38 『通りすがりの看板娘だぁ!』
この日、人類は思い出した。
神さまに支配されていた、福音を。
箱庭に囚われていた、安寧を。
そして、それはそれとして。
「ぅゎ、ょぅじょっょぃ」
「ぅゎ、ょぅじょっょぃ」
ワタシと雪花さんは、ステレオで同じ台詞を呟いていた。
ひどく頭の悪い感想ではあるが、目の前ではリアリティを足蹴にしたようなとんでもない光景が繰り広げられていたのだから、それもご容赦を願いたい。
『ふはははー、落ちろ、カトンボ共ー!」
ティアちゃんが高笑いをしながら右に手を振ると地面が隆起し、吹き飛ばす。
左に手を翳せば巨石が宙に舞い、弾き飛ばす。
復讐者を名乗る、星の一族を。
木っ端のように、次々と薙ぎ払う。
「一方的ではないか、我が女神は…」
あまりの光景に、雪花さんがそんな台詞で驚いていた。
「花子ちゃん、あんな子と喧嘩してたんだね…」
「わ…ワタシとティアちゃんは、仲良くケンカしてただけですから」
震え声でそう言うのがやっとだった。
いや、マジで怖いわ、今のあの子。
そこそこの四面楚歌だった状況が、ティアちゃんによる八面六臂の大活躍で簡単に引っくり返ってしまった。
フィーネさんに、『探査』のスキルで繭ちゃんの居場所を突き止めてもらったワタシたちは、繭ちゃんが攫われた王都の外れにある鉱山跡地に向かった。けれど、その途中で、ワタシたちは復讐者の待ち伏せを受けてしまった。
しかし、ティアちゃんはそんな待ち伏せなど物ともせず、スキルだか魔法だかよく分からない超常の力で復讐者を蹴散らしていた。思わず、「もう全部ティアちゃん一人でいいんじゃないかな…」と、そんな思考をワタシが抱いてしまったほどだ。
『…そんなに甘くはないぞ』
いつの間にか全ての復讐者を叩きのめしていたティアちゃんが、そう言った。
『正直、この連中の力を見誤っておった…本丸に辿り着く前に、力を使い果たしてしもうたわ』
ティアちゃんは肩で息をしていて疲労困憊だった。力を使い果たしたというのは、本当のようだ。ティアちゃんはぐったりとして、慎吾に寄りかかっている…というか、抱き着いている、というか縋り付いている。というか、そのままシームレスに膝枕の体勢に移行していた。
「ティアちゃん…」
膝枕に関しては一言くらい言及したかったが、ここは呑み込んだ。
『すまんが、お主らは先に行け…』
「そう…だね」
正直、先ほどまでの無双ぶりなら、ティアちゃんがいれば余裕で繭ちゃんを助けられると高を括りそうになっていた。
『心配するな、今、ダーリンに力を回復してもらっておる…力が戻り次第、すぐに追い付いてやる』
慎吾が持つユニークスキルは『地鎮』といって、土地の浄化や回復などを行うことができる。今、慎吾はその『地鎮』を使い地母神であるティアちゃんの回復を行っているようだが…銀髪の幼女を膝枕するという、絵面が完全にヤバい状態だった。
「ありがとうね、ティアちゃん…」
『ふん、子供扱いするではないわ』
ティアちゃんの頭を撫でながら言ったワタシに、ティアちゃんは舌を出してあっかんべえをした。
「じゃあ、行ってくるね。ティアちゃん、慎吾…」
『無茶だけは…絶対にするなよ』
ティアちゃんはワタシから目を逸らし、照れくさそうにしていた。
「分かってるよ…ワタシたちは、時間が稼げればそれでいいんだから」
そう、時間を稼ぐだけで、いい。
「花子、これ持ってけ」
「慎吾…?」
慎吾がワタシに投げてよこしたのは、小さな人形だった。
「ゴーレムってヤツだ」
「でも、慎吾のゴーレムは壊されたんじゃなかった?」
ワタシたちは、シャルカさんから護身用のゴーレム…生きた魔導人形を受け取っていた。けれど、復讐者たちには力が及ばず、慎吾のゴーレムは復讐者に襲われた時に破壊されてしまった。はずだ。
「本体は壊されたんだけど、コアとかいうのは残ってたらしいんだ。で、シャルカさんが直してくれたんだよ」
