37 『化け物には変わり者をぶつけるんだよ!』
「繭ちゃんが…どうしたの?」
ワタシではないワタシが、問いかける。
ワタシではない声で、問いかける。
「ねえ…繭ちゃんが、どうしたの?」
小さな妖精をその手に掴み、問いかける。
がらんどうな心のままで、乱雑に。
「やめろ花子!その子を潰す気か!?」
慎吾の叫び声が、どこか遠くから聞こえてくる。切羽詰まったその表情も、フィルター越しに眺めているようで、現実味がひどく薄い。
…私は今、本当にワタシなのか?
「ああ…ごめんね、フェリちゃん」
ワタシは、小さな妖精に謝罪した。
随分と薄っぺらな謝罪だと、我ながら思った。
「兎に角、この子から事情を聞かせてもらおう…この子は、前に繭ちゃんと花子が話してた妖精の子だな?」
慎吾が、両手でフェリちゃんを包むようにそっと、ワタシの手から掬い上げた。
『繭ちゃんが…繭ちゃんがね』
「早く話して」
ただ同じ言葉を繰り返すだけの妖精に、私は苛立ちを感じていた。
…感じて、いたのか?
それすら分からないほどワタシの心は憔悴し、すっからかんだった。
「花子…繭ちゃんが心配なのはみんな一緒なんだよ」
慎吾はそんなお為ごかしを口にするが…。
「みんな一緒?一緒なわけないじゃない!私が誰よりも心配してるよ!あの子をずっと見てきたのはワタシだ!あの子がずっと頑張ってたのを誰よりも知ってるのは、私なんだよ!だから、ワタシ…がぁっ!?」
そこで、破裂音のような音と共に痛みを感じた。
しかも、お尻に。
「ちょ、と…ワタシのお尻に恨みでもあるの!?」
ワタシが振り返った先にいたのは、銀髪幼女のティアちゃんだ。
『少しは落ち着け』
「これが落ち着いていられるわけないでしょ!さっきからずっと『念話』を飛ばしてるのに、繭ちゃんから何の返事もないんだよ!?『念話』でいくら呼んでも、繭ちゃんにワタシの声が届かないんだよ!?繭ちゃ…んにぃ!?」
そこで、またお尻が引っ叩かれた。
『その『念話』は、昨日、失くしたんじゃろうが』
「あ…」
ティアちゃんに言われるまで、完全に失念していた。
ワタシは既に、『念話』を失っている。
ワタシには、もう、何のスキルも、ない。
…じゃあ、あの子を、助けられないじゃないか。
『ふん、そんなことすら分からなくなっておったか』
「だって、繭ちゃんが…」
『これ以上がたがた喚くようなら、ちゅーでその口を塞ぐからな。雪花が!」
「それは嫌だ」
「流れ弾で私のこと狙い撃つの止めてくれない!?」
雪花さんが叫ぶが、ワタシは少し冷静になれた。頭に上っていた血が、すっと下がるのを感じる。そして、ワタシは、みんなに頭を下げた。
「その、ごめん…特にフェリちゃん、本当にごめんね!」
いくら頭に血が上っていたとはいえ、ワタシは、この子を傷つけてしまった。
『大丈夫だよ。なんだかんだで花子ちゃん手加減してたみたいだから、体も羽も傷ついてないし…でも、さっきのお詫びに、繭ちゃんのライブに出してくれるって言ったあの約束は、ちゃんと守ってもらうからね』
「それに加えて、繭ちゃんとフェリちゃんがセットになるキーホルダーも作ってもらいます」
『その約束も絶対に守ってよ!』
フェリちゃんは破顔していた。いたずらっ子っぽい笑みを浮かべて。
「守るよ。その約束を、ワタシに守らせて。だから、お願い…繭ちゃんを助けるために、フェリちゃんも力を貸して」
『当ったり前だよ』
そして、フェリちゃんは話してくれた。
繭ちゃんの身に、何が起こったのかを。
繭ちゃんたちは、ライブに向けた最後の追い込みとなる歌やダンスの練習を行っていた。
そこを、いきなり襲われた。
フードを被った、狼藉者たちに。
だけど、繭ちゃんの傍にはエルフちゃんたちもいた。あの子たちにも繭ちゃんの護衛を頼んでいたし、魔法に長けたエルフちゃんたちと一緒なら大抵のことは退けられると、考えていた。
「…………」
甘かった。
