39 『ワタシたちの勝ちだッ…エピソード1完!』
「通りすがりの看板娘だぁ!」
一世一代の啖呵を切った。
相手は人類最強といって差し支えのない、戦闘のエキスパート集団だ。ワタシのような細腕の小娘が何人集まったところで、この連中にとっては物の数ではない。
「…………」
案の定、復讐者たちはワタシに対してうすら笑いを浮かべているだけだ。
ワタシのことなど、歯牙にもかけていない。
ワタシに対して目線すら合わせない者も、ちらほらといた。
「返せ…ワタシたちの繭ちゃんを返せよ!」
再び、吠える。
呼吸はしっちゃかめっちゃかで、頭に血が昇り、思考すらまとまらない。血管を巡る血液が逆走でも始めたのかと思ったほどだ。おそらく、今のワタシの目は血走っている。乙女の形相としては、及第点を下回っているはずだ。
それでも、ヤツらはフードの下で、ワタシを嘲笑う。
決死の覚悟をしている人間を、せせら笑う。
「返せとは、この小娘のことか?」
連中の一人が、繭ちゃんの髪を掴んで持ち上げる。繭ちゃんは、猿轡をされていて声を出すことができない。それでも、繭ちゃんがかなり痛がっていることは分かる。
「当たり前だろ…その子はワタシたちの家族だ!」
絶対に失いたくない、家族だ…家族は、失えば二度と手に入らないんだ。
ワタシたちは、いやというほどそのことを知っている。
家族を失くして平気なヤツなど、ワタシたちの中には一人もいない。
「この小娘が家族、か」
繭ちゃんの髪を掴んでいたフードの男が、そこで手を離した。興味を失くした玩具を、乱雑に放り投げるように。いや、実際コイツは繭ちゃんに興味がない。興味がないから、繭ちゃんが男の子だということも知らない。知ろうともしない。
コイツらは、誰のことも知ろうとしていないんだ。
「繭ちゃんに何をする!」
「こんなモノ、ただ邪神と同じスキルを持っているだけの小娘ではないか」
フードの男は、横柄に言ってのける。
繭ちゃんなど、邪神のスキルの入れ物だ、と。
「やっぱり、あんたたちが邪神の亡骸を盗んだのか…」
…落ち着け。
飛び跳ねそうになる鼓動に、そっと言い聞かせる。
ワタシの目的は、時間稼ぎだ。
この連中とチャンバラをやりに来たわけではない。
相手がこちらを舐めてくれているのなら、寧ろ好都合だ。
…だから、落ち着け。
「ああ。我々は、既に邪神の亡骸を二つとも手に入れている」
フードを被っていても、男が得意げに口角を上げたことは分かる。どうやら、自慢話は好きなようだ。
だから、問いかける。
「…何の、ために?」
「邪神が持つ最悪のユニークスキル…『邪眼』を、我々の手中に収めるためだ」
「『邪眼』…」
邪神のスキルは、見つめるだけで対象の生命力を奪う。
それは、最低のスキルだ。
過去、邪神はこのスキルで、夥しい数の被害者を生んだ。この世界で最も忌み嫌われた存在だ。
その邪神という存在に、この連中は手を出そうとしている。それも、おそらくは遊び半分で、だ。
その証拠に、フードのこの男はこの状況に浮かれている。
自分が何をしでかしているのか、まるで理解をしていない。
「そう、『邪眼』だ。最強にして最悪のスキルだ…私の瞳に映った相手は、誰もがその命を散らすことになる」
自己顕示欲の権化のような男は、フードの下でほくそ笑む。
フードの男に、ワタシは言った。
「その『邪眼』の情報を手に入れるために、サリーちゃんを脅迫したのか…」
「サリー?ああ、ギルドの猫女か」
…コイツは、脅した相手の名前すら把握していなかったのか。
「そうだな、少し脅させてもらったぞ」
「…少し?」
「ああ、少しだな。あの猫女の弟だか妹だかを、少し怖がらせただけだ」
「…………」
あの責任感の強いサリーちゃんが、『少し』でギルドの機密を外部に漏らすはずはない。
しかも、それは繭ちゃんに関する機密だ。
