3 『こんなの絶対におかしいよ!』
「こんなの絶対におかしいよ!」
ワタシの魂の叫びは、虚しくこだましていた。
深刻さで言えば、本家にも引けを取らないはずだ。
慎吾たちは、ただ野球ができる環境を整えていただけなのに、次から次へと頓狂な強制イベントが乱立した。
ゴーレムだの伝説の大蛇だの宇宙人っぽいナニカだの…箍が外れた乱癡気騒ぎの見本市だった。そりゃ、ワタシだって叫びたくもなるのだ。
『あの、花子…さん?』
さしもの女神さまも、唐突なワタシの叫び声に目を丸くする。
軽く咳払いをしてから、何事もなかったようにワタシは続けた。
「まあ、細かい経緯は割愛させてもらいますけど…」
本来なら割愛していいものではないのだが、慎吾たちの活動とその結果をありのまま報告すれば、ワタシの頭がイカれたか、今になってワタシが『ドグラ・マ◯ラ』でも読んだのかと疑われるだけだ。
「…とりあえず、慎吾たちの草の根的な活動もあって、野球の試合ができるくらいの環境は整ったんですよ」
『なるほど、それで今では野球が大人気になった、ということですか』
「いえ、その、普通に人気が出たというか…」
ここから先も、聞くも涙、語るも涙の物語なのだった。
泣くのは主にワタシだけだが。
「野球人気に火をつけたのは、妙なジンクスだったんですよね…」
『ジンクス…?』
先刻から、女神さまは困惑しっぱなしだ。
けど、当事者であるワタシはその困惑を一月以上も味わい続けている。少しくらいはお裾分けをしても罰は当たらないはずだ…はずですよね、女神さま?
「ええ、ジンクスですよ…野球を見に行ったら『生き別れの弟と再会できた!』とか、『生まれて初めて彼女ができた!』とか、『家出していた犬が帰ってきた!』とか、『魚がたくさん釣れた!』とか、『膝関節の痛みが軽減した!』とか、『散歩中に小銭を拾った!』とか、『初孫が生まれた!』とか、『薄毛が治った!』とか、意味の分からないジンクスが鈴生りで発生したんですよ」
『それは本当に野球のお陰なのですか…?』
女神さまの困惑も、そろそろ有頂天だ。
「特に、そのジンクスの中で最も許されないのが…『野球を見に行けば胸が大きくなる!(ただし、元のカップ数がC以上に限る)』ですよ!」
Cにあらずんば人にあらず、ってか?
どこまでワタシの逆鱗に触れれば気が済むのだ、あのバカは…。
「まあ、そうしたジンクスなんかもあり(?)、野球は少しずつ市民権を獲得して、今やこの王都は猫も杓子も野球一色ですよ…女神さまはアイツにどんなチートスキルを授けたんですか」
ワタシたち転生者は、この世界に来るときに女神さまから『ユニークスキル』と呼ばれる、この世界には存在しないはずのスキルを一つだけ授けられていた。
アイツも、何かとんでもないユニークスキルを授けてもらったはずだ。でなければ、ここまでトンチキなサクセスストーリーになるはずがない。
『慎吾さんに差し上げたのは、整地をすればするほどその適性が伸びるスキルですよ』
「…セイチ?」
ああ、整地か。
…うん?
『グラウンドを整備するのに必要だから、と慎吾さんが選んだのですよ…他にも『レーザービームが投げられるスキル』とか、『マサカリ打法が打てるスキル』とか、『当たってないのにデッドボールだと判定されるスキル』などもあったのですが』
「なんでそんなニッチなスキルがあるんですか…」
そのラインナップなら、『牽制球でアウトにならないスキル』とかもありそうだ。
というか、慎吾のヤツは整地スキルとか選んだのか。
…異世界とか来てるのに選ぶか、それ?
「そういえばアイツ、阪◯園芸みたいにキレイな整地してたな…」
練習の終わりに、アイツが妙に嬉しそうにトンボ掛けをしていた光景を思い出した。
『慎吾さんの心残りは、野球でした』
「心残り…」
そのフレーズを出されると、こちらも強くは言えなくなる。
『県大会の決勝戦に行く途中で、慎吾さんは事故に遭ったそうなんですよ…そして、そのまま帰らぬ人になってしまいました』
「…お守りでも忘れたんですか?」
『どうして分かったのですか?』
「…いえ、あてずっぽうです」
別に当たらなくてよかったのだが…。
『慎吾さんはエースではなく二番手のピッチャーだったそうですが、事故に遭ったことをすごく悔しがっていましたし、残された仲間たちのことをとても心配していました。こんな大事な時に自分が死んでしまったら、他のみんなが野球に集中できない、と…すごく仲間思いなんですよ、慎吾さんは。なので、彼には一切の未練がないように生きて欲しいのです、そちらの世界では』
「そう…だったんですね」
というか、分かっていた。アイツの熱意に裏表がないことは。
アイツは誰よりも遅くまで野球の練習をしていたし、誰よりもみんなの練習を見てあげていた。練習の後は一人で道具の補修をやっていたし、整地をした後は一礼してからグラウンドの外に出ていた。しかも、早朝から農作業などをやりながら、だ。
ワタシも未練があってこの世界に来たクチだが、アイツの真摯な姿勢には、たぶん、及ばない。
『なので、花子さんも慎吾さんとは仲良くしてあげてくださいね』
「無理ですよ…ワタシとアイツは相容れません」
見習うべきところがあるのは認めるが、それとこれとは話が別なのだ。
『いい人ですよ、慎吾さん』
「いい人かもしれませんが…アイツは、ワタシが絶対に許せない禁忌に触れたんです」
『胸がタイラーなことをイジられたのですか?』
「しょうちしましたきさまはきる」
いや、実はアイツは小さい胸をバカにしたりはしない。寧ろ褒めてくる。大きい方が好みなのかもしれないが、だからといって小さい胸を蔑ろにすることはなかった。
…どっちにしろ女の敵だがなぁ!