繭ちゃんを連れ去ったという連中は、スタッフの一人を、人質にとった。
そして、繭ちゃんに要求した。
自分たちについて来い、と。
繭ちゃんは、それに従った。
フェリちゃんは不意を突いて繭ちゃんを助けようとしたが、犯人たちの反撃に遭い、そこで負傷してしまった。今は、シャルカさんから傷をの手当てを受けながら話をしてくれている。
『ごめんね…私が、あの時に繭ちゃんを助けられたら、こんなことにはならなかったのに』
「フェリちゃんが謝らないといけないことなんて、何もないよ。それに、フェリちゃんが無事でいてくれて、本当によかった…繭ちゃんが帰って来た時、フェリちゃんが無事じゃなかったら、繭ちゃん絶対に泣いちゃうから」
あの子は…あの子も、誰かがいなくなることを極端に恐れている。
ソイツらは、そこにつけ込んだんだ。
『だけど、繭ちゃんがどこに連れて行かれたのかも、分からない…』
フェリちゃんは、そこで項垂れた。
連中は、馬車で繭ちゃんを連れ去ったそうだ。
…闇雲に追いかけても、繭ちゃんを助けることはできない。
場は、沈黙に包まれた。
「…繭ちゃん」
聞こえない小声で、あの子の名を呼んだ。
繭ちゃんからの返事は、なかった。
「…繭ちゃん、どこ?」
どこに、いるの?
答えは当然、返って来ない。
もう『念話』が使えないからだ。
また、ワタシの中で暗い感情が膨張を始める。
「花子…」
「…慎吾?」
慎吾は、私の肩に手を置いた。その手が、ワタシの中で膨らんでいた暗い感情を、少しだけ払い落としてくれた。
「花子なら、繭ちゃんの居場所が掴めるんじゃないか」
「無理だよ…もう『念話』もないんだよ」
「スキルなんてなくても、花子にはその頭があるだろ」
慎吾は、人差し指でワタシのおでこを軽く押した。
「昨日だって、それでオレたちを襲った連中の正体を突き止めたじゃないか」
「慎吾…そう、だね」
ワタシは、両手で自分の頬を張った。割りと力いっぱい。痛みで頬が熱くなったが、その熱が、ワタシの視界をクリアにする。ワタシにもまだ、できることは、ある。
病気のせいで何も出来なかったあの頃とは、違うんだ。
「フィーネさん…フィーネさんの『探査』で、繭ちゃんの居場所が分かりませんか?」
ワタシは、フィーネさんに問いかける。
この人は、『探査』という捜索系のスキルを持っている。以前、それで『隠形』のスキルで身を隠していた雪花さんを探し当てたことがあった。しかも、フィーネさんの『探査』はハイエンドクラスと呼ばれる、最高位まで鍛えられている。
「勿論、私も繭ちゃんは助けたいのですが…『探査』はそこまで万能ではありません」
そう話しながら、フィーネさんは地図を取り出した。それは、この王都の地図だ。
「私の『探査』で調べられるのは、地図上の一部分だけです。範囲としては、このくらいでしょうか」
フィーネさんは地図の南東部を人差し指で指差し、小さく円を描く。
…確かに、それほど範囲は広くない。
「そして、私の魔力では『探査』は一日に三度しか使えません…」
「…つまり、無駄打ちはできないということですね」
ワタシの言葉に、フィーネさんは頷いた。
ワタシは、口を閉ざした。
…どうする?
当てずっぽうで、フィーネさんに『探査』を使ってもらうか?
いや、それで空振りだった場合は、本当に打つ手がなくなる。
「なら…」
ワタシは、思考を走らせる。
繭ちゃんを連れ去ったのは、『復讐者』を名乗る星の一族の一派だ。
あの人たちが欲しがっているのは、ワタシたち転生者が持つユニークスキルだ。
だから、繭ちゃんを連れ去った。
だから、雪花さんや慎吾も襲っていた。
「…………」
…もっとだ。もっと、思考を深くしろ。
ワタシの全霊をかけて。もっと、紐解け。
「…邪神?」
不意に、その言葉が浮かんだ。
復讐者たちは、ユニークスキル以外にも、邪神の亡骸も求めていた。
というか、順番的には繭ちゃんよりもそちらが先だ。
これは、偶然か?
