、傷を負いたくないと、この子は言っていたのに。
「おぉ!」
アンダルシアさんの手足は部分的に光っていた。
体の一部を硬質化させる『硬化』のスキルだ。
その『硬化』スキルを発動させ、老紳士は投石からワタシたちを守ってくれていた。
けど、いずれ、力尽きる。
飛んできているのは、砲弾と同じ石礫だ。
ゴーレムの彼女も、アンダルシアさんも。
いずれは、力尽きる。
ワタシの側頭部の辺りを、投石がかすめた。
風圧だけで、意識が飛びそうになった。
血の気は、一瞬で引いた。
…あんな勢いで投げられた石が頭を直撃すれば、スイカよりも簡単に、ワタシの頭は弾け飛ぶ。
無残に脳漿を撒き散らして。
繭ちゃんだって、そうだ。
雪花さんの頭だって、弾け飛ぶ。
…ここで、みんな、死ぬ。
みんな、死んじゃう。
もうすぐ、慎吾が来るのに。
頭の半分を吹き飛ばされたワタシを見下ろす慎吾の姿が、脳裏に浮かんだ。
「…いやだ」
死ぬのは、いやだ。
もういやだ。あの暗いのはいやだ。
「いやだいやだいやだ…いやだいやだ」
こんな死に方は、いやだ。
死にたくない死にたくない死にたくない。
「いやだあああああああああああああああああああああああ!」
立ち上がり、叫んだ。
眩暈がした。
動悸がした。
呼吸が困難になった。
それでも、ワタシは叫び続けていた。
何度も何度も、「いやだいやだ」と。
「もう遅いぞ」
ガガロはせせら笑っていた。
ハエやカでも潰すように、お気軽に、ワタシたちの命を奪おうとしている。
…コイツらは、ホンキだ。
「いやだあああああああああああああああああああああああああああああああ!」
それでも叫び続けていた。
いやだ。
にどもしぬのはいやだ。
「もうてんせいできないんだぁ!」
わたしもせっかさんもまゆちゃんも。
みんな、もうてんせいできない。
てんせいは、いっかいしかできない。
…だからしにたくないんだぁ。
「なん…だ?」
最初に異変に気付いたのは、ガガロだった。
他のフードの男たちも、動きを止めていた。
「なにが…起こっている?」
満身創痍のアンダルシアさんも、異変を感じ取っていた。
繭ちゃんと雪花さんも、ゴーレムの彼女も。
気付いていなかったのは、ワタシだけだった。
ワタシの意識は、急速に遠退いていた。
そして、場は、禍々しい気配に…覆われていた。
地鳴りのような、音もしていた。
「これ…は、なんだ?」
頭首の男…ガガロが視線を向けた先は、邪神の亡骸だ。
二つ揃ったあの亡骸が、拍動していた。
邪神の亡骸が、秒刻みで、存在感を増していく。
黒い渦が生じていた。
あの亡骸を中心に。
しかも、何本もの黒い渦が。
「何が…起こっている!?」
あのガガロが狼狽えていた。
無理もない。
黒い渦が、復讐者たちを、殴り倒していた。
木の幹ほどの太さを持った黒い渦が、意志を持ったように復讐者たちを薙ぎ倒す。
ざまーみろ。
黒い渦は、何度も何度も、執拗に復讐者に襲いかかる。
アイツらは、逃げ惑うことしかできない。
スキルで防ごうとしても質量で圧し潰されて。
スキルで逃げようとしても速さで追い付かれて。
無様に叫びながら、倒されていく。
スキルが、何の役にも立っていなかった。
阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
ざまーみろ。
ざまーみろ。
ほら、もっとにげろよ。
むねがすっとした。
わたしのむねのなかから、なにかがぬけていくようだった。
「花ちゃん…花ちゃん!」
繭ちゃんの声が、遠くから聞こえる。
…あれ、なんで遠いの?
「花子ちゃん!」
雪花さんの声も、遠くから聞こえる。
二人とも、どうしてそんなに遠いの?
いやだよ。
二人とも、もっとそばにきてよ。
ワタシを置いて、いかないでよ。
…でモね。
いま、忙しいンだ。
ちょっと待っててネ。
アイつら、たたイテつぶしちゃうカラ。
シンごをクルしめタやツも。
セッかさンをいじメたヤつも。
まユちゃんヲなかセたやつモ。
みンナまとメて、ツブしちゃおウね。
そしタら、ミンなでかえロウね。
…カえるっテ、どコにダっけ?
「しっかりしてよ、花ちゃん!」
「花子ちゃん!」
二人の声が、少し近くから、聞こえてきた。
ワタシの目の前に、二人がいる。
繭ちゃんの鎖も猿轡も、いつの間にか外れていた。
「あれ、ワタシ…ずっとここにいた?」
「何を言ってるの、花ちゃん!」
「今の内に、ここから離れるよ!」
繭ちゃんと雪花さんの言葉で気が付いた。
復讐者たちが、倒れていた。
全員では、なかったけれど。
黒い渦は、いつの間にか収まっていた。
「くそ…くそ、邪神の亡骸はもう動かないんじゃなかったのか!?」
頭首の男…ガガロが起き上がり、悪態をつく。
どうやら、この男もあの黒い渦に殴り倒されていたようだ。
「人間が邪神なんぞに手を出すからだ」
アンダルシアさんは、右腕を抑えながら呆れたように言った。
「うるせえよ、コイツにはもう魂がないんじゃなかったのかよ…まだ動きやがるじゃねえかよ!」
「その邪神には、もう魂はないぞ」
アンダルシアさんは、ガガロに断言した。
そうだ。この人は生き証人だ。
この人の奥さんが、その邪神の魂を抱えて、別の世界に転生を果たしたのだから。
「じゃあなんで動いたんだよ!魂がないならよぉ!」
「それは…」
アンダルシアさんは、そこで口籠った。
そして、少しだけワタシを見た。
まあ、そうだよね。
…あの邪神を甦らせたのは、ワタシだ。
「虚仮にしやがって…虚仮にしやがってええええええ!」
額から血を流し、それでもガガロは立ち上がった。
「殺す、殺す殺す殺す…殺すぁ!」
呂律の回らない状態で、ガガロは叫ぶ。
「…………」
『…………』
アンダルシアさんとゴーレムの彼女が、再びワタシたちを守るために立ち塞がってくれた。
けど、ゴーレムの彼女もアンダルシアさんも、既に限界を迎えている。
…次に、襲いかかられたら。
そこに、空から降ってきた。
隕石かと見紛うほどの、真っ赤な質量が。
「なん…だ?」
わけが分からず、ガガロは戸惑っていた。
けど、ワタシは知っていた。
その赤い質量が、何なのか。
「何者だあ!?」
戸惑いながら、ガガロは叫ぶ。
「通りすがりの婚活娘だぁ!」
とんちんかんなことを、赤い質量が叫ぶ。
けど、そのズレっぷりが、ワタシを安心させてくれた。