「ワタシは、アイツにこの世界での名前をつけてあげようとしたんですよ」
異世界には、異世界のTPOに沿った名前が必要となる。これは、ワタシの矜持でもあった。
『どんなお名前だったのですか?』
「この異世界だと和名は合いませんし、折角なら『アンダルシア・ドラグーン』って名乗ったらどうかなって、ワタシは提案したんですよ…そしたら、アイツはこの名前を『ダサい』の一言で一蹴したんですよ!」
『それは…』
なぜか、女神さままであの時のアイツと同じ、微妙な表情を浮かべていた。
『ですが、慎吾さんとは仲良くしてくださっているようでワタクシも安心しました』
「どうしてこれまでのエピソードでそう思えたんですか…」
ワタシ、ほぼ不満と泣き言しか言ってないのですが…。
『やはり、近くにいれば絆も深まりますね』
「近くにいても、水と油は混ざらないんですよ」
混ざったように見えるだけなのだ。
『でも、同じ虫かごに入れていたカブトムシはいつの間にか交尾をしていましたよ』
「カブトムシと同列で語らないでくださいますか!?」
そんな感覚だったのか!?
夏休みの自由研究か!?
「兎に角、結論としましては…」
ここに来るまで、どれだけの時間がかかったことか。
横道にそれまくったおかげで、もはや何の話なのか分からなくなってきたが。
「野球人気が加速して、みんなが野球に夢中になった所為で…」
そこで、呼気を整えた。
そして、世界の中心で愚痴を叫ぶ。
「誰も冒険に行かなくなってしまったんですよ!」
『冒険に行かなくなった…?』
さすがのアルテナさまも、信じられないという目をしている。
そして、これこそが、目下の悩みの種だ。
いや、これはもう種どころか大樹にまで育っている。
ワタシだって思うよ。冒険者が冒険に行かないとか、そんなことある?って。
「依頼が来るんですよ…冒険者ギルドには依頼がたくさん来るのに、冒険に出る冒険者がいないんですよ!」
ギルドに顔を出す冒険者すら稀になった。
どんな異世界物語だよ。
「街中で『冒険なんてだっせーよな!』とか『野球の方が面白いよな!』とか聞かされたワタシの気持ちが分かりますか!?」
湯◯専務は、よくこの仕打ちに耐えられたものだ。
『ですが、冒険者さんたちも依頼をこなさなければ生活ができないのではないでしょうか?』
はい、来た正論。
その正論はすでに駆逐されてるんですよ。
駆逐したのは、アナタが送ってきた転生者ですからね!
「野球が流行った所為で、新しい雇用とかも生まれちゃってるんですよ!」
ワタシの熱弁は、さらに熱を帯びる。
熱量でいえば、稼働時のプレ○テ3並みだ。
「新しいスタジアムの建設とかユニフォームの制作とか、野球観戦の合間に食べる串焼きとかお酒とか、それらを売る売り子さんとか、着ぐるみのマスコットの中身とか…冒険者さんたちはそういうとこで収入を得るようになっちゃったんですよ!」
冒険者である彼ら彼女らは、卒なく器用になんでもこなしていた。というか、あの人たちは柔軟性が異様に高い。くぐった死線の数が違う、ということだろうか。まさか、その柔軟性がこんな形で発揮されるとは思わなかったけれど。
「しかも、野球チームがいくつも作られるようになって、リーグ戦まで始まりそうなんですよ!さらにはスポンサーまでついちゃいましてね!そこそこ順風満帆ですよ!」
…まあ、そのスポンサーとの交渉に奔走したのは、他ならぬワタシだったりするのだが。
だって、アイツに頼まれたし…。
アイツが必死だったの知ってたし…。
「兎に角…冒険者がいないから、人手が致命的に足りないんですよ!ギルドが回らないんですよ!」
マジで過労死するかもしれない。看板娘が死んだら、ギルドにとってどれだけの損失になることか。
「で、送ってくれるんですよね…アルテナさま」
『ええと…お中元ですか?』
「お中元も大三元もいりません!新しい転生者ですよ!」
ワタシが最後に泣きつく相手は、結局この人(?)になる。
「最初に言っていましたよね、素敵な仲間が増えますよって!」
アイツが送られてきた時と同じ謳い文句だった。あの時と同じように一抹の不安を感じていたが、もはや些末なことだと割り切ることにした。背に腹は代えられないのだ。
「新しい転生者がこっちに来てくれるなら、今の人手不足だって解消されるかもしれないじゃないですか!」
その新しい転生者が冒険者として活躍してくれるのなら、ギルドの窮状だって解消される。そのためなら、チーターだろうが俺TUEEEEだろうがなんでもいい。こっちには、手段を選んでいられる余裕はないのだ。
「お願いしますよ、アルテナえもーん!」
『語呂が悪すぎないですか、それ…?』
この時のワタシは、疲労困憊だった。
最近の寝不足で頭も回っていなかった。
だから、この先の展開が読めていなかった。
もし時間が戻せるのなら、未来のワタシは、この時のワタシにこう忠告をしたはずだ。
「おい、その先は地獄なんだぞ」と。