繭ちゃんの持つユニークスキルは、邪神と同じモノだ。
復讐者たちは、邪神に連なるモノを欲している?
「…………」
ただ、繭ちゃんも邪神も、現在はそのスキルを扱えない。
ユニークスキルとは、世界に多大な負担をかけるほどの反則技だ。だから、世界で扱える人間は一人に限られる。複数の使い手がいた場合は、世界そのものがブレーキをかけてしまい、そのユニークスキルを発動することはできなくなる。それだけの負荷を、ユニークスキルは世界にかける。
「…それに」
繭ちゃんが邪神と同じスキルを持っていることを知る方法は、復讐者たちにはなかったはずだ。
…しかし、一連の事件が、ただの偶然とも、思えない。
それだけの意志を持って、復讐者たちは邪神に関するモノを集めている。
「けど…」
復讐者たちは、どうやって繭ちゃんの持つスキルを知った?
アルテナさまでもなければ、転生者が持つスキルを知ることなど、できない。
結局は、堂々巡りだった…。
「いや…ある」
転生者たちが持つスキルを知る方法は、ある。
というか、それを記したファイルが、ここにはある。
このギルド内の、事務室に。
「…でも」
復讐者たちが、どうやってあのファイルを閲覧する?
どうやって、事務室の中に入り込んでファイルを盗み見る?
部外者があの部屋に入るのは不可能だ。
このギルド内には、シャルカさんが、天界謹製の防犯設備を展開している。
「…………」
転生者たちのスキルなどが記された、ファイル…。
そういえば、いつか、シャルカさんがこう言っていた。
『あのファイルを見たか?』と。
ファイルの順番が変わっていたことを、シャルカさんが不審に思ったからだ。
「…………」
…アレはいつのことだ?
シャルカさんが二日酔いを起こした、あの日だ。
なら、前日は何があった?
みんなで、鍋を囲んでいた。あの日は、それはそれは楽しかった。
そして。
「サリーちゃん…」
ワタシは、彼女の名を呼んだ。
猫耳尻尾少女の、名を呼んだ。
「な…なに?」
「お願い。繭ちゃんの居場所を教えて」
単刀直入に言った。
サリーちゃんは、耳をペタンとしたまま困惑していた。
「なに…を、言っているの?」
「サリーちゃんだよね。繭ちゃんのスキルのことを復讐者たちに話したのは」
強い口調だった。ワタシの意志が、そうさせた。
「転生者のプロフィールが載ってるファイル…あれ、見たでしょ。そして、復讐者たちに伝えたんだよね。繭ちゃんのスキルのことを」
みんなで鍋を囲んでいたあの日…帰ったはずのサリーちゃんが、いないはずのサリーちゃんが、なぜかあの日のギルドには、いた。
次の日、ファイルの順番が変わっていたと、シャルカさんが疑問に思っていた。
あの日、サリーちゃんがファイルを見ていたからだ。
だから、ファイルの配置がわずかに変わっていた。
「それ、は…」
サリーちゃんは瞳を逸らし、口籠る。
「お願い、サリーちゃん。ワタシに…ワタシたちに、繭ちゃんを助けさせて」
「私は…」
「お願いだよ、サリーちゃん…繭ちゃんを、ワタシたちのところに、返して」
ワタシは、サリーちゃんの両腕を掴んだ。
「お願い…繭ちゃんを、二度も殺させないで」
繭ちゃんは一度、殺されている。
あの子は…あの子が、二度も殺されていいはずが、ない。
「お願い…サリーちゃん」
ワタシは、泣きながら懇願した。それしか、できないからだ。
ここで繭ちゃんにつながる糸が途絶えれば、ワタシたちは、二度と繭ちゃんに会えなくなるかもしれない。
…これ以上の恐怖が、どこにある。
「お願いだよ、サリーちゃん…おねが、い。繭ちゃんに、会わせて」
ワタシはその恐怖に耐えられず、膝をついた。
サリーちゃんは、そんなワタシの頭をそっと抱いた。
そして。
「ここ、か。ここか、ここだと、思う…連中のアジトが、あるのは」
サリーちゃんは、地図上の三カ所を指差した。
「そこに…繭ちゃんがいるの?」
ワタシは涙を流したまま、サリーちゃんが指差した地図上の三カ所を交互に目で追った。