「よかったね…この子、壊されてなかったんだね」
ワタシは、慎吾から受け取った人形を軽く撫でた。
慎吾は、自分を守ろうとして破壊されたゴーレムのことを気にかけていた。
「ああ…でも、あの連中はかなり危険だ。正直、花子たちだけで行って欲しくは、ない」
「大丈夫、戦いに行くわけじゃないからね…繭ちゃんを助けたら、すぐに逃げるよ」
「お前は、繭ちゃんが死んだら生きていけないって言ってたけど…花子が死んだら、オレたちだって生きていけないんだからな」
慎吾の声に、雑音は一切、混ざっていなかった。
だからそれは、慎吾の心を切り取った声だ。
「じゃあ、ちゃんとみんなで帰って来たらさ…慎吾がご褒美ちょうだい」
ワタシは屈み込んで慎吾の顔を覗き込み、おねだりをした。
「ご褒美って…何が欲しいんだよ?」
慎吾は、なぜか軽く瞳を逸らした。
「それはねえ…」
そんな慎吾に、さらに顔を近づけた。
そして、小声で呟く。
「慎吾の畑でさ、にんにくを育てて欲しいなって思ってさ」
精一杯の猫撫で声でお願いをした。
「にん…にく?」
「ダメ…?」
「今すぐは無理だぞ…あと、畑の空いてるところでちょっと作るくらいだからな」
「じゃあ、約束だよ!」
これで、ワタシのモチベーションは天元突破だ。
生きて帰る、理由もできた。
「花子…何度も言うけど、無茶だけはするなよ」
「分かってるよ…行こう、雪花さん!」
ワタシは雪花さんを促がし、走りだした。
雪花さんも小さく首肯してからワタシの後ろを走る。
正直、無謀以外の何物でもない。
相手は、人類最強と言っても過言ではない、スキルのエキスパートたちだ。
対して、ワタシたちはただの看板娘と同人作家だ。
シャルカさんには助っ人を呼びに行ってもらっている。
フィーネさんには、怪我をしたフェリちゃんの様子を見てもらっている。
ワタシたちしか、いないんだ。
繭ちゃんを、助けられるのは。
「…………」
ワタシたちに血のつながりは、ない。
一緒にいた時間だって、そこまで長くはない。
けど、ワタシたちは同じ同じ痛みを、共有している。
なら、ワタシたちは家族にだって、なれる。
失くした家族の代わりだけど、それでも、元の家族と同じくらい、失くしたくない。
「…………」
繭ちゃんの未来を取り戻すために。
繭ちゃんの命を、二度も奪わせないために。
ワタシと雪花さんは、走った。
件の鉱山跡地は、山の中腹にあった。というか、山を切り開いて鉱山を拡張したという方が正しいか。採掘した鉱石を運搬しやすくするために道幅などは広く整備されていたし、周囲の木々も伐採されていた。なので、そこそこ登りやすい山道だったのだが。
「待、って…花子ちゃ、ん」
雪花さんが後ろから声をかけてきた。
「大丈夫ですか、雪花さん」
「………!」
雪花さんは無言でサムズアップなどしているが、さっきのティアちゃんよりグロッキーなのは一目瞭然だった。まあ、この人、基本的に引きこもりだからな…体力はないか。
「ワタシ、先に行きますね。雪花さんは、ここからは『隠形』を使って後から来てください」
「ダ、メ…一人でなん、て絶対、ダメ」
一人でも行こうとするワタシを、雪花さんは引き留めた。
「大丈夫ですよ。さっき慎吾から新しいゴーレムも貸してもらいましたしね」
「そんな、に…足が、震えて、るじゃない」
雪花さんに指摘されて気付いた。ワタシの足は、震えていた。
「武者震いって…やつですよ」
「強がらなくていいんだよ…花子ちゃん、普通の女の子でしょ」
雪花さんは、やさしく諭すように言った。
この人は、ワタシたちのお姉さんだからだ。
「ええ、普通ですよ…何の取り柄もありません」
「だから、無理しなくてもいいん…」
言いかけた雪花さんを、ワタシは遮った。
「何の取り柄もないから…怒ってるんですよ、ワタシは」
拳を握り、ワタシはぶちまけた。
「星の一族?復讐者?ふっざけるなですよ!それだけの力があれば、何だってできるじゃないですか!