サリーちゃんが大好きな、繭ちゃんを危険に晒す機密だ。
…間違いなく板挟みで苦しんだはずだ、サリーちゃんは。
そして、その苦しみは、サリーちゃんの心を、これからもずっと抉り続ける。
この先、サリーちゃんは、本当の笑顔を浮かべることが、できなくなる。
「でも」
拳を握り込みながら、ワタシは言った。
今にも、殴りかかりたい。
ワタシたちの全てを子バカにしているこの男に、殴りかかりたい。
…その衝動を、押し殺す。
自分の心を、殺してでも。
今、ワタシがやらなければならないのは、感情に任せてこの男を殴ることでは、ない。
「でも、繭ちゃんから邪神のスキル…その『邪眼』を奪えたとしても、邪神の亡骸が存在している限り、『邪眼』は使えないはずだ」
この連中は、星の一族と呼ばれるスキルに精通した一族だ。他の人間からスキルを奪うスキルすら扱える。それを使い、繭ちゃんから『邪眼』を奪おうとしている。
しかし、ユニークスキルは強力だが、その分、この世界に多大な負荷をかける。同じユニークスキルの使い手が複数存在する場合、その発動が行えないように世界がブレーキをかけ、スキルの発動そのものを不可能とする。繭ちゃんからその『邪眼』を奪ったとしても、この男がそれを発動することはできない。
邪神の亡骸が、この世界に存在している間は。
「ならば、この亡骸を消滅させればいいだけではないか」
フードの男が、別のフードの男に目配せをした。指示された男は、台座に乗せられた薄気味の悪い肉の塊を、二つ、持ってきた。
それは、交互に脈動していた。代わりばんこに蠢いていた。
黒い…二つの赤黒い肉塊の表面で、鮮血の色をした血管が規則正しく明滅を繰り返す。
一目で、それが現世にあっていいものではないということが、理解できた。
「そんな方法が…あるの、か?」
あるとすれば、このソプラノから邪神の脅威を完全に取り除くことが可能となる、が。
「知らん」
「知ら…ない?」
コイツは、なにを、言っている?
何の保証も確証もないのに、邪神の亡骸を二つ、揃えたのか?
そこで邪神が復活する可能性を、ほんの少しも考慮しなかったのか?
「我々は星の一族…それも、選ばれし者のみで構成された『復讐者』だ。その気になれば、こんな肉の塊など如何様にもできる」
「…………」
絶句していた。
この連中は、ここまで浅墓なのか、と。
「頭首、準備が整いました」
フードの男の背後から、別の男が声をかけた。
先程からべらべらと喋っているあの男が、リーダーだったようだ。
こんな子供じみた集団の、稚拙なリーダー。
天賦の才を、自惚れのためにしか浪費できない男。
「貴様もそこで見物していくがいい。我が、究極のスキル…『邪眼』を手に入れるところを」
大仰な口調で、大袈裟な仕草で、男が歩を進める。
ワタシは、男に言った。苦虫を嚙み潰したような顔を、隠すことなく。
「…そんなスキルが欲しくて、ワタシたちの世界に転生者を送りこんだのか」
そして、命を奪った。
甲田繭の。
「そうだ」
微塵も悪びれることなく、男は言った。
一瞬で頭が沸騰しそうになったワタシは、問いかける。
「一度でも考えたことは、なかったのか…理不尽に家族を奪われた人たちの、心を」
ダレカがいなくなった時の、あの喪失感…。
昨日までの当たり前が、明日からは当たり前でなくなる、あの虚無の感覚。
ワタシの家族も、あの痛みを、味わっている。
ワタシが、あの世界からいなくなってしまったからだ。
…コイツは、故意にあの痛みを生み出している。
「いきなり家族を失うんだぞ、それを考えれば…」
「異世界に転生させた者たちの中には、我の子供もいた」
「…………」
「というか、率先して送った。異世界で使命を果たすためには、都合よく動く駒が必要だったのでな」
このおとこは、なにを、いっている?