「連中が、繭ちゃんをそのどれかのアジトに連れ去った可能性は…高いと思う」
「ありがとう、サリーちゃん…」
「やめて…お礼を言われる筋合いはない」
ワタシはサリーちゃんに抱き着いていたが、サリーちゃんの表情は険しかった。
そんなサリーちゃんに、ワタシは言った。
「でも、どうせあの人たちに脅されてたんでしょ」
「そうだけど…でも、それを証明することは、私にはできない」
「それぐらい分かるよ。サリーちゃん、すぐ耳と尻尾に出るから」
「え、あ…」
サリーちゃんはそこで耳を隠したが、もう遅い。
「だから、先ずは繭ちゃんを助けようよ…その後で、仲良く喧嘩しようね」
ワタシは、サリーちゃんのおでこに自分のおでこを軽く当てた。
「で、喧嘩の後は仲直りだよ。だから、勝手にどこかに行くとかギルドをやめるとか、そんなのはナシだからね」
「でも、私にその資格は…」
言いかけたサリーちゃんを、ワタシは遮る。
「ワタシのおばあちゃんが言っていたんだよ。『猫と和解せよ』って」
「花子ちゃ、ん…ごめん、ごめんね」
今度は、サリーちゃんが泣き崩れる番だった。
その姿だけで分かる。この子も、犠牲者だった、と。
ワタシの中で、復讐者たちに対する怒りが、さらに沸々と湧き上がる。
「分かり…ました」
ワタシとサリーちゃんが話していた横で、フィーネさんが地図に手をかざしていた。
額に浮かんでいた汗を指先で拭い、そのまま地図を指差す。フィーネさんが、『探査』で繭ちゃんの居場所を突き止めてくれたんだ。
「繭ちゃんは王都の北東部、このあたりの…鉱山跡地に、おそらくいます」
「ありがとうございます、フィーネさん!じゃあ、さっそく…」
号令をかけようとしたワタシを、シャルカさんが止めた。
『待て、花子…相手は星の一族だ。お前たちだけで乗り込むつもりか』
「でも、繭ちゃんが…」
繭ちゃんが、待っている。
心細いままで、ワタシたちを待っている。
『しかも、相手はこれまで一切その正体を見せていない…それだけ得体の知れない連中だ』
「それ、は…」
雪花さんが誘拐された後、雪花さんは、雪花さんを攫った復讐者たちの人相書きを描いた。
そして、その人相書きはこの王都中に出回っていた。
にもかかわらず、ただの一人も、あの人相書きの人物を見たという人は現れなかった。
ギルドを訪れる冒険者たちも、冒険者たちが懇意にしている食堂の店長たちも、店長たちが食材を仕入れている卸業者さんたちも、卸業者さんたちが…兎に角、誰も知らなかった。この王都の中にいる誰もが、復讐者たちの顔を知らなかった。
「…誰も、その顔を知らない?」
ふと、呟いた。
本来なら、そんなことはありえない。
けど、ありえないことが起こっているというのなら、そこにはそれだけの理由がある。
…そうか。そうだよ。
誰にも顔を知られていないからこそ、復讐者たちはこれまで一人も捕まっていないんだ。
答えは、そこにあった。
そこで、隣にいた慎吾が問いかけてくる。
「どうしたんだ、花子?」
「分かった…分かったんだよ、復讐者の正体が」
ワタシの中で、歓喜が弾けた。
弾けたまま、傍にいた慎吾に抱き着いて…その頬に、キスをした。
「な…にを?」
『どさくさで何しとるんじゃぁ!?』
呆然とする慎吾と叫ぶティアちゃんを無視し、シャルカさんに言った。
「シャルカさん…ワタシたち、やっぱり行きます」
『花子、相手は腐っても星の一族だ…人の姿をした化け物だぞ』
不安な表情を浮かべるシャルカさんに、ワタシは不敵に笑った。
「シャルカさんは、あの人に助っ人を頼んでください」
『あの人?』
怪訝な顔をするシャルカさんに、ワタシはあの人の名をこっそりと告げた。
「あの人さえ来てくれれば、ワタシたちの勝ちです。たとえ、相手が化け物だとしても」
「どういう…ことだ?」
ワタシにキスされた方の頬っぺたに触れながら、慎吾が尋ねる。
そんな真吾に、ワタシは言った。
「化け物には変わり者をぶつけるんだよ!」