街のために使えば、誰だって感謝してくれますよ!みんなが喜んでくれますよ!そしたら、そこからどれだけの笑顔が輪になって広がるか…ちょっと考えれば、誰にだって分かることじゃないですか!」
「花子ちゃん…」
さらに、ワタシはぶちまける。
「けど、ソイツらは、ダレカのためには何もしない。それどころか、繭ちゃんの命を奪おうとしている…二度も、踏み躙ろうとしている!」
最後の言葉を、ぶちまけた。
「これほどふざけた話がありますか!」
ワタシと雪花さんの間を、山の上から降りてきた風がすり抜けていく。
「だから、ワタシは行きます…行って、連中を否定してやります。『お前たちは何者にもなれないって!』『どれだけ力があっても、誰かを蔑ろにする人間は誰にも認められないって!』」
王都には、たくさんの人がいる。
パン屋さんがいて、八百屋さんがいて、酪農家さんがいて、お医者さんがいて、学校の先生がいて…たくさんの人たちがいて、みんながみんな、街のために生きている。
その人たちの方が、よっぽどの英雄だ。
「花子ちゃん…」
「さっきも言いましたけど、雪花さんは『隠形』を使って後から来てください。とりあえず、ワタシは時間を稼ぎます。もし…もしもがあった時には、雪花さんが繭ちゃんを助けてあげてください」
「花子ちゃんが犠牲なって繭ちゃんが助かっても、誰も喜ばないよ」
雪花さんの声は、ワタシの心を震わせた。
雪花さんの中に、ワタシがちゃんといたことが、嬉しかった。
「絶対、無事に帰りますよ、あの家に…慎吾も、畑を全部にんにくで埋め尽くしてくれるって約束してくれましたからね」
「そこまでは言ってなかったと思うよ…」
「じゃあ、後はよろしくお願いしますね、雪花さん」
ワタシは、駆け出した。
自分でも分かっている。
というかワタシが一番、理解をしている。
自分に、何の力もないことくらい。
自分の身の程くらい、自分が一番、知っている。
「…でも、繭ちゃんにも、何の力もないんだ」
そんな繭ちゃんが待っている。
ワタシたちが来ることを、心細いままで待っている。
だから、ワタシは足を動かす。
縺れそうになる足を、懸命に動かした。
鼓動はうるさく、軽い眩暈すら感じた。
それでも、走った。どれくらいか分からないほど、走った。
不意に。
山道は、そこで終わりを告げた。
鉱物を運ぶために整えられた山の中腹が、そこに広がる。
そして、いた。
数十人のフードを被った人間が、そこにいた。
その中央。
鎖でつながれた繭ちゃんが、いた。
血が沸騰するかと思うほど、総毛だった。
「なんだ、貴様は?」
興味もなさげに、フードの男が、繭ちゃんの傍にいた男が、ワタシに問いかけた。
ワタシは、叫んだ。挑戦状代わりのこの言葉を、叩き付けた。
「通りすがりの看板娘だぁ!」