自分の子供を…?
自分の家族だろ?
それを、真っ先に転生させた?それが使命?
アンダルシアさんが自分の奥さんを転生させて、どれだけ苦しんでいるか。
コイツに、その苦しみはないのか?
家族を失った痛みはないのか?
「頭首、そろそろ『邪眼』を奪いませんか…あの女の仲間には、『隠形』のユニークスキルを持つ者がいたはずです。おそらく、どこかで機を窺っているものかと」
「ああ、そうだな」
頭首と呼ばれた男は、満足気に笑う。
この男は、単に自慢がしたかっただけだ。
自分は優秀だ、と。自分にはこれだけのことができる、と。自分は何をしても許される、と。自分は誰よりも頭がいい、と。
…だから、ここまで幼稚なことが、この男は素面で行える。
「来い、小娘」
頭首と呼ばれたフードの男は、繭ちゃんの髪を引っ張り、歩かせた。
その先では、地面が白く発光していた。
理屈など知りたくもないが、おそらく、繭ちゃんのスキルを奪うためにはあの光が必要なのだろう。
「…………」
正直、焦っていた。
もう少し、会話で時間を稼ぎたかったが、タイムリミットが近い。
…ワタシが、動くか?
ダメだ。最悪、一瞬で殺される。
ワタシが死んだら、みんな、苦しむ。
繭ちゃんは、特に苦しむ。
たくさん、たくさん、みんなで笑った。みんなで一緒に、毎日、ご飯を食べた。
それが、今のワタシたちの当たり前で…その当たり前が、泡沫の幻想になろうと、している。
慎吾から借りたゴーレムを、ここで使うか?
けど、周りには十人以上の復讐者たちがいる。
せっかくシャルカさんに直してもらったゴーレムが、今度こそ完全に破壊されてしまうかもしれない。
なら、ワタシは…どうするべきだ?
「ああ、先に教えておいてやろう」
不意に、フードの男がワタシに視線を合わせた。
これまで、ろくに視線も合わせなかった、くせに。
「…何を?」
スキルを奪われた人間は、死ぬぞ
「……………………は?」
「スキルを奪うこのスキルは、相手を殺してスキルを奪うのだ」
…コイツは、ナニを、イッテ、いる?
「この娘の死体なら、返してやるぞ」
ふっざけんなあああああああああああああああああ!
「あああああああああああぁ!」
ワタシは、殴りかかった。
ばたばたと足を動かして。
ぶんぶんと腕を振り回して。
「…!」
ワタシは、払われた。
ハエでも追い払うように雑に動かした腕で、簡単に払われた。
たったそれだけの動作で、ワタシは吹き飛ばされた。
生物としての強度が、まるで違っていた。
「がぁ…ああああああああぁ!」
吹き飛ばされたワタシは、即座に立ち上がろうとしたが、足が痙攣してまともに立てない。
痛みはあったかもしれないが、痛みは感じていなかった。
ただ、口の中が、鉄臭かった。
右手で顔をぬぐったら、血がついていた。
鼻血が、出ていた。
そんなワタシを、頭首と呼ばれたアイツは、悪趣味な薄ら笑いを浮かべたまま、眺めていた。
アイツは今、ワタシという虫けらを、見ている。
ワタシの頭上を、影が跳んだ。
後方からワタシを飛び越え、影は、ワタシの前に着地した…その背中が、見えた。
…歓喜、した。
来て、くれたんだ。
間にあって、くれたんだ。
ワタシの視界が、そこで滲んだ。
テンションの箍が、そこで外れた。
狂ったように、叫んだ。
いや、この時のワタシは、完全に狂っていた。
「ざまーみろ!ワタシたちの勝ちだッ…エピソード1完!」




